19 ジェシカさんの想い人
「では私の部屋か食事室に行きましょうか。恋占いなら、二人きりのほうがいいので」
フレッド君に「離れて」とは言えずにそう言ったのだけど、フレッド君が「オレ、はたけにいく」と言ってさっさと外へ出た。五歳で事情を察したのだろうか。だとしたら気が回る子だ。今後は言葉に気をつけなくては。
二人になり、私はジェシカさんの右手を両手で挟んだ。
「占ってほしいお相手を思い浮かべてください」
「はい」
ちょっと緊張気味のジェシカさんが目を閉じた。
触れている手に意識を集中すると、ザーッとジェシカさんの記憶が流れ込んでくる。
メイド服を着た女性が何人も働いている中で、一人の男性が使用人たちに指示を出している。その人をジェシカさんが何度も見ている。好きなのはこの人ね。
相手の人も使用人で、立場が上。ジェシカさんを見て微笑んでいる。
あれ? でもその男性が別のメイドさんと身体を寄せ合うようにして会話している姿も見ている。周囲のメイドさんたちが誰も気にしていないところを見ると、その男女は皆が知る恋人関係らしい。
それをジッと見ているジェシカさんの記憶が続く。
ジェシカさんは嫉妬して男性の前ですねるけど、男性は言い訳をしている。
「彼女とはもう上手くいっていない」とかね。これ、今まで何度も見たパターンだ。
わりと新しい記憶では、ジェシカさんと男性がキスしている。どういうこと? すでに三角関係なの?
私にここまで知られるとは思わなかったんだろうなぁ。そしてこれは遠回しに言っても伝わらないパターンだ。
「お相手には周囲の人が皆知っている公然の恋人がいますね。相手の男性が二股をかけていることをジェシカさんにどう説明してるのかはわかりませんが『アイツとは別れる。上手くいっていなくてつらいんだ』とか『職場でもめ事を起こすと俺が首になる』などと言っているなら、お相手がその女性と別れるまで待ったほうがいいかと」
「やだ、そんなことまでわかるの?」
「ええ。二股のまま、キスの先も要求されますよ」
ジェシカさんの頬がパッと赤くなった。
「お相手の男性が恋人と別れないままなら、その男性とは……ジェシカさんが望むような結果にはならないと思います」
ジェシカさんがムッとした顔になった。
「彼は私を選ばないってこと?」
「前の女性と切れないうちに次の女性と交際を始める人です。ジェシカさんと付き合っている間に、また別の人と親しくなるかもしれません。新しい恋人とのワクワクドキドキが好きな人は、この先もワクワクドキドキが欲しくなるのです。何歳になっても、たとえ結婚しても」
つまり、相手はジェシカさんじゃなくても別にいいのだ。でもジェシカさんはその人との結婚を夢見ている。
「ふううん。ニナさんは恋人がいるの?」
「いません」
「へえ。恋人がいないのに恋占いができるのね」
あー、失敗したわ。もっと聞いて気持ちがいい言葉を並べてから忠告すべきだったか。
「お相手の方に『あなたがあの人と別れるまで待つ。お付き合いはそれからにしたい』と言ってみてください。あなたが手を握らせずキスをさせなくても、お相手が本気なら身ぎれいになってから駆け付けてくれます」
「じゃあ、ニナさんは彼の気持ちは遊びだって言いたいの?」
「本気の部分も少しはあるでしょうが、遊びの可能性が高いと思います」
「そう」
不満そうな顔になったジェシカさんは、その日一日私を避け、夕方までフレッド君の相手をしてから帰った。
フレッド君は元気いっぱいで「ニナ、おえかきしようぜ」と言っていたが、私が居間の掃除をしている最中にクレヨンを握ったまま、こくりこくりと舟を漕ぎはじめた。
「二日続けて夕食を食べられないのは困りましたね」
「環境が急変したから、この子なりに気を張っているんだろうね」
