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34 恋愛小説家の恋 ✤

タイトルに✤印がついている回は視点が変わっています。

 フレッドの初魔法祝いでパイを買った翌日、ジェシカが都合でニナが帰る前に帰った。

 夕方になってレクスはベッドに横になった。寝不足で目がしょぼしょぼしていたし、猛烈に眠い。

 

 今書いている小説の行方についてまだ迷っているが、もうそろそろ決断しなくてはならない。

 結末への道筋は二通り考えてある。

 ウィリアムが勧める幸せな終わり方と、過去に書いてきたような悲しい結末。


 レクスの小説に出てくる魔女は工業化された世界の中で魔法の力で生きていこうとするが、挫折を繰り返している。そしてそのたびに傷つく。

 魔女と暮らしている貴族の若者は、世の中の変化の波を乗り越えるためにもがいている。じりじりと没落という引き波に飲み込まれつつあった。

 二人は挫折と没落という逆風の中で手を取り合い、次第に距離を縮めていく。

 なかなか面白く書けていると自負しているが、問題は現実のほうだ。


 ニナは他人の記憶を読む能力で着々と顧客を増やしている。

 自分は投資で実績を積み、そこそこ豊かに暮らしている。経済的に自立しているし次男だから没落の影響は少ない。

 二人とも順調で、自分とニナには互いを思いやって手を取り合う場面がない。

 そしてニナはロルフや魔法協会の男に自分を紹介する時、「大家さん」と清々しく言い切っていた。


「大家さんか……。その通りなんだけど、友達ですらないのか?」


 世間の恋人たちは、本当に恋愛小説のような甘ったるい言葉を相手にささやくものなのだろうか。

 どんな手順で親しくなったのだろうか。

 レクスは恋愛をしたことがない。そもそも女性と顔を合わせる機会がなかった。

 幼い頃は家庭教師に教育を受け、その後は男子校に入った。八歳から大学を卒業するまで、周囲は男子だけだった。

 友人たちは女性と出会うために頻繁にパーティーに参加していたが、レクスはパーティーが苦手だった。


 若い女性がクネクネしながらしゃべる様子も、上目遣いで愛想笑いをされるのも、胸の谷間と腰の細さを強調するドレスも、どれも魅力を感じなかったし居心地が悪かった。

 そんなレクスを心配してパーティーに誘い続けてくれたのがウィリアム・クリステンセンである。

 ウィリアムは子爵家の四男で、何代か前に他国からこの国に移り住んで武功を挙げた軍人の子孫だ。

 四男である以上自立せねばならず、それがウィリアムの活力源になっている。


 糸杉の森を抜けて入ってくるエンジンの音がした。

 ベッドから起き上がって窓の外を見ると、ウィリアムの車だ。


「原稿の催促かな」


 学者としての研究もあって、小説の進みは当初のスケジュールより遅れ気味だ。グレーのウールのスラックスに白いシャツ、レンガ色のカーディガンという気さくな服装で、レクスは階段を下りた。


「よお、レクス。励ましに来たぞ」

「ありがとう。助かるよ。お前の意見を聞きたいと思っていたところだ」

「大丈夫か。お前が俺の意見を求めるなんて、初めてじゃないか。具合が悪いのか?」

「体調はいいよ。ウィリアムは今、恋人がいるのか?」

「今はいない。ニナを狙っているが、今のところ断られ続けているな」


 レクスは(まだニナを狙っているのか!)と思ったが顔には出さない。


「原稿は進んでるのか?」

「やっぱり幸せな結末がいいんだろうか?」

「そりゃあそうだよ。そっちの方が絶対に売れる。多くの人に読んでもらってこその出版だよ」


(そりゃそうだよなあ)


「なあウィリアム、お前は『大家さん』て言葉にどんなイメージを持ってる?」

「大家さんは大家さんだろ? 明確で余白も余韻もない。ん? ん? あれえ? お前もしかしてニナに大家さんて言われるのが気に入らないのか?」

「まあな」

「そうかぁ、難攻不落と呼ばれたお前も、ついに女性に興味を持ったか」

「興味ではない。難攻不落なんて言われたこともない」

「興味だし、言われてたんだよ。そうかぁ、恋愛未経験の恋愛小説家がついに恋を知ったか。いいことだよ。これで小説に深みが出る」

「お前にニヤニヤされると腹が立つな」


 ウィリアムは、それを聞いていっそうニヤニヤした。


「興味を持ったニナに、大家さんとしか思われていないんだな? ははは。苦しめ苦しめ。思い通りにならない恋に苦しむがいい。パーティーに参加しないくせに、あちこちのご令嬢に惚れられた報いを受けるがいい」

