42 洗濯問題とリンダ・ライトさん
レクスさんがお城に来るまでは洗濯物をお城の南側、芝生のところに干していた。
納戸にあった折り畳み式の物干しスタンドを重宝していたけど、今は自分の小物は屋根裏部屋にロープを張って干していて、服やシーツなどは外に干している。
レクスさんは靴下やハンカチ、下着に至るまで、洗濯店に出しているらしい。洗濯店はアイロンまでかけてくれるという。
私の金銭感覚では洗濯店の料金が安くない。だからフレッド君の分もついでに洗っていたけど、今朝、フレッド君の服を干していたらレクスさんが窓から声をかけてきた。
「気づくのが遅くて悪かった。フレッドの分は僕が洗濯店に出すよ」
「ええ? フレッド君の普段着はザブザブ洗って干せるものばかりですから、洗濯に出すのはもったいないですよ」
「ニナの気持ちはありがたいけど、こういう細かいことの積み重ねが軋轢を生むものだよ。けじめはつけたい」
軋轢? 洗濯ごときで私とレクスさんの間に軋轢? とは思ったけど、レクスさんが譲らない気配だから受け入れた。フレッド君の服は私が出勤がてら洗濯店まで運ぶことにした。
レクスさんが使っている洗濯店を教えてもらって受け付けの順番を待っていたら、私の前にいる人が片言で一生懸命何かを訴えている。カウンターの女性がそれに答えているのだけど、お店の人に若干地方のアクセントがあるのと早口なのとで聞き取れないらしい。片言の女性がオロオロしているのが気の毒で、思わず口を出した。
「失礼。あなたのもう一着は、あと二日かかるそうですよ。二日後まで待ってほしいそうです」
「そうなんですか。ありがとうございます。助かりました」
日焼けした肌とカールのある黒髪の若い女性は、笑顔でお礼を言ってくれた。私がフレッド君の服を渡して店を出ると、さっきの女性が待っていて、私に近づいてきた。
「さっきはありがとう。何を言われているのか聞き取れなくて、困っていたの」
「どういたしまして。お役に立ててなによりです」
そう言って私は公園に向かったのだけど、なぜかその女性も一緒についてくる。
たまたま同じ方向に行くのだろうと思っていたが、私が公園で折り畳みの看板を立てると、驚いた顔をされた。
「あなたが占い師さんだったのね。あなたに会いに来たのよ」
「占いをご希望だったのですね」
「失せ物捜しをお願いしたいの。先週、大切な本をどこかで失くしてしまって。ずっと探しているけど見つからないの。心底困っているわ」
「では占いましょう。お手をお借りします」
彼女は二ヶ月ほど前に植民地からこの国に来た学生だった。母国では上流階級の家柄。もしかしたら王族だ。
母国で書いた論文が注目されて、この国の支援を受けて留学している。
女性も大学に進学できるようになったというニュースは知っていたが、女性は一学年に数人だけだったはず。優秀な人らしい。
彼女は睡眠を削って勉強している上に、ここ最近は本を探し回ったせいで、とても疲れていた。
紛失した本の記憶があった。緑色の表紙の分厚い本だ。
彼女は本を手にバスに乗って、本を抱えたまま座席で眠り……その後は本を持っていない。
本がないことに気づいたのは用事で一日中歩き回った後で、その日の記憶の順番がごちゃごちゃなのは、睡眠不足と疲れが原因だ。記憶を見た私には順番がわかる。
「バスに置き忘れたのかもしれませんよ」
「バス? じゃあ、もう拾われてしまったわよね。どうしましょう」
半泣きになった。こんなに疲れた状態で、また早口を聞き取れなかったら気の毒だ。
「私が一緒にバス会社まで行って聞いてみましょうか?」
「いいの? お仕事中なのでしょう?」
「大丈夫。バス会社はさほど遠くありませんから」
バス会社まで歩いていく道すがら、互いに自己紹介した。
