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1 アシャール城

 ラングリナ・エンド師匠が、「ニナ、話がある」と切り出した。

 私は床を磨いていた手を止めて立ち上がった。

 

「はい、師匠。なんでしょうか」

「お前に教えられることはもうない。ここを出て首都にお行き。人が多い首都パロムシティにこそ、ニナを成長させる機会がたくさんあるよ」

「私、師匠に習った魔法はまだ使えないのに……」

「そうだね。でもね、ニナ。お前の能力は私にない種類のものだ。私にはニナの力を伸ばしてやれない。それはわかるだろう?」

「はい……」

「それに、私が教えるべきことはもう全部教えてしまった」


 ラングリナ師匠が優しい顔して私をそっと抱き締めた。


「ニナとの暮らしは楽しかった。お前を引き取ってよかったよ。だけど次の弟子が見つかったんだ」

「あっ……」

 

 ずっと見つからなかった弟子候補生が、ついに見つかったのか。

 女性の魔法使いは女性の弟子を、男性の魔法使いは男性の弟子を育てるのが習わしだ。だけど師匠が育てるべき魔女候補生はずっと見つからなかった。

 減りに減った魔法使いの卵が新たに見つかったのは喜ばしいことだ。

 私は十分過ぎるほど指導してもらった。そういうことなら……諦めるしかない。


「魔法使いはもはや絶滅寸前だ。後進を育てるのは老いた魔法使いの大切な役目なんだ」


 それはわかってる。わかっているけど。


「お前の引っ越し先はちゃんと用意してあるから安心しな。首都に客から貰った家があるからそこに住みなさい。かなり古い別荘だよ」

「そうですか……」

「その家は客の失くし物を見つけたお礼に貰ったものだ。私に譲ると、ちゃんと持ち主が一筆書いてくれている。ここに書類が入ってるよ」


 師匠は古びた封筒をくれた。覗くと紙が何枚か入っている。一枚抜き取って読むと建物の名前が書いてあった。

 

「アシャール城って書いてありますけど、お城ですか?」

「まさか。見てはいないけれど、アシャール家の別荘だからアシャール城と名付けたんだろう。それをくれた人は十年前に八十歳と言っていたから、今も生きているかどうか。明日には次の弟子が来ることになった。急で申し訳ないが、明日、出発できるかい?」

「できます」


 この家を出るのも首都に行くのも気が重いけど、そう答えた。師匠には感謝しかない。


 翌朝、トランクひとつで家の前に立った。師匠はゆったりした紺色無地のワンピース姿。真っ白な三つ編みを背中に垂らして見送ってくれた。


「師匠、長い間本当にお世話になりました」

「せっかく首都で暮らすんだ、できるだけたくさんの人と触れ合いなさい。ニナの能力のためには、そのほうがいい」

「はい、そうします。師匠、どうかお元気で」

「ニナ、物語は意外なところで繋がるものだよ。諦めないで物語を読み進めなさい」

「私は諦めません。では」

 

 涙は流さない。師匠は感傷的なことが嫌いだ。

 駅までは近所の農家の荷馬車に乗せてもらった。途中で辻馬車とすれ違ったのだが、馬車には黒髪の少女が乗っていた。

 あの子が新しい弟子だとすぐに気づいた。

 彼女は美しい黒髪の持ち主だった。師匠の髪も昔は真っ黒だったそうだし、特に秀でた魔法使いは黒髪らしいから、彼女もきっと優秀な魔女になるのだろう。

 自分の亜麻色の髪を手に取って、ぼんやりとそう思った。


 師匠に教わった魔法を、私はひとつも習得できなかった。だが、知識だけは受け継いだ。

 もしかしたらこれから魔法を習得できるかもしれない。まだ諦めてはいない。魔女になりたいという気持ちは誰にも負けない。


 延々と蒸気機関車に乗り続けて、やっと首都に着いた。

 パロムシティの駅で降り、駅員さんに教えてもらったバスに乗り換えた。


 パロムシティは高い建物がぎっしり並んでいて、道路は村のお祭りよりずっと混雑している。

 バスが進むにつれてレンガ造りの高い建物が二階建て三階建ての木造住宅に変わっていく。その住宅街はやがて畑と森に置き換わった。満員だったバスも、今は私だけだ。

 まだかなあと思い始めた頃、「次はアシャール城前です」と車掌さんが告げた。

 

 バスを降りて辺りを見回したけど森しか見えない。ちょっと焦っていると、小道の脇に白い小さな立札があった。白地の看板に緑色の字で「アシャール城入口」と書かれている。

 小道の両側には背の高い糸杉が鬱蒼と茂っていて薄暗い。小道をてくてくと歩いて進むと、やがて視界が開けた。芝生の庭の奥に、小ぶりで可愛いお城が建っていた。

 

「本物のお城じゃないの! なんてきれい!」

 

