31 魔法協会のスパイクさん
「どういう思考の過程を経てここを出て行くという結論になったのか、説明してくれる?」
「えっと。説明すると長くなるからいいです」
「いやいやいや、そこはぜひ説明してよ」
ドアが開いてフレッド君が顔を出して「どうしたんだ?」と言ったので話はそこまでになった。長い説明をしなくて済んで助かった。
夕方、アシャール城を訪れたマクシミリアン様は疲れて見えた。
フレッド君はジェシカさんと私の部屋で遊んでいるよう、レクスさんが指示を出した。
「レクス、本当に世話になったな」
「大丈夫ですよ。フレッドのことなら、僕が育てますのでご心配なく」
「そうはいかないよ。いい施設を見つけたんだ。フレッドはそこに預けよう」
「いいえ。僕が育てます。兄さんは僕が施設から引き取って育てていると思えばいいんです」
「そんなわけにはいかないよ!」
「いくんですよ。僕はフレッドの幸せそうな顔を見ていると、自分の子供時代が救われるような気がするんです。記憶を置き換えているような、子供時代をやり直しているような気分になる。変なことを言っている自覚はあります。でも、本当です」
私はレクスさんの言葉に驚いていた。
記憶の置き換えは、実際にある。しかもそれほど珍しくない。
四歳の少年の中で金色の懐中時計が宝物に置き換わったように、人は記憶を書き換えることがある。
人の記憶を見ている時に(そんなはずないよね?)と思う記憶をじっくり眺めていると、不自然な記憶の外皮がつるりと剥がれて本当の記憶が顔を出すことは、何度も経験した。
「本気なのか?」
「ええ、本気です」
「そうか。それなら養育費は私が負担しよう。レクスが育てるなら、そのほうが私の気が楽だ。ニナ、君にも世話になるね」
「私も子育てを楽しんでいますので、ご安心ください」
私がそう答えてもマクシミリアン様はまだすっきりしないお顔だ。
「我が子でさえ子供を育てるのは大変なんだ。他人の子ならなおさらだぞ? 反抗的になる時期もあるだろう。そうなってからフレッドを施設に預けたら、あの子はいっそう傷つく」
「反抗期が来ても手放しません。覚悟の上です」
これで一件落着だ、と思ったところでエントランスに真っ黒な馬に乗った人が入ってきた。
「誰だろう」とレクスさんが立ち上がり、私も一緒に玄関に向かった。
黒い馬に乗ってきた男性は黒いスーツに黒いネクタイ。年齢は三十代。銀色の髪は豊かで、水色の瞳の持ち主だ。
男性はひらりと馬から降りて、私たちに会釈をした。
「スパイク・ローガンと申します。ここにニナ・エンドさんはいらっしゃるでしょうか」
「私がニナです」
「君がニナか。突然の訪問で申し訳ない。一刻も早く君に知らせたくてね」
そこでスパイクさんがチラリとレクスさんを見た。
「ニナ、君と二人で話をしたいんだが」
「今、来客中なので、ええと」
家具に白い布がかけてある部屋では失礼だろう。どうしようか。
「僕の部屋を使って」とレクスさんが助け船を出してくれて、私とスパイクさんはレクスさんの部屋に入り、ドアは開けておいた。
「事前に知らせの鳥を送ろうとしたのだが、送れなくてね」
「私は魔力がないので……」
知らせの鳥は相手の魔力を目印に飛ぶから、送れないよね。
「魔力がないのかい? 僕は魔法協会で使いっ走りをやらされているだけで、詳しいことは知らないんだ。だが、ラングリナから魔法協会に『記憶を見る魔女』として届けが出ているはずだ」
「私は魔法が使えません。魔女ではなかったんです」
「おやおや? ラングリナほどの魔女が見誤ることはないと思うけど?」
スパイクさんが澄んだ湖みたいな淡い水色の瞳で私を見て、微笑んだ。感じのいい人だ。
「魔法が使えないのは本当です。魔法薬の作成も植物への成長魔法も魅了魔法も、なにもできません」
