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15 それもまた私の一部

 私がレクスさんの記憶を読んでいることに気づかれていた。

 顔を合わせた初日にレクスさんの背後を見ていたことだけじゃなく、食事のたびに文字の壁が立ち上がらないのを確認していたことまで。

 レクスさんは私が考えていたよりもずっと鋭い人だった。

 嘘はつきたくないし、そこまで気づかれていたなら力をごまかし続けるのは無理がある。

 だから初日に何を見たか、正直に話した。レクスさんは驚いていた。当たり前だ。


「具体的にどんな文字が見えたの?」

「大きな文字は『全部食べなさい』『食べ終わるまで見ています』『残してはいけません』の三つです。他にもあって、食事や食べ物に関して命令したり禁止したりする言葉ばかりです」


 レクスさんは口元を片手で覆って顔を強張らせている。


「文字だけの壁が立ち上がったのは初めてでした。言葉の壁には、深く傷ついた言葉が現れるんです。レクスさんの心の傷を勝手に見てしまって、ごめんなさい」

「君が見たいと願ったわけじゃないんでしょ? 気にしないで。その言葉は養育係が僕に繰り返し言っていた言葉だ。彼女の指導で、僕は誰かと一緒の食事が楽しめなくなった。でも、ニナと食べる時は忘れていられるんだ」

「傷を刺激するような言葉には気をつけていましたから」


 レクスさんが質問を続けた。


「ミーガン鉄道を選ばなかったのも、その能力で?」

「ええ。レクスさんの記憶を見たら、パーティー会場でミーガン社の人がレクスさんの近くにいました。トラブルが騒ぎになる前に転職しようかなと言っていたんです」

「僕の記憶にあるの? 全く聞いた覚えがないんだけど」

「代表の話に意識を集中していたから、耳に入っていても記憶に残っていないように感じるんです。でも実際は聞き取って記憶しているものです」

「そうなの? いやぁ……ニナの能力はすごいなぁ。実はミーガンに粉飾決算が見つかったんだ。明日の新聞にそのニュースが載るはずだ」

「そうなんですか? ミーガン鉄道の債権を買わなくてよかったですね」

「そうだね。ねえ、他人の心の傷を見るのは、つらくないの?」


 レクスさんの記憶を無断で見たのに、嫌がられるどころか心配された。


「師匠に言われたんです。能力は喜びと苦しみの両方を与えるものだと。つらくて心が押し潰されそうな時は心の痛みを箱に詰め込んで蓋を閉じろ、箱の中が落ち着くまで押さえつけておけと。箱の中で痛みが大人しくなったら、また取り出して眺めろって。実際、そうしていると、いつか痛みは少ししんどいだけの思い出に変わるんです」


 レクスさんが小さくうなずいている。


「面白いな。ねえニナ、君の能力にすごく興味があるよ。ウィリアムのメイドになんてならないで、ここにいてくれないかな」

「ウィリアムさんのメイドにはなりません。この前はっきりお断りしたじゃないですか」

「今日、君とウィリアムが食事をしているのを見たよ。楽しそうだったから、ウィリアムのメイドになるのかと思ったんだけど」

「あれはお昼を誘われただけです。楽しそうに見えたのは、私が初めてお店で食事したからです。近くにいたなら、声をかけてくれればよかったのに」


 レクスさんは「なんだ、そうなのか」とつぶやいて魚の揚げ物を食べている。

 ウィリアムさんの占いの話をする気はない。それは私が守るべき秘密だ。


「食事だけだったのか。ニナが今まで店で食事をしたことがなかったとは。僕も連れていってあげればよかったね。今度一緒に行こうよ」

「いえ、気にしないでください。私、お金を貯めたいので」

「そのくらいご馳走するさ。お金を貯めるのは……ここを出て行きたいから?」

「出て行きたいと思ったことは一度もありません。ご馳走されるのは苦手です」


(優しいレクスさんに『悪いけど出て行ってくれないかな』と言わせたくない。出て行く時は、自分から出ていきたい)


