32 物語は意外なところで繋がる
「レクスさん、マクシミリアン様は?」
「帰ったよ。ニナによろしくと言っていた。それより、なぜそんなに泣いているの?」
そう言いながらレクスさんがスパイクさんを睨んでいる。それなのにスパイクさんは、「面白いことになった」みたいな顔をして私とレクスさんを眺めている。
「彼はニナの白馬の王子様なのかな?」
「いえ。確かに王子様みたいな外見ですけど、大家さんで伯爵家の御令息です」
レクスさんが「ニナ?」と言って上から私の顔を覗き込んだ。
「はい、レクスさん」
「何があったのか、なぜ泣いているのか、僕に説明してほしい。何かされたわけじゃないだろうね」
レクスさんの顔が怖い。誤解を解かなきゃと思っていたらスパイクさんが立ち上がり、私とレクスさんにとても上品な仕草でお辞儀をした。
「では私は失礼するよ。ニナ、おめでとう」
「待ってくれ。何があったのか僕に説明……」
レクスさんが言い終わる前に、スパイクさんは「じゃ」と言って帰ってしまった。
私とレクスさんは絶句して顔を見合わせた。すぐに外で馬の足音がするから二人で窓に駆け寄ると、スパイクさんが黒い馬に乗って去っていくところだった。スパイクさんは背中を向けたまま手を振って、糸杉の小道を進んで見えなくなった。
「あの方は魔法協会の人で、私が魔女認定されたと報告に来てくれたんです」
「魔女と認定されたの? 今日?」
涙でべしゃべしゃの顔のままうなずいた。
「なるほど。ニナは認定されたかったんだね」
「え?」
「ニナは魔法を使えないと言っていたけど、君の能力は僕からしたら魔法だ。でもニナは協会の人に認められないことが不安だったんだね」
レクスさんがハンカチを取り出し、とてもやさしい顔で私の涙を拭ってくれる。
「僕だけでも、『君は魔女だよ』って言い続ければよかったね。気の利いたことを全然言えなくて申し訳なかった。恋愛小説の中でなら優しいセリフをいくらでも書けるのになぁ」
「レクスさんが謝る必要はないですよ」
「魔女と認定されてもされなくても、ニナの能力の素晴らしさは変わらないんだ。でも、ニナは認定されることにこだわりがあったんだね」
「魔女と認定されることを、子供のころから願い続けていましたから」
レクスさんが私の指輪に気がついた。
「その指輪、さっきの人に貰ったの?」
「はい。これは魔法使いの印です」
「面白いねえ。こんな面白い世界があったとは。そうだ! 僕が結婚する時はニナがここを出てフレッドを育てるって言っていたね。あれはどういう意味?」
レクスさんがちょっと納得いかないような顔をしているけど、恩着せがましく聞こえたら嫌だから説明したくない。
「僕のことをフレッドを育てる仲間とか、同志とか、そんなふうには思っていないってことかな?」
「オレのニナをなかすな!」
フレッド君の叫び声がした。
フレッド君が頭からレクスさんの体にドン! と突っ込んで、レクスさんが「うっ」と呻いた。
レクスさんが「フレッド、暴力は良くないぞ」とぼやいたが、フレッド君は怒っていて聞いていない。私たちの間に割り込んでから私に抱きついて、心配そうな顔で私を見上げた。
「ニナ、だいじょうぶか? レクスに叩かれたのか?」
「レクスさんは叩いたりしません。泣いているのは嬉しいからなの。大丈夫、心配しないで」
「それならいいけどな」
フレッド君がそう言って私の手を引っ張る。引っ張られるまま歩いていると、フレッド君についてきたらしいジェシカさんがピュウッと口笛を吹いた。
「可愛い白馬の王子に導かれるお姫様って感じね」
「あはは、ありがとう」
泣き笑いしていたら、背後からレクスさんの声が響いた。
「ニナ? ちょっと待って。話が途中だ」
「ニナにはオレがいるぜ」
「うん。そうね。フレッド君がいるね。そういうことなんで、失礼しますね、レクスさん」
「くんはいらない。オレのことはフレッドってよびな」
「わかったわ、フレッド」
「それでいいぜ」
フレッド君は私の手を引いてティールームに入ると、私をソファに座らせて私の前に立った。
「さっききたおじさんは、オレのことできたんだろう?」
「マクシミリアン様のことね。フレッドは心配しないでいいの。私とレクスさんがフレッドを守るから」
「おれのせいで、みんながこまる。ニナもこまるな」
まだ五歳なのに、わかってるんだね。賢い子だからね。
「フレッドは何も悪くないわ」
「オレのせいだよ。オレがへんなことするからかあちゃんもいなくなったんだろ?」
「変なことって?」
「かあちゃんはこわいっていってた」
何の話? 怖いって何?