彼女はリンダ・ライト。大学の寮で暮らしたかったが、女性が少なすぎて寮は対応できず、大学側が契約した集合住宅に住んでいるそうだ。トイレとかお風呂とか、部屋などの理由らしい。
私のことは大学のそこの管理人さんから聞いたと。私の噂がそんなところまで広まっているのか。
話をしているうちにバス会社の建物に着いた。
窓口で本の忘れ物がなかったか聞いて、リンダさんが本の見た目を説明した。少し待って部屋の奥から本を持って出てきたのは、車掌のチャーリーさんだった。
リンダさんは「ああ! その本です! ありがとうございます!」と大喜びだ。
「チャーリーさん、ありがとうございます。本を保管してくれていたんですね」
「あなたのお友達の本だったんですね。座席に置き忘れていたらしいですよ。この紙にサインをお願いします」
リンダさんがサインをして、それでお別れだと思った。ところが彼女は「お礼をしたい」と言い出した。
私が働いた分は料金を貰ったし仕事があるからと断ったら、「そうよね」と言ってしょんぼりしている。
その様子で気づいた。リンダさんは人恋しいんじゃないだろうか。
「リンダさん、私は料理が得意なの。今夜うちで一緒に食べない? 夕方四時に公園まで来てくれたら、私が住んでいる家まで案内するわ」
「いいの? 本当に?」
「本当よ。一緒におしゃべりして、夕飯を食べて、泊まらない? 明日は早い時間のバスに乗れば、大学の授業にも間に合うわ」
「嬉しい。私のことはリンダと呼んで」
レクスさんはきっと嫌な顔をしないだろうし、フレッド君にも来客と一緒の食事を経験させたい。
思った通り、レクスさんは私がお客さんを連れてきたと告げると「そう。挨拶させてね」と居間に来てくれた。もちろん嫌な顔などしなかった。
それどころかリンダさんが「ルエール大学のリンダ・ライトです。素晴らしいお城ですね」と挨拶をしたら態度が急変した。
「ルエール大学のリンダ・ライト? もしかしてレンデガル族の口伝の論文の? やっぱりそうですか! 初めまして。レクセンティウス・ローゼンタールです。比較文学の研究をしています。あなたの論文を読みましたよ! あれは実に興味深い論文でした!」
こんなにはしゃいでいるレクスさんは珍しい。満月の夜露集めの時以上に嬉しそうだ。
リンダさんも専門の話ができるので嬉しそう。
フレッド君は「なにをしゃべってるのか ぜんぜんわかんない」と言って台所で私の料理を手伝っている。
「二人が楽しそうでよかったわ」
「ほんとに?」
「本当よ。なんで?」
「レクスをとられたら、オレはいやだな」
フレッド君はいつも意外なことを言う。
「あのね、お友達でお仲間なんだと思う。男の人と女の人が仲良しでも、みんながみんな恋人とは限らないの」
「そうなのか?」
「そうよ」
ただ、話が盛り上がっているうちにあの二人が恋人同士になったら、私は出て行ったほうがいいだろうけどね。まあ、その時はその時。なんとかなる。
「フレッド君、お芋を洗ったら、玉ねぎの皮をむいてくれる?」
「まかせろ」
今夜は家庭料理を並べよう。
リンダさんとたくさんおしゃべりするつもりだったけど、私は聞き役に回ろう。
居間から微かに二人の笑い声が聞こえてくる。それが少しだけ寂しいのはなぜだろうか。
リンダさんは料理を手伝うと申し出てくれたけど、レクスさんの話相手を頼んだ。
そう頼んだのは私なのに、私はなぜ仲間外れの気分なのか。
我ながらわけがわからない。
野菜を炒めながら(師匠、人と触れ合うのは難しいです)と心で語り掛けた。
私も知らせの鳥を出せたら話しかけたのに。
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※レンデガル族の話は14話に。