「早い時間に夕食を食べさせたいですが、私の帰りがどうなるかわからないから……。明日は出勤する前に、この子の夕食を作り置きしておきます」
「いや、いいよ。明日は夕食を外で食べよう。夕方にジェシカとフレッドを乗せて、ジェシカを送り届けてから公園に行くよ。フレッドもそのうちここの生活に慣れて、起きていられるようになるさ」
そうね。フレッド君に気分転換をさせてあげたい。
「わかりました。私は公園で待っていればいいですか?」
「いや、公園のすぐ近くにスノードロップという名前のカフェがあるの、わかる?」
「わかります」
「そこで待っていて」
「はい」
そのカフェはロルフミルク店の近くだ。
あれ以来、なんとなくロルフさんの店を避けている。また師匠の話題になれば自分が魔法を使えないことを言わなければならない気がして、別のミルク店を利用している。だが、この際仕方ない。
その夜は家にある材料で夕食を作った。前日からタレに漬け込んでおいた鶏肉を、ジャガイモやニンジンと一緒にオーブンで焼いた。皮はパリパリ、肉はジューシーだ。
「いい感じに味が染みてますね」
「美味しいなあ。これも師匠に習ったの?」
「いえ、これは小麦農家で読書家のマールさんという人に教わりました。師匠は美味しい料理は好きですが、面倒な思いをして料理するくらいなら不味くても手がかからない料理がいいと思う人でした。塩と香草を入れてグツグツ煮るだけとか、オイルをすり込んで焼くだけとかの『だけ料理』が多かったです。時間を逆算して漬け込むとかは、しない人でした」
レクスさんが「だけ料理か。上手いことを言うな」と上品に笑う。
「村には子供が少なかったのと、師匠が子供の世話をせっせと焼くタイプではなかったので、世話好き子供好きな人たちが毎日誰かしら家に来て、私に家事や世間の常識などを教えてくれました。マールさんはレクスさんの本を何冊も読んでいました」
「へえ、そうなんだ? それにしてもニナは、いろんな人に可愛がられていたんだね」
「はい。いい環境でした」
夕食を食べ終えてもまだ、フレッド君はよく寝ている。
「明日、何を食べたい? この様子じゃ店で食べるのはまだ無理かもしれないな。途中で眠りそうだ。フレッドの好きなものを買って帰ろうか」
「そうですねえ。フレッド君が食べられそうなもので、肉がいいです」
「わかった。いい店があるよ。それと、気になっていることがあるんだけど。ジェシカと何かあった? 避けられてるように見えた」
「ありましたが、これは言えないんです。レクスさんの占いの内容も誰にも言っていません」
「占ったのか。わかった。あまりジェシカと気まずい関係が続くようなら、メイドを変えてもらおう」
「いえ。そこまでしてもらわなくても大丈夫です」
レクスさんはなにか言いたそうだったけど、何も言わなかった。
本当にメイドさんを交代してもらう必要はない。いずれ私の占いが当たっていたことがわかる。
一年後か三年後かわからないけど、そのときにわかってもらえればいい。
私の言葉が本当だったとわかってもあの男の人を選ぶなら、私が口を挟むことではない。ジェシカさんの人生はジェシカさんが選ぶこと。
師匠は占いの結果を誠実に伝える主義だったし、私もそうしている。
「占いの結果は正直に伝えることにしています。気まずくなっても、嫌われても。相手が望むような嘘の結果を伝えることはしません」
「なるほど。それがニナのプライドなんだね」
「そんなところです」
その夜もフレッド君と一緒に寝た。夜中にフレッド君が寝ぼけて「かあちゃん、ミルクのみたい」とつぶやいたから、人肌に温めたミルクを飲ませた。「何か食べますか?」と聞いたけれど、断られた。眠くてそれどころではないらしい。
フレッド君がどんな気持ちでいるか読もうと思えば読める。けれど、相手が子供であっても相手の了承なしにそれはしない。
5月上旬のお話です。