39 最初のレッスン 知らせの鳥
魔法の初歩で学ぶものに『知らせの鳥』と『植物成長魔法』がある。フレッド君はすでに植物成長魔法が使えるから、知らせの鳥を出すところから始める。
居間に三人が集まり、レクスさんの目がキラキラしている。
「僕は今、最高にわくわくしているんだ。魔法使い二人と同居だよ? 一生分の運を使っている気がする。知らせの鳥の出し方から最後の授業まで、この目で見て記憶に刻みたい」
「わかりました。明日から取り組みます」
「嬉しいなあ。ありがとう、ニナ」
レクスさんがふわっと笑った。う、眩しい。王子様みたいな微笑だ。
夜は三人でステーキを食べた。肉を見たフレッド君が興奮していて可愛い。
「にくがうまそう」
「魔法を見せてもらう前祝いだ」
「おいわい? くさがうごくの、レクスはこわくないのか?」
「怖がるわけがないだろう? 僕はニナもフレッドも尊敬しているよ。ニナ、ステーキは僕が焼いてもいいかな。ステーキを焼くのだけは自信があるんだ」
「ではお願いします」
レクスさんは厚手のフライパンにバターを入れて溶かし、サーロインの肉を焼き始めた。四、五分くらい焼いて焼き色を確かめてから肉をひっくり返している。反対側が焼けるのを待っている間に、もうひとつのフライパンで皮を剝いて輪切りにしたジャガイモとゆでたニンジンをバターで焼いている。
「僕は焼いた野菜が好きなんだ。実家にいる時は料理をしたことがなかったけれど、一人で暮らし始めた頃はとにかくお金がなかったから、料理はそこそこできるようになった」
比較文学の研究では食べていけないから、ウィリアムさんに頼まれて恋愛小説を書いたんだっけ。
ステーキは美味しく、焼いた野菜も美味しい。
レクスさんは多才で、フレッド君は五歳にして魔法が使える。
「私も……私も、占いを頑張ろう」
「前も言ったけど、ニナの能力は素晴らしいよ。それを忘れないで」
肉を噛みながらそう自分に言い聞かせたら、レクスさんが励ましてくれた。そうね。自信を持たなきゃ。
ステーキと焼き野菜とパンで、おなかがいっぱいになった。
夜、ベッドに入ってからフレッド君が「レクスはこわがらないかな」とつぶやいた。魔法を見せることが不安なんだね。
「私もレクスさんもスパイクさんも怖がらないよ。ロルフさんも」
「ロルフってだれ?」
「そうか、フレッド君は眠っていたんだっけ。今度、ミルクを買いに行ったとき、紹介するね」
パロムシティに来て少しずつ私の世界が広がっていく。フレッド君の世界も。
翌朝のレッスンで、知らせの鳥について教えた。レクスさんは離れた場所で見学している。
「フレッド君が好きな鳥を思い浮かべるの。なんでもいいわ。スズメでもツバメでも、ハトでも。強く思い浮かべた鳥がフレッドの知らせの鳥になるの」
「おもいうかべた」
「それが自分の頭の上を飛んでいることを思い浮かべながら、ここを意識して。ここが少し温かくなったら成功です」
私が指先をフレッド君のみぞおちに触れた。
「むずかしいぜ」
「うんうん、最初からは無理だけ……うわっ!?」
思わずのけぞった。少し離れた場所で見学していたレクスさんも立ち上がっている。
だって、だって、フレッド君の頭の上にいるのは、どう見てもペンギンだ。結構な大きさのペンギンが水中を泳ぐように、フレッド君の頭上でくるくる回っている。
「ペン……ギン?」
「ペンギンはダメだったのか? とりなんだろ?」
「ダメではないわ。意外だから驚いただけよ。ペンギンが好きなのね?」
「ほかのにかえてもいいぞ」
「最初に出した鳥が一番使いやすいはず。このままがいいわ」
「ふうん。そうなのか」
それにしてもペンギンか。
レクスさんは笑ってはいけないと思ったのだろう。下唇を噛んで口角を下げ、すごく変な顔になっている。
「オレはペンギンがすきだぜ」
「私も好きよ」
「僕……も」
レクスさんの声が震えているから、私は(笑っちゃだめ!)という気持ちでギンッ! とレクスさんをにらんだ。するとレクスさんは変な顔から一気に真顔になった。それでよろしい。
「素晴らしいな。フレッドはペンギンを知っていたんだね? 動物園で見たのかい?」
「どうぶつえん、いったことない。みせのひとが、かみをみせてくれた」
「パンフレットかなにかかしら。私もペンギンを見るのは初めてだけど、とてもかっこいい知らせの鳥だわ。一回で成功するとは思わなかった。これ、とんでもなくすごいことなのよ」
私がそう言うと、不安そうだったフレッド君がやっと笑顔になった。
「そうか? かんたんだったぜ」
「じゃあ、『ラングリナ・エンド』と声に出してみて」
「わかった。んと、ラングリナ・エンド」
ペンギンがスッと消えた。これも一回で送れたみたい。すぐに師匠の緑の小鳥が現れた。
『ええと、これはフレッドの鳥かい?』
「はい師匠! フレッド君の知らせの鳥です」
『昨日の今日で、もう知らせの鳥を出せるのか』
「そうなんですよ。最初の一回で成功したんです。フレッド君は天才です」
『確かに天才かもしれないねえ。フレッド、ニナは魔法をたくさん知っているから、ちゃんと真面目に習うんだよ』
「わかった! でもオレ、もうむり」
『フレッドの鳥が消えた。今日はもう休ませなさい。知らせの鳥、おめでとう、フレッド』
そう言って師匠の小鳥も消えた
「お疲れ様。疲れたでしょう。ミルクを飲む?」
「うん。あまいのがいい」
「もうすぐジェシカさんが来るから、今日はこれで終わり」
フレッド君が疲れている様子なので横になってもらい、私とレクスさんは台所に向かった。
「おめでとう。最初の授業から大成功だね」
「私の弟子は天才でした」
「ニナ師匠、僕は今、とんでもなく執筆意欲が湧いているよ」
そう言ってレクスさんはコップに井戸水を汲んで一気に飲み干した。
「あのぅ、レクスさんが今書いている小説はなんていうタイトルなんですか?」
レクスさんは顎から滴っている井戸水を手の甲でグイッと拭って、ふふ、と笑った。
「まだ内緒だよ」
「なんでですか。減るもんじゃないし教えてくださいよ」
「僕のやる気が減るから教えない。本になってから見せるよ」
フレッド君は甘くしたミルクを飲んで満足そう。ペンギンを自分の鳥にできたことがよほどうれしかったらしく、何度も「オレのペンギンなんだろ? オレだけのペンギンだろ?」と私に確認した。
「そうよ。あれはフレッドだけのペンギンよ」
「へへへ。ニナ、まほうっていいな。オレ、がんばる」
「私も楽しみよ」
自分は何ひとつ普通の魔法を習得できなかったけれど、私を通して師匠の知識がフレッド君に引き継がれるなら、あの時間は無駄にならない。
「良かった」というたくさんの満足感と、「私も師匠に習った魔法を使ってみたかったな」という少しのしょっぱい気持ちで、私も甘いミルクを飲んだ。