51 アン・シャーレイの願い
公園で客待ちをしていたら、自動車が公園脇に停まり、背の高い黒髪の少女が降りてきた。
距離があってもひと目で誰かわかった。アン・シャーレイだ。
アン・シャーレイは私を目指してまっすぐに歩いてきた。目が、私ではなく私の指輪を見ている。
アンは私の真ん前に立つと、険しい顔で尋ねた。
「あなた、魔法使いのニナ・エンド?」
「そうですが、ええと?」
「私を知らない? モデルのアン・シャーレイよ」
アンは顎を上げてツンとした様子で名乗った。
名前は知っていたけど、知っていると言いたくなかった。十五歳くらいの少女を相手に大人げないのはわかってる。わかっていても、師匠に無礼なことをした子かと思うと笑顔を向ける気になれなかった。
「あなた、魔法使いよね。ラングリナ・エンドの弟子だったんでしょ? その指輪で分かったわ」
師匠、申し訳ありませんが、私はこの子を好きになれそうにありません。この子、感じが悪いです。
「そうですが、何のご用でしょうか」
「この前ここで撮影した時、あなたの指輪に気づいたの。だからもしかしてと思ったのよ。村で聞いたニナ・エンドって人の見た目にそっくりだったし」
「ああ、あなたが新しい弟子になった人ですか。すぐに逃げ出したんですってね」
「なっ! 違うわよ。逃げ出したんじゃないわ。見切りをつけたの。魔法使いの弟子になったはずなのに、掃除や洗濯、草むしりに料理。毎日下働きさせられたから、こっちから辞めてやったのよ」
魔法を教えてもらう立場なのに、お客様扱いしてもらうつもりだったのか。愚か者め。
「でもさっさと見切りをつけて正解だったわ。あなたはその歳まで修行したのに、こんな外で働いているんだものね。魔法使いなんて、やっぱり過去の遺物だわ」
師匠、訂正です。私、この子が大嫌いです。
「あなたが魔法使いをどう思っているかなんて、私は興味がありません。なぜ私はあなたに絡まれているのかしら。ここで言い合いをしていたらお客さんが逃げてしまうの。あっちにいってくれないかしら?」
するとアンは困ったような顔になった。なぜ困る。噛みついてきたのはそっちだぞ。
私は自分から意地悪することはないけど、理由もなく意地悪されて我慢する気もないよ。
七月の中旬にもなれば、当然日差しが強い。私は木陰のベンチに座っているけど、アンは日なたに立っている。額に汗が滲んでいて、ちょっと気の毒になったけど、否! 否否否! ここで情けは無用!
「おじいちゃまが……あなたから話を聞いてこいって言うから。仕方なく来てやったのよ」
「あなたのおじいちゃまなんて知らないわよ。来てくれなくていい。あっちに行って」
すると高飛車だったアンが、急にしょぼくれた顔を見せた。一瞬だけね。
「おじいちゃまは……魔法協会の会長よ」
君のおじいさんか! 私の魔女認定を遅らせたのは、君のおじいさんじゃないの!?
アンの灰色のワンピースが汗で色が変わってきている。夏に灰色の木綿はやめたほうがいいのに。さすがにアンが可哀想になった。
「そこ、暑いでしょ? 話があるなら隣にどうぞ。公園のベンチはみんなのものだし」
アンは大人しく隣に座った。
「あなた、他人の記憶が読めるんでしょう? おじいちゃまに聞いたの。それで……私の記憶を読んでほしいの」
「どんな記憶を探してほしいの?」
「私が五歳までの記憶。私のお母さんが、私をどう見ていたか、どう扱っていたか知りたいの。伯母さまは……お父さんのお姉さんなんだけど、お母さんが私を愛していなかったって言うの。それが本当かどうか知りたい」
「料金さえ払ってくれたら別にいいけど」
「いくらなの?」
料金を言うと「うわ、やっすい」とつぶやいた。やっぱり感じが悪い。でも仕事は仕事。
私はアンの手を自分の手で挟んで、その手を見つめた。
十年前のことでも、十五年しか生きてない人間の十年前の記憶を探すのは容易だ。引き出しの数が少ない。
六十年生きた人の十年前の記憶を探すのと比べたら、十五個しかない引き出しを開けて中から服を選ぶようなもの。
捜している記憶はすぐにみつかった。
黒目黒髪の女性が年配の男性と喧嘩をしている。
「この子は貴重な魔女の卵だ。普通に育てるなんぞ、ありえん!」
「お義父さま、私はこの子に普通の人生を歩ませたいのです!」
母親らしき女性が、アンを抱きしめて泣いている。なんども「可哀想に。魔法使いに産んでしまったお母さんを許してね」と言って抱きしめている。
家の中はしょっちゅうその男性とアンの母親の言い争いが起きている。父親の姿は見えない。
やがて大きなトランクを持って家を出て行く母親。その後ろ姿を、幼いアンが別の女性に抱かれて見ている。アンを抱いているのは伯母さんか?