 大都会の真ん中に住まなくていい安堵と、素敵なお城に住める喜びで大興奮だ。

 お城は二階建ての本館があり、その東と西の両端に三階まである円柱状の塔がくっついている。本館の南西には二階建ての塔。たぶんあの二階はティールームってやつだ。

 お城もティールームも本物を見るのは初めてよ。

 

 三つの塔の上には三角帽子のような尖った屋根。壁は灰色の石で、屋根は落ち着いた青緑色。

 玄関は東の塔にある。鍵はたしか……『奥から七本目の糸杉の前のレンガの下』と紙に書かれていた。

 石敷きの小道の左側には糸杉が並んでいて、その根元にはレンガが二枚ずつ置かれている。全てのレンガの上には植木鉢。

 お城から七番目の糸杉の前に立ち、植木鉢をどかしてレンガを持ち上げた。陶器の壺が口のところまで埋まっている。

 壺の蓋を開けると、油紙で包まれた鍵が何本も入っていた。


 挿絵(By みてみん)


 一番大きな鍵が玄関の鍵だろうと見当をつけて、鍵穴に差し込んで回した。鍵は滑らかに回って、カチリと乾いた音がした。

 ドアを押し開けると、お城の中には外よりも冷えた空気が詰まっていた。

 

 入ってすぐは円形の玄関ホール。ホールには花瓶台のような丸い小机が置かれている。

 ドアに鍵をかけて、まずはお城の中を探検した。

 各部屋には家具も備え付けられている。ほこり避けの白い布をめくると、アンティークな家具。家具はどれも一級品に見える。

 驚愕したのは各部屋の天井画だ。天使や女神が多く描かれている絵は全部、美術館でしか見られないような美しさだ。

 まあ……生活圏に美術館がなかったから入ったことはないけども。

 

「ここに住んでいいの? 本当に?」

 

 部屋の中で私の声が反響する。

 探検したお城の中は広い部屋が八つ。やや小ぶりな部屋が四つ。使用人用と思われる屋根裏部屋はそれぞれの塔の上に全部で三つ。

 とりあえず使う部屋をひとつ決めて、そこから掃除だ。

 どの部屋も埃が薄く積もっている。いつから人が住んでいないのかな。師匠が貰って以来誰も入っていないのかな。


「寝起きする部屋は一階じゃないほうがいいわよね」


 思ったことをいちいち声に出しているのは、あまりに広い建物に一人きりなのが落ち着かないからだ。

 南西の塔の二階にあるティールームを使おうと決めて、掃除に取り掛かった。

 ティールームの南側の壁は半円を描いていて、縦長の窓が五つ並んでいる。日当たりがいいし、外がよく見えるからここで暮らそう。


 村の駅前で買ったパンと水筒のお茶で遅い昼食と早い夕食を一度に済ませ、ティールームを徹底して掃除した。

 この部屋には丸テーブルと椅子が四脚、飾り棚だけ。ベッドを運び込もうと思ったがそれは明日にしよう。布団やマットをお日様に当ててから使いたいけど、もう夕方だ。

 

 お城の全部の部屋に後付けされたらしい温水暖房のラジエーターがある。しかしそれを使うにはボイラーで大量のお湯を沸かさなければならない。広い台所の隅にマッチと薪と古新聞の束があったから、ボイラーとラジエーターを使うのは明日に回そう。

 最悪、ラジエーターは使わなくてもいい。もう三月も終わりだもの、凍え死ぬことはない。薪だってお金がかかる。

 モーダル村で稼いで貯めたお金はそれほど多くない。


 電気の配電盤は収納部屋にあった。一番大きなスイッチを押し上げると、部屋の明かりがついた。

 向かいの部屋の豪華なシャンデリアが輝くさまは美しかったけれど、電気の使用申し込みをしていない。だからすぐに配電盤のスイッチを切った。

 そしてスイッチのひとつに「ボイラー」と書かれた紙が貼ってあるのに気がついた。ボイラーを使うには電気を申し込む必要があるのか。なんだ。それならラジエーターは諦めよう。

 

 その夜、私は一階の居間の暖炉の前で眠ることにした。家具にかけられていたシーツのほこりを外で払い、たくさんのシーツを布団代わりにした。

 糸杉の森で集めた枯れ枝を暖炉で燃やすと、柔らかい熱が部屋と体を温めてくれる。

 程よい疲れを感じながら、私はぐっすりと眠った。



アシャール城はイタリアのサヴォイア城をイメージして書きました。

おとぎ話に出てくるような小さくて可愛いお城です。

写真はweb小説OKの写真素材です。



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― 新着の感想 ―
達者な文章で期待大です。第一印象は魔法と科学の中道かしらんでありました。どちらも知識の体系ですしね。
大きなお城に一人、魔女だから怖いもの知らずに育っていらっしゃるのでしょうね。 風景を思い浮かべながらワクワクして読んでいます。
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