40 代わりに怒ってくれてありがとう
朝食を食べたらフレッド君の魔法のレッスンのつもりだったけど、やめにした。
昨日ペンギンを操った後のフレッド君は疲れていた。
師匠は以前私に、「子供が魔法を使いすぎると成長が遅れる。絶対に無理はいけない」と言っていた。
だから朝食を食べながらフレッド君に話をした。
「フレッド君、今日のレッスンはお休みするね」
「なんで? オレ、またペンギンをだしたい」
「子供は少しずつ練習したほうがいいの。五歳で知らせの鳥を出せたのはすごいことだから、焦らなくても大丈夫よ」
フレッド君はほっぺを膨らませて黙り込んでいる。そのうちポトリと涙をこぼした。
「オレのペンギンにあいたい」
「あああ、泣かないで。フレッド君の体によくないんだってば」
「ペンギンとあそびたい」
泣いているフレッド君にどう言ったら伝わるのか。困っていたら、レクスさんがフレッド君を諭してくれた。
「早くペンギンと遊びたい気持ちはわかる。でもね、ペンギンも疲れているんだよ」
「ペンギンも?」
「そうだ。フレッドが疲れるとペンギンも疲れる。疲れているペンギンを休ませてやるのが、いい飼い主だと思うな」
「いいかいぬし……」
「疲れているペンギンを休ませてやらなかったら、可哀想だ」
鼻をズビズビさせながら、フレッド君が「わかった」と言ってうなずいた。
「オレはいいかいぬし。すごくいいかいぬしになる」
「そうだ。フレッドはいい飼い主で優しい飼い主だ」
そう言えばよかったのか。ちょっと悔しい。
なぜかレクスさんに負けたような気分でいたら、レクスさんが下を向いて苦笑している。
「なんで笑っているんですか?」
「ニナがしょんぼりしているから。僕に負けたと思ってるのかな? ニナのことも慰めようか?」
「いえ、結構です。別にしょんぼりしていませんし」
「そう? それならいいけど」
レクスさんはそのあともずっと笑いを堪えていて、ちょっと腹が立った。
苦笑していたレクスさんが、窓の外を見るなり立ち上がった。顔が険しい。
「ニナ、フレッド、僕の父が来たようだ。嫌な思いをさせるかもしれないから、君たちは顔を出さなくていい。なるべく早く帰すから、できれば二階で静かにしていてくれる?」
「わかりました。私の部屋にいます」
そう返事をして二階に上がったのだけど。
立派な馬車が玄関前に停まったすぐ後に、険しい男性の声が聞こえてきた。その声を聞くと、フレッド君は布団の中に潜り込んでしまった。怖いよね。すごく迫力のある声だものね。
私は「ここから出ないで」とフレッド君に声をかけてから廊下に出てドアを閉めた。廊下にいても父親の声がはっきり聞こえる。
「大口叩いて家を出ておきながら、メイドも雇えないでいるのか。何のために大学まで出してやったと思っている。くだらん小説なんか書いているからこんなざまなんだ!」
「今は父上の世話になっていないのですから、僕がどんな暮らしをしていようが非難されるいわれはありません。それに、大学の授業料は毎月お返ししています」
「返しきらんうちは生意気を言うな!」
レクスさんが低い声で何かを言った直後、カシャン! と食器の割れる音がした。
階段を駆け下りて、居間のドアを開けた。
レクスさんと父親が立って睨み合っていて、床にティーカップとソーサーの破片が散らばっていた。
レクスさんの父親はレクスさんと同じ茶色の髪に茶色の瞳だけれど、顔立ちはあまり似ていない。身長はレクスさんの方が高い。
レクスさんの父親がギロリと睨んだ。強い威圧感がある。
「なんだお前は!」
「掃除を担当しているニナと申します。レクスさん、大丈夫ですか?」
「ニナ、いいんだ。大丈夫だから」
「なんだ、使用人がいたのか。おい、お前はなぜ出てこなかった? 使えない使用人だな」
私はなるべく静かな声を出した。
「レクスさんに暴言を吐くのはやめてください。レクスさんの小説は素晴らしいです。くだらなくありません」
父親が私に向かってゆらり、という感じに詰め寄ろうとした。伯爵様に口答えした以上、殴られても仕方ないと思った。だけど私は引かなかった。するとレクスさんが間に入って父親を止めてくれた。
「ニナに手を出すのは許しません」
レクスさんが静かだけど怖い声を出した。父親は一瞬怯んだものの、再び険しい声を出した。
「お前、ダンテ社のパンフレットに下賤な小説を書いたそうだな。ダンテ社の人間から聞かされて恥をかいた。あれほど下等な小説を書くのはやめろと言ったのに、家の名に泥を塗りたいのか! いい加減にしろ!」
言うだけ言って父親は帰った。レクスさんは見送らず、黙ってカップの破片を拾っている。私は台所に走ってタオルを濡らして渡した。レクスさんの左頬が赤くなっている。殴られたんだ。
「片付けは私がしますから、これで頬を冷やしてください」
「ありがとう」
「レクスさんの小説は素敵なのに。泥を塗るだなんて。それと私、次からはメイドのふりをして接客します」
「いいんだ。ニナは同居人でメイドじゃないでしょ」
「悔しいんです。小説を書いたからって殴るなんて!」
「このくらいなんでもないよ。僕が本気になれば、父を押し倒して殴ることもできるだろう。だけどそれをやったら終わりだからね。あんな人でも僕を育ててくれた父親だから」
そうだけど! あんまりじゃないの。
私は箒と塵取りで破片を掃き集めながら、まだ憤りを止められない。
「レクスさんのお父様にこんなこと言うのは申し訳ないですけど、レクスさんが大切にしているものを大切にしない人なら、レクスさんもお父様の大切な世間体や面子を気にすることはないと思います」
「そうなんだけどね。僕があんまり逆らうと、母にしわ寄せがいかないか心配なんだよ。だから女性の名前で小説を書いてきたんだ。なのにダンテ鉄道の人が余計なことを言ったんだね。今度きつく口留めしておくよ」
私は掃き集めた破片をゴミ箱に捨て、レクスさんはコーヒー豆を挽き始めた。
「今は貴族でも娯楽小説を読むんだけど、父の価値観は古いところで止まってしまっているから」
「それにしたって書いた本人にあんな……」
「父も少しは柔らかくなったと思っていたんだけどね」
「全然柔らかくない!」
「そうだね。父は自分が時代に取り残されていることを認められないんだ。そんな父に対して正面切って僕をかばってくれた人は、ニナが初めてだよ。僕の代わりに怒ってくれてありがとう」
そう言って微笑んだレクスさんは、寂しげな笑顔だ。そこへフレッド君が入ってきた。
「おわったのか?」
「もう終わったよ。フレッド、怖い思いをさせて悪かったね」
「オレはへいきだ。レクス、きにすんな。オレがいるぜ」
「そうだな、フレッドがいるな」
コーヒーのいい香りが漂って、私も少し落ち着いた。
子供の頃、親がいないのは寂しいと思うこともあった。でも、親がいたらいたで苦しみはあるんだね。
三人でしんみりしていたらジェシカさんが出勤してきて、この話は終わりになった。
レクスさんのことを守れたらいいのに。
優しいレクスさんを傷つける全てのことから、私が守ってあげられたらいいのに。