もう少し前の記憶を見た。
母親がアンを抱いてほおずりしている。頬にキスもしている。泣いているアンを抱き上げてあやしている。優しい表情で、料理を口に入れてくれている。
アンの手を放し、顔を見た。不安でいっぱいな表情だ。
「どうだった? 見えた?」
「見えたわ。あなたは間違いなくお母さんに可愛がられて大切に育てられている。お母さんはあなたに普通の人生を歩んでほしいと思っていたみたい」
「そうなの? 私に興味がなくて私を置いて家を出たんじゃないの? それか、私が魔法使いの卵だから嫌ってたとかじゃなくて?」
「いいえ。とても可愛がっていたわよ。『ごめんなさい』と謝って、家を出ていったわね」
「そう……。そうなんだ? わかった。あの、ありがとう」
「どういたしまして。これが私の仕事なので」
踏み込むまい。この子はこの子の人生を自分の足で歩かなければならないのだ。
もし私が頼られたら、そのときに考えよう。
アンはしょんぼりと肩を落として車へと戻った。伯母さんが嘘をついてたことがショックなのかもね。
お城に戻ると、フレッド君が眠っていた。レクスさんが居間に下りてきて「おかえり」と言いながら軽くハグしてくれた。
なかなかこのハグに慣れないけれど、不快ではない。むしろ優しい気持ちになる。でも私からハグを返したことは、まだない。
「フレッドは畑で魔法を連発して疲れてしまったようだ。ジェシカには早上がりしてもらった」
「畑で魔法を連発? なんか、なんか不安! ちょっと見てきます!」
畑はお城の南側で玄関は東側だから、糸杉の小道を進んでそのまま玄関に向かうと畑はよく見えない。
不安に駆られて畑へと小走りで向かうと……。
「あああっ! そんな気がしたのよ!」
「ジェシカには魔法のことを説明した。彼女、これを見て腰を抜かしそうになってた」
「そりゃこれを見たら、驚きますよね」
季節に合わせて種をまいているから、今は夏野菜が育っている。カボチャはお店で買ったカボチャの種を取っておいて蒔いた。
五個カボチャを収穫できれば成功だなと思って楽しみにしていたのだけれど、そのうちの一個だけが巨大化している。
巨大化するオレンジ色の品種みたいな大きさになっているけど、これは普通の緑色のカボチャだ。
誰も見たことがないだろうし、誰にも見せないほうがいい気がする。
「フレッド君が楽しかったならいいんですけど」
「フレッドを怒らないでくれる?」
「怒りませんけど、これ、もったいないことしたなと思って」
「なんで? 食べられるでしょう?」
畑作業の道具を入れてある木箱から園芸用のハサミを持ってきた。
まず、ツルが切れないと思う。「どうぞ」とハサミを渡したら、レクスさんがツルに顔を近づけた。
そして「ここはコルクみたいになっているから、こっちか」とぶつぶつ言いながら極太のツルにハサミを入れた。
一度では切れなくて、かなりの回数、鋏を入れてやっと切れた。
「持ち上げられますかね。重そうだから腰を傷めないように気をつけてくださいね」
「僕はそれほどヤワじゃないよ」
レクスさんがしゃがんで「ふんっ!」とカボチャを持ち上げた。そのままヨタヨタしながら玄関へと運んでいく。
途中で二度カボチャを下ろし、腰を伸ばして叩いてまた運ぶ。
「台所の床に置いてください。たぶん、包丁では切れないので、薪割り用の斧で割ります」
「それも僕がやるけど、フレッドが起きてからにしよう」
やがてフレッド君が起きてきた。悪びれない笑顔で「すげえだろ? でっかいカボチャ! オレのまほうでおっきくしたんだ!」と鼻息が荒い。
カボチャの皮はやはり硬く、斧で叩き割ってもらって中を調理した。
カボチャのスープ、パイ、フライ。どれだけ使っても大量にある。
夜遅くまでカボチャのパイを作って翌日、ジェシカさんにたくさん持ち帰ってもらった。