25 文学の格付け
硬い表情のジェシカさんと台所で二人きりになった。
「どうしたんです?」
「当たっていたの。ニナさんの占いが全部当たってた。私、彼に言ってみたの。あの人と別れてからお付き合いをしましょうって」
「どうなりました?」
ジェシカさんが目を閉じて、「うっ」と声を漏らしたと思ったら、すぐに大粒の涙がポタポタと落ちた。
「絶対にすぐ先輩と別れてくれると思ってた。そして私を選んでくれると思ってた。でも、違ったの。それを言った日から彼は私に素っ気なくなった。目も合わせなくなったわ」
「そうでしたか……」
「それだけじゃないのよ。私が彼女と別れてと言った翌日から、新人のメイドと仲良くしてる」
「それは……元気な人ですね」
「無駄に元気よね。私を好きなんじゃなくて、ドキドキとワクワクが欲しい人だったのよ。全部ニナさんの言う通りだった」
安っぽい慰めの言葉をかける気になれなくて、私は黙っていた。ジェシカさんはさめざめと泣いて、泣いて、泣いて。
最後は大きく深呼吸をして泣き止んだ。
「私、泣いたことに気づかれなくなるまで草むしりでもしてから帰ります」
「ええ、それがいいかもしれません」
ジェシカさんが台所を出て、私一人になった。
彼女はお相手の最後の恋人になることを願っていたけれど、お相手は違ったのだ。
男性はジェシカさんに結婚しようとは言わなかったし、恋人がいることも隠していなかった。
彼が恋人とうまくいっていないのは部分的に本当なのだろう。恋人だってジェシカさんとの関係に気づいていたはずだ。
相手のやっていることは褒められたことではないけれど、私はこの手の話に加害者も被害者もないと思っている。相手に求めるものが違っただけだ。
「大粒の涙だったな……」
私は恋をしたことがない。
恋をして大粒の涙を流すほど誰かを思うには、少女時代から人の心の中を見すぎた。
十代の頃は受け入れがたかったこの手の話を、今は(人間にはよくあること)と思うようになった。
「料理を始める前にお茶を飲もう」
グランデル伯爵の記憶を見たときから、ずっとざわざわしている心を落ち着かせたい。
グランデル伯爵の心の中は、投資先に関する記憶よりも病気への不安を感じている記憶のほうが圧倒的に多かった。
伯爵の腹部にはしこりがある。気づいたのは二ケ月くらい前で、最近そのしこりが触ってわかるほど大きくなった。伯爵はそのしこりのことを誰にも言わず、夫人にさえ隠していた。もう治らないと決めつけ、病院にも行っていない。
だから私は他の人に聞かれないよう、耳元でささやいた。
「諦めるのは早すぎます。まずは病院へ行きましょう。家族の将来のために資産を増やしたいお気持ちはわかりますが、まずは病院へ。そして奥様にしこりのことを打ち明けましょう。病気が進行して手遅れになってからでは奥様が気の毒です。そんなに大切なことを何も相談してもらえなかったと、奥様はその先の人生を悲しみながら生きることになりますよ」
伯爵はそれで理解してくれた。
ティーカップを置いて自分の手を見た。相手の記憶を読めるけれど、助言しかできない手。
病に効く魔法薬を作れたら、もう少し気が楽になるだろうけど。
「夕飯を作ろう。手を動かそう、動いて忘れよう」
クヨクヨしたって魔法は使えるようにならない。気が滅入ったらフレッド君が描いた絵を見せてもらって、二人で一緒に野菜を収穫して、料理をしよう。フレッド君は野菜を眺めるのも収穫するのも大好きだ。
野菜を刻み始めたところでフレッド君がしょんぼりと台所に入ってきた。
「あら、どうしました? 元気がありませんね」
「ニナ、ジェシカにおこられたのか?」
「怒られてないから安心してくださいな。おなかは空きましたか? 今夜はお肉たっぷりですよ。もう少し待っていてくださいね」
「いいな。ぜいたくだな」
そこへレクスさんも入ってきた。何か言いたそうな顔だ。もしかしてグランデル伯爵家での占いのことだろうか。
でもあれは言えない。命に関わることだから、なおさら言えない。
だから私はニコッと笑うだけにして、カゴを持って畑に向かった。フレッド君もついてくる。
庭ではジェシカさんが目の周りを赤くして草むしりをしていて、私に気づくと恥ずかしそうに笑った。
「ジェシカさん、もし予定がなければ、夕飯をうちで食べていきませんか? 今日はたくさん買い物をしてきたの。お菓子も買いました。クルミたっぷりのパウンドケーキです」
「クルミのパウンドケーキは私の大好物よ」
「じゃ、決まりですね。フレッド君、ニンジンを抜いてくれますか? 抜き方を覚えてますか?」
「おぼえてるぜ。まかせろ」
よし、今夜は四人で夕食だ。大きなカゴにたくさんの野菜を入れて、台所へ戻った。
今夜は香草の香りを付けた骨付きラムのオーブン焼きと野菜サラダ、パン、野草茶だ。
レクスさんにジェシカさんの同席の許可を貰って、四人での夕食になった。
フレッド君は骨つき肉を食べるのに苦労しているが、味は気に入っている様子。
ジェシカさんが穏やかな表情で私に話しかけてくれた。
「美味しい。ニナさんは料理が上手ね」
「ありがとう。でもハーブを添えてオリーブオイルをかけて焼いただけなんです。新鮮なハーブを使っているから香りがいいのかも」
「なるほど。畑の作物がどれも元気でしたもんね。なにか育てるコツがあるんですか?」
「特にはないんです。ここの土がいいのかしら、驚くほど野菜と香草の成長がいいの」
そのあとはフレッド君の絵が上手いという話題で盛り上がった。
実際フレッド君はお絵描きの腕をメキメキ上げていて、最初は犬や猫を描いていたが今はお城の絵をせっせと描いている。
それが五歳児にしては上手なのだ。三人でほめそやしたら、フレッド君も嬉しそうだ。
「オレ、うまいの?」
「上手いよ。才能がある」
レクスさんが即、そう言った。その返答の速さにちょっと違和感を持つくらいの即答だ。そう思っていたら、レクスさんが説明してくれた。
「僕は子供のころからお話を書くのが好きだったけど、父はそれを酷く嫌がってね。僕は褒めてほしいと思っていたから、上手いと思ったら褒めるようにしているんだ。相手が大人でも子供でも、その場で褒めるようにしているんだ」
「どうしてレクス様のお父様は嫌がったのでしょう。お話を書けるなんてすごいことなのに」
「父の中で、文学にはっきりとした格付けがあるんだ。高尚な文学は歴史書、哲学書、詩、古典文学の研究書。中間は社会小説。軽薄とみなされるのは娯楽小説、つまり恋愛小説や冒険小説のことさ。少年時代の僕が書いたのは冒険小説だったから、見つかったときは父に激怒されたよ。初めて書いた小説は目の前で燃やされて、みっともないことをするなと叱られた」
レクスさんの目は、遠い日の哀しみを思い出している目だ。レクスさんの心の傷は、食べ物だけじゃなかったんだね。
「ああ、ごめん、楽しい雰囲気に水を差したね」
「いえ。さあ、食後のデザートにしましょうか」
クルミたっぷりのパウンドケーキはみんなに大好評だった。ジェシカさんは野草茶をお代わりしてくれた。
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