心の中で、何かが騒ぎ始めた。なんだろう。目に入っているのに気づかなかったことがあるような。
フレッド君がチラリと視線を動かした。フレッド君の視線の先を見て、(あっ! そういうことか!)と気がついた。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
ドアのところで覗いていたジェシカさんに「フレッド君をお昼寝させるわ」と言ってドアを閉めた。ついでに鍵も。
「ねえフレッド、あなたのお母さんが怖がったことを、私に見せてくれないかな」
「やだ。ニナもこわがる」
「怖がらないわよ。フレッドのお母さんが怖がったのって、これのことじゃない?」
ワサワサと茂っている鉢植えをひと鉢、手に取った。元気に茂っているローズマリー。そして私の過去で一番の成長っぷりの、ティールームの鉢植えたち。
春になったから茂ったと思っていたけど、違うんじゃない? 畑だってそう。あんなに立派に育てられたこと、今までなかった。
だとしたら、フレッド君のお母さんが我が子を手放した理由は……。
「お願い。見せてほしい」
「こわがらないって、やくそくするか?」
「怖がらないわよ。約束する。見せてよ」
「じゃあ……みせる」
フレッド君が鉢植えのローズマリーの上に両手をかざした。
「おっきくなぁれ」
フレッド君が言い終わった直後、私が持っている鉢植えのローズマリーが踊るように動き始めた。ユラユラと枝をくねらせ、少しずつ上に向かって伸びている。新しく伸びた枝に小さな芽が誕生し、それもまたゆっくりゆっくり葉になっていく。数分間、ローズマリーはうねうねと動き続けた。
ローズマリーの動きが止まった時、どの枝も二センチくらい伸びていた。
私が茫然と鉢植えを眺めていたら、フレッド君が「ニナ?」と心配そうな声を出した。
私は鉢植えを床に置いて、全力でフレッド君を抱きしめた。
「すごい。すばらしい! 最高!」
「こわくないのか?」
「怖くない。これ、私ができなかった植物成長魔法よ。修行もしていないし五歳なのに! 畑でも『おっきくなあれ』って言っていたのね?」
「うん」
少し緊張していたフレッド君は、私に抱き締められているうちにクタリと力を抜いた。
こんなことがあるんだね。十七年間修行してもダメだった私のところに、魔法使いの卵が現れた。植物成長魔法を、もう習得している。
耳の奥で、別れの日の朝に師匠が言っていた言葉が甦った。
『ニナ、物語は意外なところで繋がるものだよ。諦めないで物語を読み進めなさい』
あの言葉は、こういうことを意味していたのだ。
小さな音でドアがノックされた。
「はい?」
「ニナ、ちょっといいかい?」
フレッド君を見たら、フレッド君が必死に首を振っている。言わないでってことだろう。
「私はレクスさんを世界で二番目に信用しているの。レクスさんは絶対にフレッドを怖がらない」
「せかいでいちばんめは?」
「私の師匠。私のお母さんみたいな人」
「じゃあ、オレもレクスをしんじる」
またノックの音。「はい、今開けます」と返事をしてからドアを開けた。
「もう落ち着いた?」
「はい。落ち着きました。レクスさん、私の魔女認定以上の大きなお知らせがあります」