「報いってなんだよ。僕が悪いことをしたみたいな言い方をするな」

「はあ? 俺たちみんなが憧れていたジュリエッタ・バサースト侯爵令嬢を泣かしただろうが」

「ジュリエッタ? ああ……あの握りつぶせそうなほど華奢な人か」


 レクスがわずかに不快そうな顔をするのを見て、ウィリアムが呆れた。


「彼女はお前に夢中だったのに、お前は完璧に相手にしなかったよな?」

「夢中になられた記憶がないんだが。僕は言い寄られていたのか?」

「うわあ。冷酷鈍感人間め。彼女と結婚したら美女が妻になるだけじゃないぞ。一生裕福に暮らせたのに」


 ジュリエッタ・バサーストを思い出そうとすると、片手で握りつぶせそうな細いウエスト、やたら寄せて盛り上げている胸のふくらみ、濃い香水の香り……しか思い出せない。包装紙で何重にも包まれた崩れやすいお菓子みたいな人、という印象だ。


「ニナのどこに惚れたのか、短い文章で答えろ」


 レクスは「断る」と即答したが、心の中でニナのことを思い出した。


 清々しい笑顔。諦めと希望が同時に存在している青い瞳。亜麻色の柔らかそうな髪。

 料理をしているときの真剣な横顔。

 焦げたミートパイの具を食べていた時の険しい顔。

 魔女に認定されて嬉し泣きしていた時の濡れたまつ毛。

 ピカピカ光るリンゴみたいな頬。

 素のまま無防備に生きている人。


(ニナのことならいくらでも思い出せるな)


「恋というのはな、レクス。相手のことをいくらでも思い出せるし、忘れないし、もっともっと知りたいと思うことだよ。灼熱の砂漠を歩いているときに、冷たい水を見せられた時のような、欲しくて欲しくて思わず手が出るような、そんな感じだ」

「へえ……。お前とは長い付き合いだが、今初めてお前の表現力に感心した」

「相変わらず失敬な男だな」

「書いてみるよ。砂漠で冷たい水を見たときのような感情を。そして冷たい水を飲み干した男の気持ちを」

「ハッピーエンドってことか?」

「ハッピーエンドってことだ」


 ウィリアムが「よぉし! これで売り上げは保証されたようなもんだな」と言って拳を握った。

 そして勝手に台所をあさり、ワインとグラスを居間のテーブルに置いた。


「前祝いだ。飲もう」

「お前は僕に小説を書いてほしいのか邪魔したいのか、どっちだよ」

「俺はお前に成功してほしい。お前は多くの読者を幸せにする恋愛小説が書ける男だ。そして俺を出世させる男だ」

「お前の出世は知らん」


 結局、レクスはウィリアムとワインを三本飲んだ。二人で三本は、レクスにはなかなかの量だ。

 このところ夜遅くまで小説を書いていたのもあって、レクスは居間のソファで眠ってしまった。

 そこへニナが帰ってきた。ニナを出迎えたフレッドが鼻にしわを寄せてへんな顔をしている。


「おかえり、ニナ。レクスはねてるぞ」

「そうですか」

「よっぱらいだ。こっちだぞ」


 ニナが買い物の袋を抱えてリビングに入るとレクスは長椅子で眠っていて、ウィリアムはワインを飲んでいた。


「おかえり、ニナ。君の大家さんは眠ってるよ。初めてのつらい経験に悩んでいるらしい」

「つらい経験をしたんですか?」

「そうだよ。どんな経験かは親友としてバラせないけど」

「そうなんですか。このままだと風邪をひきそうですね」


 ニナはそう言うと二階に上がり、毛布を抱えて下りてきた。眠っているレクスに毛布を掛け、頭の下にクッションを差し込んでいる。

 ウィリアムはほのぼのとした気持ちでニナの様子を眺めていた。

 

(誰のことも愛さずに一生一人で生きるのかと思っていたけど、レクスは案外幸せになれるかもな。ニナに気づいてもらえれば……の話だが。ニナはレクス以上に難攻不落な感じだけど)


「似た者同士は案外、ね」

「似た者同士?」

「なんでもない。そろそろ帰るわ」


ウィリアムはバスで帰るのでご安心を。

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― 新着の感想 ―
バスで帰ることに安心しました。
突然車を置いていかれても困らない住環境が羨ましいです。 森の小道の奥の小さなお城でしたっけ。 畑のある庭の隅にクラシカルな自動車が駐まっていて…良いなぁ。
難燃性素材のものって、いったん燃えるとなると凄い高温になりどんだけ消そうと努力したって続け燃え尽きるまでずーっとくすぶり続ける。 レクスさん、もうすっかり火がついちゃっているようですよ。 アルコールを…
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