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41 小説のタイトル ✤

 タイプライターから紙を取り外して、レクスが「ふううう」と息を吐いた。

 小説はとりあえず完結まで書いた。これからかなりの時間をかけて推敲するが、それでも結末まで書き終えた達成感と安堵で脱力している。


 新作のタイトルは『僕が愛した魔女』だ。

 ひょんなことから同居することになった魔女と学者が、少しずつ相手を知って距離を縮めていく話だ。


 現実のレクスはあの夜、夜露を集めているニナの横顔を美しいと思った。

 顔の美醜ではなく、魔女になりたいのになれなかった彼女のひたむきさが美しいと思った。

 だから小説の中で、満月の夜に夜露を集めている魔女の横顔が冴え冴えと美しかったことを描写した。

 

 産業革命を経て、人々の価値感は大きく変わった。

 生まれ育ちで決まっていた人間の立ち位置は、どれだけ稼いでいるかに移り変わりつつある。

 そんな激動の時代に生きているのに、ニナは絶滅寸前の魔女になりたいと願い続け、夜露を集めていた。

 その生き方の一途さに、レクスは心惹かれている。


 今のニナにとっての一番が自分でないのは承知だ。二番三番でさえないのもわかっている。それでもいい。彼女と一緒に暮らせることが楽しい。このまま、フレッドと三人でできるだけ長く楽しく暮らしたい。

 

 ニナは普通の魔女になることは諦めたものの、いまも必死に何者かになろうとしている。

 彼女は自分の記憶を見られないらしいが、そんな能力を持っていないレクスでもニナの原動力がどこにあるのかはわかる。

 三歳の彼女を親が見捨てたことだろう。

 親の保護なしには生きていけない幼児を、彼女の親は探しもしなかった。その過去のせいで、彼女は自分の価値に自信を持てないでいる。

 だから育ての親であるラングリナを人生の目標として魔女になろうとしたのだろう。

 それも叶わなかったから、記憶を見る能力で何者かになりたいのだ。

 

 魔法協会がニナを魔女と認定した日、ニナは号泣していた。

 レクスはそれまでも「君には価値がある」と折に触れて伝えてきたが、その慰めは届いていなかったらしい。

 彼女の嬉し涙を見てそう思った。

 身近な人さえ勇気づけられなかった。

 小説を四冊出して、そこそこ売れた。レクスは本を出してから自分には恋愛小説を書く才能があったんだなとぼんやり思っていた。

 

(それがこのざまだ。ニナを励ますこともできないで、なにが恋愛小説の才能だよ)

 

 レクスはニナを好いているが、今はまだニナに「好きだ」と言う気はない。

 大家さんとしか思われていない自分が突然「君が好きです」なんて言ったら、彼女は困って出て行く気がする。


「いや、間違いなく出ていくな。気持ちを打ち明けるのはやめよう。そもそも僕はスタートラインにさえ立てていない」


 恋愛小説を初めて書く前に、たくさんの恋愛小説を読んだ。出てくる男性はたいてい裕福で身分が高く、見た目が美しい。その上、双方が独り身で想い人がいない。出会った瞬間から互いに運命を感じていたりする。

 

「そんな話は現実にはないんだって。ま、ないから小説で楽しむんだが」


 そうぼやいて、レクスは書き終えた小説の束をトントンと机の上で揃えた。

 ニナはレクスが結婚したら出て行くと言っていた。レクスに結婚の予定はないが、ニナがここを出て行ったらと想像するだけで寂しい。それさえも本人に言えない状況なのがもどかしい。

 

 ニナが一人暮らしを始めたら、すぐさまウィリアムみたいに声をかける男が出てくるだろう。

 今だって公園でお茶に誘う男が何人もいるらしい。

 ニナを好きになってから、彼女のちょっとした言葉や表情で胸がときめき、些細なことでモヤモヤする。

「恋の病とは上手いこと言ったものだ」と苦笑して、レクスはため息をついた。


 夕方になり、ニナが帰ってきた。

 今日も食材をたくさん買ったらしくて、買い物用の袋が膨らんでいる。買い物リストを書いてくれればレクスが買いにいくのだが、ニナは自分で買いたいらしい。


「ニナ、おかえり」

「ただいま帰りました。すぐに夕飯を作りますね」

「ゆっくりでいいよ」

「ニナ! きょうのよるごはん、なに?」

「今日は羊のお肉よ。好きでしょ?」

「うん! すきだ」

「僕も好きだよ」


 思わずそう口に出してから(あっ)と恥ずかしくなった。ニナはフレッドに言ったのに、「僕も好きだよ」は気持ち悪かったかもと、慌てて言葉を付け足した。


「ニナが作る料理はどれも美味しいからね」

「ありがとうございます」


 ニナは聞き流したが、フレッドは聞き逃さなかった。今もレクスを見上げてニヤニヤしている。

 フレッドはこういうところが大人じみている。

 ニナには言わなかったが、兄の報告によるとフレッドは歓楽街の育ちだ。酒を出し、露出の多い服装の女性が接客し、店外のデートを勧める店だったそうだ。

 

 母親が働いている間、フレッドは控室で過ごし、従業員控室で育ったようなものらしい。

 そう聞いて五歳とは思えない言葉遣いに納得した。

 救いなのは、フレッドが大人に怯えていないことだ。従業員たちに可愛がられていたのだろう。


 レクスは今まで、価値観の古い父親に苦しめられたと思ってきた。だがニナやフレッドのことを知れば知るほど、自分の受けた苦痛など、どれほどのことでもないと思うようになった。

 今までの小説は身分差を取り上げていたが、その描写が甘かったと今では思っている。

 現実の社会はレクスが考えていたよりも、ずっと弱者に厳しい。


 一度台所に入ったニナが居間に戻ってきた。


「お二人さんは、グリーンピースのスープは好きですか?」

「オレはすき」

「僕もだ。気分転換に料理を手伝いたいんだけど、いいかな?」

「大歓迎です。一緒に作りましょう。味見もしてくださいね。レクスさんが料理を気に入ってくれると、自信がつきます」

「ニナの料理はどれも美味しいよ」


 レクスは(今はこれでいい)と自分に言い聞かせた。

『僕の愛しい魔女』というタイトルは気に入っているが、製本されて世に出るまではニナには言わないつもりだ。

 

 (いい機会だからタイトルを知らせると同時に気持ちを打ち明けるべきか?)と思う一方で、(気持ち悪いと思われて、今のささやかな幸せも失うぞ、やめておけ)とも思う。


「グリーンピースは塩ゆで?」

「はい。柔らかくなるまで煮てください」


 本が発売される日に気持ちを打ち明けたら、こんな何げない会話もなくなるのだろうか。

 打ち明けなくても、タイトルを知ったらニナはどう思うのか。

 レクスは(本の発売日がこんなに憂鬱なのは初めてだ)と思いながらグリーンピースを煮ている。


 

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