38 魔法協会の意見
翌朝はレクスさんの予想通り雨だった。
結構な本降りの中、ジェシカさんが出勤してきた。
「雨の日はニナが仕事休みなのは知ってるけど、こちらでしっかり働くからご心配なく。ウィリアム様からは雨でも行くようにと言われているし」
「そうだったのね」
「このお城でフレッド君の相手や掃除をしているほうが嬉しいの。あの人、今は十七歳の新人メイドに、やたら優しく指導をしているわ」
「元気な人よねえ。その元気を早々使い切るのか、老人になっても元気なのか」
「私はもう、どうでもよくなっちゃった」
そんな話をしていたら、雨の中、真っ黒な馬に乗った人が細い道を入ってきた。魔法協会のスパイクさんだ。
こんな雨の中を何事かと玄関に急いだ。
「今日も魔法協会の用事で来たよ。レインコートはここで脱いでいいかな?」
私はスパイクさんのゴム引きのレインコートを受け取って、玄関のフックに引っ掛けた。
「魔法協会が私にどんな用事でしょう?」
「今日は君じゃなくて少年のことなんだ。ロルフから報告があってね。この家に有能な魔法使いの卵がいるそうだね。その卵について聞き取りに来た」
「聞き取りって?」
すると背後からレクスさんの声がした。
「ニナ、居間に入ってもらって。僕も同席するけど、いいですよね?」
スパイクさんが同意して、私、レクスさん、スパイクさんの三人は居間に移動した。
ジェシカさんがお茶を運んでくれて、「フレッド様とニナさんの部屋にいます」と言って部屋を出た。
スパイクさんがレクスさんに向かって話を始めた。
「少年の両親について教えてもらいに来ました」
「フレッドの父親は誰なのかはっきりしません。母親はフレッドを置いてリンド国へ向かいました。今は僕とニナが親代わりをしています」
「ふむ。そういう事情でしたか。魔法協会はフレッドをそれなりの魔法使いに預けて、育て上げたいと思っています。両親に同意を求めたかったのですが……」
「フレッド君はまだ五歳なのに?」
「あなたは三歳からラングリナに育てられたではありませんか」
そうだけど、一人でふらついていた私とフレッド君では状況が違う。フレッド君には私たちがいる。
「本人の気持ちを確かめず、我々の意見を聞く前によそに預けようとするとは。乱暴な話だな」
「五歳の子供に自分の将来を選ばせるのも、無理があるのでは? 子供は慣れ親しんだ環境を望むでしょうが、自分の能力の価値を正しく理解していない。その上、両親がいないなら……」
「待ってくれ。僕たちは親代わりなんだ。養育権の申請をするつもりでいる。フレッドを渡す気はないよ」
「フレッド君は私が指導します」
スパイクさんは私をじっと見てから「ふむ、なるほど」と小さくうなずいている。
「魔法協会からフレッドのことを聞いたラングリナが、この件に関して意見があるそうです。今ここでラングリナと話をしても?」
「ぜひ師匠の意見を聞かせてください」
「では失礼して」
スパイクさんが唇の前に右手の人差し指と中指を立てて、聞こえないくらいの小声で呪文をつぶやいた。
すぐにスパイクさんの頭の上に青くて小さな鳥が現れた。スパイクさんが頭上を見上げて「ラングリナ・エンドのところへ」と命じると、青い小鳥はフッと姿を消した。見ていたレクスさんは目を丸くしている。
スパイクさんがモーダル村の師匠に向かって話を始めた。
「ラングリナ、スパイクです。今、ニナのところにいます。彼女が世話をしているフレッドが魔法使いの卵だったわけですが、ニナはフレッドを自分で指導したいと言っています。あなたにご意見があるなら、ぜひ聞かせてください」
するとスパイクさんの頭上に、師匠の緑色の小鳥が現れた。飛んでいる小鳥から懐かしい師匠の声が聞こえた。
『スパイク、ニナなら魔法の知識をほぼ全て身につけている。知識を授けた私が保証する。その子はニナに育てさせればいいさ』
「私はかまいませんが、男性の弟子は男性が育てる習わしなので、魔法協会は反対すると思いますよ?」
『は! くだらないね。たいていの魔法使いの卵は、親が普通の人間だから魔法使いに預けるんだ。そして親を安心させるために同性の師匠につけてきたんじゃないか。魔女のニナが育てたいと言うなら育てさせればいい。ニナから引き離す理由がない。だいたい魔法協会はニナのときもグダグダ言って……』
スパイクさんが困った顔で何度もうなずき、「ええ、ええ、その件は知っていますよ」と師匠をなだめた。
それからレクスさんに向かって提案した。
「国との無用な軋轢を防ぐため、魔法協会はいつもその時代の法を順守しています。フレッドをあなた方の意思に反して連れ去ったりはしません。では、一年間様子を見ませんか? 一年後にフレッドの意思とあなた方お二人の意見を確認した上で、フレッドを預けるかどうかを話し合って決める、ということでいかがです?」
私が小さく手を上げて質問した。
「フレッド君を育てる魔法使いは、もう決まっているんでしょうか。スパイクさんはその人がどんな人かご存じですか?」
「私です。私がフレッドを引き取って魔法使いとして育てる役を命じられました」
スパイクさんだったのか……。まだ人柄がわからないけど、フレッド君は渡したくない!
そう思う私より、レクスさんは冷静だった。
「いいでしょう。一年後にフレッドに決めさせます」
「では、一年後の話し合いでフレッドがニナを師匠に選ぶなら、協会は私が説得します」
『ぜひそうしておくれ』
「師匠! ニナです! お元気そうでよかった!」
『ニナ、元気でやっているようだね。とりあえず一年間はニナが育てて導けばいいさ。きっと上手くいくよ。どうだい? アシャール城の住み心地は』
「あー……とても居心地がいいです」
今ここでお城の相続の話をするとややこしくなるから、やめておいた。
『それならよかった。ニナ、まずはその子に知らせの鳥が使えるようにしなさい。そうすれば私といつでも会話ができる。わからないことは私に聞けばいい』
「わかりました。それと師匠、銀メッキのナスタチウムをありがとうございました」
『どういたしまして。身につけておくといい。きっとニナを守ってくれる。じゃ、スパイク、その子のことは一年の猶予があると承知したよ』
話し合いは終わり、スパイクさんは空中で何かをつかむような動作をして、会話を終わりにした。師匠の緑の小鳥も少しして消えた。
「では一年後にフレッドに決めさせるということで。魔法協会にはそう報告します」
「はい。来年の六月二日、ですね。その日にフレッド君に決めてもらいます」
スパイクさんは納得して帰り、私はちょっと脱力した。
今後はフレッド君を手元に置いて育てたいなら、私が魔法の知識をフレッド君にしっかり授けて、実績を積めばいい。
レクスさんがとても嬉しそうだ。そんなにフレッド君を気に入っていたんだねえ。
「よし、僕たちには一年の猶予ができた。ニナは大変だろうから、僕にできることはなんでも協力するよ。それと、魔法の知識を僕も知りたいから、フレッドに教えるときは僕に見学させてくれる?」
「どうぞ。まずは知らせの鳥からですね。見学は小説の材料にするためですか?」
「そうだね」
さて、私には知識だけはたっぷりあるが技術はない。
不安がないと言ったら嘘になるけれど、全力を尽くすのみだ。