12 ローズ・モンゴメリーという作家
五月になった。私の小さい畑は、種から育てた野菜やハーブが青々と茂って食卓を潤わせている。
仕事も順調で、私の占いと失せ物探しの客は着々と増えていた。
魔女ではなかったけど、その分こっちで腕を上げよう。そしていつか師匠に胸を張って挨拶に行くんだ。
ロルフさんの店にはあれから行っていない。私は魔女じゃなかったと真実を告げるべきか、その必要があるのか、判断がつかないでいるからだ。師匠が『記憶を読む魔女』と二つ名をつけてくれたのに、その名を反故にする気になれなくて。
今日は小雨が降っているから、ニンジンと青菜を間引きしただけで朝の畑仕事は終わり。
ティールームの窓から雨の景色を見ていたら、レクスさんがパジャマにガウンの姿で右手に傘、左手に新聞を持って戻ってきた。
レクスさんはスラリと背が高い。
外出するときは濃い茶色の髪をピシリときれいに撫でつけているけど、お城にいるときは洗いっぱなしで前髪を下ろしている。寝起きの今は髪が乱れたままだ。
雨で働きに行けない今日は、納戸と屋根裏部屋を掃除しよう。
二階の納戸に入ったらレクスさんの荷物がたくさん入れられていた。大量の本や荷物は私が仕事をしている間に届けられたらしい。いろんな大きさの木箱が二十箱以上。どれも蓋が開けられていて、本がいっぱい詰まっている。
ほとんどが難しそうな本だし、外国語の本が半分くらいある。でも中には恋愛小説も数冊あった。
恋愛小説はどれもローズ・モンゴメリーの本で、ローズ・モンゴメリーは村のマールさんが絶賛していた恋愛小説家だ。独身時代は都会に住んでいたというマールさんは「ローズ・モンゴメリーの文章は知的で繊細」と私に熱弁していたっけ。
レクスさんはこの作者のファンなのかな。
「まずはハタキをかけますか」
独り言を言い、タオルで鼻と口を覆ってハタキをかけた。
掃除をしていると下から「ニナ! ニナ! ちょっと来て!」とレクスさんの声。
居間では普段着に着替えたレクスさんが新聞を手にして珍しく興奮している。いつも冷静なレクスさんがこんなに興奮しているのは珍しい。
「どうしました?」
「ミーガン鉄道が不渡りを出した」
「不渡りって、小切手を銀行に持ち込んでもお金に替えてもらえないことでしたっけ?」
「そう」
「多角化経営でもてはやされてたのに」
「そうだね」
私の占いは当たっていたみたいね。
レクスさんが台所から紙袋を持ってきて、その中からドーナツをつかんでワシワシと味わうことなく食べている。
貴族なのにそのまま食べるのよねえ。
砂糖やドーナツのかけらが床に落ちるから私が黙ってお皿を出したら、いったんドーナツを置いてくれた。
「ミーガン鉄道は線路を敷設する前に駅の予定地周辺に土地を買っていたんだよ。住宅を建てるだけでなく街造りから手掛けていたんだ。だけど住宅建設で不手際があって裁判が複数起こされていたらしい。多角化経営が本業の足を引っ張った形だ」
「ミーガン鉄道はあれこれ手を広げ過ぎて、十分な専門知識のある人材を集められなかったのかもしれませんね。牛のことは牛飼いに任せろって、牛飼いのリリイさんがよく言ってましたっけ」
レクスさんが少し驚いた顔になった。
「聡明な人は辺境の地で牛を見ていても人間や経済を理解するんだね」
「経済は全く理解していません。それより辺境って。モーダル村はいいところですよ。人より牛が多くて静かだし、肥料に不自由しないから野菜も美味しいし」
「一度モーダル村を見てみ……ん? 誰か来たね。こんな早い時間に誰だ?」
「早いと言っても九時を過ぎていますから」
レクスさんのよりも豪華な自動車が入ってきた。乗っているのは一人だけ。上流階級って雰囲気の男性だ。
「ダンテ鉄道営業部部長のエルス・ストーンと申します。こちらはレクセンティウス・ローゼンタール様のお屋敷で間違いありませんか?」
「私がレクセンティウスです」
「おお、先生でしたか! 初めまして。突然の訪問をお許しください。今回、我がダンテ社のパンフレットに先生のお力をお借りしたく、お願いに参りました」
「あー、そうですか。では中へどうぞ」
パンフレットにお力をお願いってなにかしら。
レクスさんとエルスさんはさっさと居間へと入った。レクスさんは「客はほとんど来ないから応接室は無駄」と言っている。
私がお茶を運ぶと、営業部長の男性が「このパンフレットに短い恋愛小説を」とか「ご婦人がたの心を惹きつける甘い内容で」とか言っている。
なぜだ。レクスさんは比較文学の学者さんでしょ? なのに恋愛小説?
