43 二人だけの食事に慣れた頃に
リンダさんをお城に招いてから十日が過ぎた。
彼女がお城に来た翌日から、レクスさんの帰りが遅い。レクスさんの話では、彼女の論文のことで話をしているらしい。
帰ってきたときのお顔が高揚しているし、ご機嫌だ。
朝食は私たちと食べるけれど、夕食は毎日外で食べるようになった。
お城にいる間はずっと部屋にこもってタイプライターを打っていて、顔を合わせることがなくなった。
そのせいでフレッド君が拗ねている。
「レクスがオレとあそんでくれない」
「小説と研究で忙しいんだと思いますよ」
「ふうん」
一度母親に捨てられているから、また捨てられるのかと不安なのかも。その気持ちはわかる。
朝食の時間になって、レクスさんが部屋から下りてきた。
「おはよう」と挨拶した後は上の空で朝食を食べている。フレッド君も「おはよう」と言ったきり無言だ。
「レクスさん、今日の夕飯はどうしますか?」
「今日も外で食べてくる。僕の分は作らなくていいよ」
「わかりました」
自然な笑顔を心掛けたが、内心複雑だ。実は昨日、リンダさんが公園に来た。
「ニナ! 今日はお礼を言いに来たの。あなたのおかげでレクセンティウス様と知り合えたわ」
「いえ、私は何も……」
「レクセンティウス様がね、昨日、『いつか君の故郷を訪問したい』っておっしゃってくれたの。私の両親にも会ってくれるっておっしゃるの」
「えっ?」
「父と母はきっとレクセンティウス様を気に入るわ。私はレクセンティウス様をお慕いしているの。ニナの大家さんだし隠しごとは嫌だから、お知らせしておこうと思って」
「そうだったんですね」
びっくりした。そういうことになっているんだ? リンダさんの実家は貴族だったなと思い出した。
ただの研究仲間だと思っていたけど、そこまで進んでいたのか。
リンダさんの笑顔が本当に嬉しそうで幸せそうだ。恋に染まっている笑顔そのもの。
レクスさんがリンダさんと交際しているなら、出ていってほしいと言われる前にフレッド君を連れて出て行こう。
そう思ってさっそく今日、行動に移した。仕事の合間に貸し部屋を探していたら、間の悪いことにウィリアムさんに声をかけられた。
よりによってレクスさんの親友、ウィリアムさんに見られるとは。
「ニナ、久しぶり。レクスは小説を書いてる?」
「レクスさんは……何を書いているのかはわかりませんが、タイプライターを打ち続けていますよ」
「とりあえず何かしらは書いているのか。ねえ、なぜ貸し部屋の貼り紙を見てるの? 引っ越しするのかい?」
「まだはっきりしないんですけど」
私の口から伝える前にウィリアムさんからレクスさんの耳に入るのは嫌だな……。
「自分の口から伝えたいので、私が部屋を探していることをレクスさんに言わないでいただけますか?」
「レクスと何かあったの?」
「何もありません。ただ、いつまでも甘えているわけにいかないから」
「ふうん。どんな部屋を探しているの?」
「フレッド君と二人で暮らせて、公園から近くて安い部屋です」
「駅から近くて子供と暮らせて安い部屋なんてないよ」
やっぱりないかぁ。そんな気がしていたわ。
「なんでニナがあの子と暮らすんだい? レクスの兄貴の子かもって話なのに」
「あの子に情が湧いたので」
「情ねえ。ふうん。じゃ、俺は仕事に戻るよ」
そのあとも不動産屋さんを二軒見たけれど、駅から近くて安い部屋はなかった。
ひと部屋だけ家賃が安いのがあったけれど、首都の情報に疎い私でも(ここは治安が悪い)とわかる場所だった。そんな部屋にフレッド君と住めない。
それと、後回しにしているけれど、フレッド君とお城を出るなら、部屋を決める前にレクスさんの許可を貰わなくては。フレッド君は私についてくるだろうけど、レクスさんはそれを納得するかどうか。
お城に帰ってもレクスさんの車はない。今日も遅いんだろうな。
私が帰宅したから入れ替わりにジェシカさんが帰り、フレッド君と二人になった。
「ニナ、げんきがないな」
「少し疲れたかもしれません。今夜は簡単なお夕飯でもいいですか?」
「パンだけでいい」
「そうはいきません。フレッド君は育ちざかりなんですから、では、パンとスープ、卵料理にしましょうか」
「たまごはだいすきだ」
いいわねえ。フレッド君のそういうところ。
フレッド君と夕飯を食べながら、次の魔法のレッスンについて話し合った。
「オレはペンギンとあそべればいい」
「ではしばらくはラングリナ師匠とフレッド君でやり取りをしましょうか」
「それでいいぜ」
車の音がして、レクスさんが帰ってきた。今夜は早いんだね。
「おかえりなさい」
「ニナ、話がある。僕の部屋に来てくれる?」
「はい」
レクスさんが険しい顔をしている。私が貸し部屋の貼り紙を見ていたこと、聞いたのかな。
あの時、レクスさんに言わないでほしいと頼んだけど、ウィリアムさんはそれに関しては返事をしなかった。
「ウィリアムに、『ニナと喧嘩をしたのか』と聞かれた。だから喧嘩なんてしていないと答えたら、ニナはそう思っていないぞと言われたんだ。ニナ、どういうことかわかる?」
「あー、それは……」
なるほど。ウィリアムさんはその手に出たか。親友だものね。仕方ない。
「私、フレッド君を連れてこのお城を出て行こうと思っています」
「えっ? ……なぜ?」
「前から決めていたんです。レクスさんに恋人ができれば、私がここで同居していたら迷惑をかけますから。出ていってほしいと言われる前に出ていこうと」
レクスさんの顔が、先ほどまでの険しい表情から困惑の表情へと変わった。
「僕に恋人はいないけど?」
「でも、毎日お出かけして夕食も外で食べてくるし」
「そんなこと?」
「帰ってきたときのお顔が高揚していて」
「はぁぁぁぁ」
大きなため息をついてから、レクスさんはクシャッと髪を手櫛でかき上げた。
「勘違いしてるよ。百パーセント勘違い。僕には恋人なんていない。毎晩帰りが遅いのも、食事を済ませて帰ってくるのも、リンダにレンデガル族の文化について話を聞いているからだ」
「そのリンダさんとお付き合いを始めたのでは?」
「違う。ちゃんと説明しなかった僕が悪かった。リンダの留学期間は一年だ。彼女がこの国にいる間に聞きたいことが山ほどあるんだ。だから彼女の好意に甘えて、毎晩時間を作ってもらっている。それだけだ」
あれ? 引っ越ししなくて済むのはありがたいけど。リンダさんの恋心はどうなるの? ご両親に挨拶に行く理由を、リンダさんが勘違いしてるってこと?
「ニナ、僕の記憶を見て。ここ最近の僕が夜に何をしていたか、見てくれればわかるから」
「別に記憶を見なくても、レクスさんの言葉を信じますから」
「いや、見てほしい。それは譲れない」
レクスさんが怒ってる。私が何も相談しないで引っ越しを決めたから?
でも「あなたの迷惑になる前に出て行きます」って言ったら、恩着せがましいじゃないか。言われたレクスさんだって後味悪いでしょうよ。
「さあ、僕の記憶を見て」と言ってレクスさんが右手を出した。譲らないぞという気迫を感じたから、私はレクスさんの手を両手で挟んだ。