「ご馳走されるのは苦手かぁ」

「お城で暮らすのは毎日楽しいです。それと、レクスさんが美味しそうに食事をしている様子を眺めるのも楽しいです」

「僕のことを心配してくれていたんだね。それにしても、ニナは僕の過去を知っても何も言わなかったね」

「心の傷もレクスさんの一部ですし、『その傷は痛そうですね、私は心配しています』って、わざわざ本人に言うのもどうかと思うので」


 レクスさんがハッとした表情をした。


「心の傷も僕の一部……」

「はい。私は三歳で保護されて、親は警察にも施設にも捜しに来ませんでした。それは私の心の傷になっていますが、その傷も私の一部なので忘れたいとは思いません。もっとも自分の記憶は消せないんですが」

「待った。他人の記憶は消せるの?」

「消せます。でも、それが幸せに繋がるとは限らないから、もうやりません。一度依頼人のつらかった記憶を消したら、いい結果になりませんでした」

「その話を聞きたい。だめかな。名前は聞かないから」

「そういう例がありましたという話だけなら」

「頼む」


 レクスさんが生涯出会わない人だけど、念のために名前や年齢は伏せて話すことにした。


 親に愛されずに育った女性が、結婚して子供を二人年子で授かった。

 我が子をとても可愛がる人で、「絶対に自分のような目には遭わせない。とことん愛して育てる」と言っていた人だった。

 でもある日、「子供を育ててみて、自分がいかに愛されていなかったかを実感した。子供時代の記憶がつらくてつらくて、心を病みそうだ。この記憶を消せるなら消してほしい」と頼まれた。

 心を病みそうではなく、傍目はためにはもう病んでいるように見えた。

 だが一度取り出した記憶は戻せない。そう言ってもその人の旦那さんも「妻を苦しみから救ってほしい。妻のつらい記憶を消してくれ」と、懇願した。


 当時の私は苦しみを取り除くことはいいことだと思っていたから、彼女のつらい過去の記憶を取り除いて瓶に詰めた。

 取り除けるのは直前の記憶か、言葉や記憶の映像が背後に立ち上がるような強い記憶だけだから、彼女に苦しかったことを思い出してもらった。私は後ろに立ち上がった親の言葉や酷い態度の映像を手でつかんでガラス瓶に詰めた。

 

 記憶は実体がないはずなのに、私が触れると手のひらの上で灰色や黒色の液体のようになる。

 手のひらでコロコロと流れるように動く様子は、水銀みたいだった。

 それをガラス瓶の口から流し込んで蓋をする。それだけ。成功したと皆が思った。

 だけど依頼人の女性は人が変わってしまった。

 あれほど子供を慈しんでいた人が、子供への興味を失ってしまったのだ。

 

 後日、「妻を元に戻してほしい」と旦那さんに頼まれた。でも消した記憶を元に戻す方法はない。

 瓶に詰めた記憶は日に日に縮んで、いつの間にか消えていた。

 子供たちは豹変した母親に愛想を尽かし、働けるようになるとすぐに家を出た。


「奥さんはつらい過去があったからこそ子供たちを優しく愛していたんです」

「ニナもつらかったね」


 そうね。つらかった。

 記憶を取り除いた時の私は十五歳で、子供たちが二人とも家を出て行ったのは私が十八歳の時だ。

 依頼人の親子関係を壊したのは自分だと苦しんだ。

 

 師匠に「相手はニナが元には戻せないと言っても依頼してきたのだし、結果がああなることは誰にも予想できなかった。私の読みが甘かった。許可した私の責任だ。ニナには気の毒なことをした」と謝られた。「能力は痛みを伴うものだよ。私にも似たような経験がある」と言われたのはその時だ。

 

「確かにつらかったんですけど、そのつらかった記憶もまた今の私を作っている一部なので。今は受け入れています」

「そういうことか。君の話は実に興味深いな」


 その夜はそこまででそれぞれの部屋に戻った。

 貴族で学者で小説家で投資家のレクスさんは、とても柔軟な思考の持ち主で、優しい人だった。

 


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