レクスさんは私をチラリと見て、気まずそうな顔をしている。私はその表情の理由がわからないまま部屋を出た。
しばらくして営業部長は帰った。
「ニナ、メイド役をしてくれてありがとう。これ、彼の手土産。高級ブランドのチョコレートだよ。一緒にいただこうか。チョコレートはコーヒーと相性がいいんだ」
「そうなんですか。ではコーヒーをお願いしてもいいですか?」
「うん。任せて」
私は待っている間に台所の床の汚れを濡れ拭きした。床の汚れは早いうちにきれいにしないとね。
「そういえばレクスさん。納戸にある本、私が読んでもいいですか?」
「いいよ。ニナはどんな本が好きなの?」
「ローズ・モンゴメリーの恋愛小説が何冊かあったので、それを読みたいです」
豆を挽くゴリゴリという音が止まった。うん? どうした? と振り返ったら、レクスさんの目が泳いでいた。
「ダメならいいんです。モーダル村の読書家がその作家の本を読んでいたなと思い出しただけなので。すごいですねえ、鉄道会社のパンフレットに学者さんの文章が載るんですね。パンフレットができたら私にも読ませてください」
「そのことなんだけど」
再びゴリゴリと豆を挽きながら、レクスさんが気まずそうな顔をしている。
「ニナになら知られてもいいから言うけど、ローズ・モンゴメリーは僕なんだ。彼はなぜローズが僕だとわかったのかな」
「へ? ……へええ。女性の名前で書いているんですか。あっ! ベアトリスさんから貴族の生活を聞いていたのは小説のためだったんですね?」
「そうなんだ。学者の研究では食べていけないから、ウィリアムに頼まれて恋愛小説を書いた。そうしたら本がそこそこ売れたんだよ。それはありがたかったんだけど、家賃が不要になった今は書くのを控えているんだ。小説よりも研究に時間を使いたいからね。パンフレットの仕事は受けるよ。短い文章だし」
才能がある人はいくつも才能をもっている。
一瞬浮かんだ(羨ましい)という思いは自分の心からすぐに消した。人を羨むと心が曇ると師匠にきつく言われて育った。
お湯が沸いて、レクスさんがコーヒーを淹れている。
「それで、私は納戸の恋愛小説を読んでもいいでしょうか?」
「いいよ。もしよかったら感想を聞かせてくれる?」
「わかりました」
チョコレートは深みのある甘さで、口の中で優しくとろけていく。そこへ熱いコーヒーを流し込むと、口の中いっぱいに贅沢な美味しさが生まれた。
「美味しいですね」
「美味しいね。チョコレートとコーヒーはとても相性がいい組み合わせなんだ。僕はもういいから、残りはニナにあげる」
「わ、ありがとうございます。知り合いにこのチョコレートを分けてもいいですか?」
「もちろんいいよ」
コリンヌさんにおすそ分けしよう。彼女と会えるといいな。