「ふむ。では、念のために『記憶を見る魔女』である君の得意技を見せてくれる? 私はロルフのような鑑定はできないんだ」
「わかりました。では、スパイクさんの手をお借りします」
スッと差し出されたスパイクさんの右手の中指には、本人の瞳と同じ色の石がついた指輪がはめられている。私の瞳も青いが、私よりも淡い青だ。
(素敵な指輪ね)と思いながらスパイクさんの手を自分の手で挟んだ。
スパイクさんから流れ込んでくる記憶は、今まで見たどんな人の記憶とも違っていた。
この国が戦いに明け暮れている時代の景色。はるか昔の衣服を着た人々。整備されていない荒れた道と古風な建物。やや現代に近い服装の人々が、若い国王の即位を広場や通りで祝っている景色。
それらがスパイクさんの視点で記憶されている。
驚くことに、二百年以上前の首都の大火で燃え落ちたはずの、有名な教会の記憶もあった。
「スパイクさんは時の流れを遡れるんですか?」
「ご名答。私は過去へ移動できる魔法使いだよ」
「こんな魔法があったなんて、知りませんでした」
「だろうね。僕が知る限り、この魔法を使えるのは僕だけだ」
「スパイクさんだけ……」
スパイクさんは「そうだよ」と言って微笑んだ。
「物事の定義は、時代と共に移り変わる。魔法と魔法使いの定義も例外じゃない。私のような特殊な能力を魔法協会が魔法として受け入れているのがその証拠だ」
「スパイクさんは基礎的な魔法が使えるんでしょうか」
「使える」
なんだ、使えるのね。じゃあ、私とは全然違う。
「話を戻そう。魔法協会の幹部六人全員が『ニナを魔法使いと認める』と判断した。君は『記憶を見る魔女』であり『ラングリナの弟子』として無事に登録された。おめでとう」
「私が魔女……。本当ですか?」
「本当だとも。これがその印だ」
スパイクさんがポケットから指輪を取り出して私の手のひらに載せた。
半球形の透明なガラス玉がついた指輪で、スパイクさんの指輪と同じデザインだ。
「ガラスに見えるけど、水晶だよ。それもただの水晶じゃない。今度は私が君の手を拝借するね」
私の手のひらに指輪を置き、スパイクさんが私の手に自分の手を重ねた。なんの感触もなかったけれど、スパイクさんが手をどけると、さっきまで透明だった水晶が、私の瞳と同じ夏の青空みたいな色に変わっていた。
「指輪は使っても使わなくてもご自由に。邪魔だと言って使わない魔法使いは結構いる」
「私が、魔女」
「そうだよ。ラングリナはそう言っていなかったのかい?」
「言っていましたけど、でも信じられなくて、私はずっと……」
十代前半から「私は魔女じゃないのでは?」と苦しんできたことに、今、答えが出た。
一気に涙があふれて、膝の上に置いた手の上にポタポタと落ちる。スパイクさんが同情するように私の肩に手を置いた。
「古来からの魔法使いの定義に合わないからと、君の登録を反対し続けた人物がいたんだよ。だがその人物もやっと考えを変えたんだ。ラングリナは何度も魔法協会にニナの登録を申請していたんだが、認定は幹部全員の同意が必要でね。認定に時間がかかったせいで君を不安にさせたことは、私も気の毒に思う」
願い続けたことが、現実になった。茫然としてしまって、はしゃげない。
「私、魔女だと名乗っていいんですね」
「もちろんだ。自信をもって魔女を名乗るといい。ニナ、ようこそ我らが異端の世界へ」
「あり、ありがとう、ございます」
青く染まった指輪を握りしめて、私は盛大に泣いた。
何万回試しても魔法は使えなかったけど、諦めなくてよかった。よかった。よかったよ……。
ノックの音がして、開いているドアのところにレクスさんが立っていた。
「ニナ? なんで泣いているの?」
「レクスさん、私、私……」
険しい顔で部屋に入ってきたレクスさんが、私を守るように私とスパイクさんの間に立った。