36 師匠からの手紙と失せ物探し
今日から六月だ。陽射しが強い。
仕事から帰ると、レクスさんが手紙を渡してくれた。差出人はラングリナ・エンド。師匠からだ。
受け取ったその場で封筒の端をビリビリと指先で破って開けた。
便箋と銀色の薄くて丸いものが入っている。便箋には、師匠ののびのびした字が並んでいた。
『ニナ、元気かい?
魔法協会がニナを魔女と認定したと知らせの鳥が来た。ニナのところへは誰かが知らせに行ったことだろう。
おめでとう。これでニナも魔法協会の一員だ。
私がニナは魔女だと言い続けていたのに、今まで魔法協会の連中がモタモタしていて認定が遅れた。
待たせて申し訳なかったね。これでやっとニナも正式に魔女だよ。
私たちは数少ない魔女であり魔法使いだ。神から与えられた力を無駄にせず生きてほしい。
自分を卑下せず驕らないように。
同封したのは庭のナスタチウムの葉を銀メッキしてもらったものだ。隣町に銀メッキの工場ができたから頼んで作ってもらった。ニナの身を守ってくれることを願って私の『祝福』を封じておいた。
魔法協会に登録されたお祝いだよ。
手紙は町まで切手を買いに行くのが面倒だし、電報はどうも苦手だ。電話はもっと苦手だ。たぶん死ぬまで電話は引かないよ。
追伸。新しい弟子は逃げ出した。有望な魔女候補だったが、その気がない者に魔女修行は務まらないから諦めた。ニナは今後も人と触れ合いなさい。元気でね。 ラングリナ・エンド』
手紙からは懐かしい魔法薬の香りがした。目を閉じて胸いっぱいに香りを吸い込んだ。
「師匠からでした。魔女認定おめでとうって。それと、これはお祝いのナスタチウムの葉っぱです。昔は切り傷なんかにすり潰して塗ったそうですが、今は薬事法があるので……」
「魔法使いが法律を気にするの?」
国を敵に回したら存在を潰されるから、とは言えなかった。
「今は湿布ということにしています。師匠は身体を強くすると言って、生で食べたりスープに入れたりしていますね。その葉っぱを銀メッキしてもらったそうです。紐を通す穴が開いているからお守りとして身につけます」
「銀メッキ? 魔女はそういう品にも拒否感を持たないんだね」
「師匠は新しい物が嫌いではないですね。ただ、手紙は面倒だし電報と電話は苦手だそうです。魔法のこと以外は面倒くさがるから。それと……新しい弟子は逃げ出したみたい」
そう言うとレクスさんが、メガネの奥で何度かまばたきした。
「師匠は諦めたそうです。レクスさん? どうかしましたか?」
「いつだったか、弟子が来たのと入れ替わりに師匠の家を出たって言ってなかった?」
「言いました」
「じゃあ、その弟子がいなくなったら、ニナはモーダル村へ帰るの?」
「帰りません。私は師匠から学ぶべきことは全部学びました。魔法は使えなかったけれど、もう自立しなくてはいけないんです」
レクスさんが「そうなんだ」と言ってから静かに息を吐いた。
あの少女は逃げ出した。師匠は一人暮らしってことだ。師匠はちゃんと身の回りのことができているのだろうか。
考え事をしながら自分の部屋に入ったら、すぐにフレッド君が入ってきた。
「今日は何をして遊んだんですか?」
「じをならってた」
「ジェシカさんに?」
「レクスに」
そうなんだ? 小説を書くのと研究と投資で忙しいでしょうに、頑張ってるなあ。
「オレはもう、なまえがかける」
「見たいです。私に書いて見せてください」
「しかたないなあ。みせてやるよ」
私のノートを一枚破ってペンと一緒に渡すと、フレッド君は「フレッド」と書いてくれた。
「まあ、こんなもんだ」
「上手。すごいすごい」
鼻の穴を広げて自慢そうなお顔が可愛くて、思わずほっぺにキスをした。
するとフレッド君は「やめろよぉ」と言いながら嬉しそうだ。あんまりかわいいので抱っこしてグルグル回ったら、キャッキャと笑う。普段は大人びたことを言うけど、やっぱり可愛い五歳児だ。
笑っていたフレッド君が、「ニナ、きゃくだ」と窓の外を指さした。
男性が馬車から降りて大股でお城に向かってくる。
あれは……グランデル伯爵家三男の、ルパートさんだ。
「あの人は私に用事だと思います。ちょっと行ってきますね」
私が玄関に着くのとドアがノックされるのが同時。
「いらっしゃいませ、ルパート様」
「ああ、ニナ。いてくれて助かった。急で申し訳ないんだけど、うちの屋敷に来てほしい」
「今からですか?」
「うん。おばあさまのことで、父上がニナに占ってほしいらしい。おばあさまの意識があるうちに来てほしいんだ」
「バッグを持ってきます。少々お待ちください」
「悪いね」
階段を駆け上がったら、レクスさんが部屋から出てきた。
「出かけるの?」
「はい。仕事です。今夜はあるもので食べていただけますか」
「わかった。フレッドのことは心配しないで行っておいで」
「ありがとうございます」
フレッド君も「オレのことはきにすんな」と送り出してくれた。
グランデル伯爵家のお屋敷に到着すると、「こちらです。急いでください」とメイドさんが案内してくれた。
案内されたお部屋には、ベッドに横たわる老婦人。
ベッドのすぐ脇には少し痩せたグランデル伯爵と夫人が寄り添っていた。ルパートさんとご兄弟らしい若者も二人、ベッドを囲んでいる。
グランデル伯爵は手術をしたばかりのはずだけど、自宅で療養しているのか。
伯爵が私に話しかけてきた。
「ニナ、急にすまない。母の意識が朦朧としてきてね。『鍵』と繰り返しているんだよ。なんの鍵なのか、どこにあるのか、さっぱりわからないんだ。占ってくれるか?」
「はい。失礼します」
老婦人の呼吸が浅くて速い。こうなるともう残り時間が長くないことを、私は老人が多いモーダル村で学んだ。
伯爵夫人がご自分の隣のスツールを手で示したから、遠慮なく座って老婦人の手を取った。
記憶がゆっくり流れ込んでくる。鍵を意識しながら記憶を見ていると、古そうな鍵の記憶があった。鉛色の小さな金庫にその鍵を差し込んで回し、手紙の束をしまっている。
この鍵と小さな金庫はどこにあるんだろう。
流れ込んでくる記憶の大半は薄れてぼやけ、作りかけのジグソーパズルみたいになっている。
実際は作りかけではなく、完成している記憶からピースが抜け落ちているのだ。
だが、はっきりしている記憶もある。
若き日の御主人がよちよち歩きの男の子を抱きあげて笑っている。この子はグランデル伯爵だろう。
結婚式のお披露目会で二人が皆の前で踊っている記憶や、湖でボートに乗って旦那さんと笑い合っている記憶もある。
この老婦人は今、過去の幸せな記憶の中にいる。
幸せな人生の終え方だなと思ったら、グッと涙が込み上げてきた。
だめだ。仕事中に泣くな。鍵を探さなきゃ。
鍵はどこにしまったんだろうか。記憶が消える前に探さないと。
(あっ! あった! 抱き人形のおなかの中だ)
「金髪で巻き毛の、青い目の抱き人形のおなかの中に、古い鍵があります」