110 孫達
クルーズ船で金沢に寄港しているときに、愛梨花ちゃんが帰ってこなかった。
急に海外に行ったらしい。冗談なのか?と思った。
「龍一郎、愛梨花ちゃん留学したって本当?」
虎太郎が不思議そうな顔を僕に向けた。
ん、んっ、留学?
聞いていない。嘘だろう?
「急にご両親に呼ばれたとか……」
信じられないよなと、神馬兄弟が話している。
普通はこんな急に行かないだろう。行くとしたら誰かが危篤とかだ。でもそれなら隠す事はない。
もしかして愛梨花ちゃんに何かあった?それをごまかすためか……
それにしても、子供だまし過ぎるだろう。誰も信じないよな。
「あら、急ね。でも、ご両親が喜ぶわね」
虎太郎の母親が安心したように虎太郎の父親に話しかけている。さっきまで心配そうに”愛梨花ちゃんがいないわ”とオロオロしていたんだ。
むむっ?
ちょっと待て、そこで頷くな、虎太郎の父!
あっさりと信じた虎太郎の両親。
人は自分の都合の良いように物事を信じるとは言うが、大丈夫か?
しかし、いったいどうなっているんだ?
僕達子供は頭を抱えた。
月光陰様はそのまま船を降りてしまったし、誰に聞いても急だったから詳しい事はわからないの一点張りだった。
”大人は当てにならない”と言うことを学んだ。
神馬兄弟に虎太郎を交えて話し合う。皆、留学など信じてはいなかった。
「何かあるよな?」
敬が言う。
「愛梨花ちゃんが僕に黙って何処かに行くなんて考えられない」
虎太郎も必死だ。所詮僕達は小学生だがあの大人達よりはましだと思う。
キーパーソンは東郷寺のお祖父様と神馬のお祖父様。それぞれ個別にお祖父様に相談することにした。両親はあてにはならない。虎太郎は静観していてくれ。
僕はお祖父様に直談判だ。
多分お祖父様は何か御存知だ。
♢ ♢ ♢
意を決して僕はお祖父様を訪ねた。
昨日クルーズ船から帰ってきたばかりで、お祖父様は書斎で書類の整理をしていた。
「お祖父様、僕をハイランド王国へ留学させて下さい」
愛梨花ちゃんが、ハイランド王国へ行った。先日お祖父様が電話で誰かと話しているのを、こっそり聞いていたんだ。たぶん月光院様だろう。壁に耳ありとは言ったものさ。
「龍一郎、お前はサマースクールに行くのではないか。向こうでは雪二郎がまっているからな」
お祖父様は書類に視線を落としたまま、穏やかな声で何気ない風に応えた。でも僕はお祖父様の手が止まり、書類を掴む手に力が入ったのを見逃さなかった。
それに僕と視線を合わせようとしないのも不自然だ。
「それでも僕は行きます。行かせて下さい」
決意を込めた視線でお祖父様を見つめた。お祖父様は顔を上げると厳しい視線を僕に投げる。
「1度決めたことを違えるのではない」
「事情が変わったんです」
僕は必死に食い下がった。
「お前に何が出来る。まだ小学生だ。そんな事は大きくなって責任を取れるようになってから言うんだ。良いな」
お祖父様はけんもほろろに僕をあしらう。これは珍しい事だ。
愛梨花ちゃんの事で、お祖父様達は何かを隠している。この時に確信した。
人はやましいことや、隠し事があると、先ずは怒る。威嚇するんだ。
突然一人の少女がいなくなったんだ。僕は真実を知りたい。
「何も手につかないんです。自分の目で無事を確かめたい……」
正直に心の内を吐露する。押さえていた感情があふれそうになった。必死で歯を食いしばった。いつの間にか両手を固く握りしめていた。
お祖父様が驚いた様にこちらに来て、優しく僕を抱きしめてくれた。
僕を危険な目に遭わせたくないんだ。それはわかる。でも心がどうしようもないんだ。何かをせずにはいられない。
「心配するな。愛梨花ちゃんは無事だ。留学しているだけだ。しかも王家に保護されているから危険はない」
お祖父様の腕から抜け出す。そんな言葉に僕は騙されない。大体いきなり王家って何なんだ。
「じゃあ、何故、帰ってこないのですか。突然の留学なんて変です」
お祖父様は困ったように眉尻を下げた。
「ご家族が向こうにいるから変ではないんだ」
お祖父様の言葉は歯切れが悪い。
愛梨花ちゃんの両親は確かに海外に赴任している。兄の貴志は夏休みに入って直ぐにご両親のいるフランスに行っているはずだ。
でも愛梨花ちゃんは違う国だ。絶対におかしい。しかもクルーズの最中に何の説明もなく留学に行くなんてあり得ない。月光陰様の慌てようも変だった。
「お祖父様、本当のことを教えて下さい」
お祖父様は大きなため息をつくと僕をしっかりとした眼差しで見つめた。
「良いか、誰にも言うでない。両親にさえだ」
僕は頷いた。一体何を聞かされるんだ。緊張で手の平に汗がにじみ出てくる。
「報告によると、覚えていないのだよ。自分の名前さえ」
えっ?
また……
「だから、帰って来られない……と?」
怪訝な顔でお祖父様を見る。
「先方が、本人が思い出すまでは帰せないとな」
思い出せるのか?
一抹の不安が胸をよぎる。
思い出せなかったら一生帰ってこない?
そんなのはイヤだ。絶対に許せない。みるみる視界が曇ってくる。お祖父様が驚いた様に近寄って、僕の背中をポンポンと赤子をあやすように叩いてくれた。
もう子供じゃ無いのに子供だから、何の力も無いから、僕は役に立たない。
その現実がひどく僕を傷つけた。早く大人になりたい。実力を付けたい。
大きくなってから一番泣いた。感情が抑えられなかった。僕は、まだまだ未熟ものなんだ。
明日はヨーロッパに発ち、雪二郎君と合流する。
いない間の情報が欲しかった。敬に連絡を取り会うことにした。虎太郎と駿君も一緒だ。あれから僕達の結束は堅い。皆で愛梨花ちゃんを取り戻すつもりだ。
僕はお祖父様とは約束したけど、皆には愛梨花ちゃんがまた記憶を失っているかも知れないと話した。だから中々帰って来られないのだと。
「だからかぁ~、前も幼稚園を長くお休みしてたからな」
虎太郎が去年の話を詳しく教えてくれた。皆は何となく納得したみたいだった。僕達に出来る事は限られている。
「僕は明日からヨーロッパだ。その間に何かあれば連絡が欲しい」
「了解。龍一郎さん、俺、ハイランド王国へ行けるかも知れない」
「おいっ、何だと?」
思わず立ち上がる。ガタンと音がして椅子が後ろに倒れた。
愛梨花ちゃんがハイランド王国へ行ったと言う情報は、先日神馬兄弟と虎太郎に伝えたばかりだ。
「本当?僕も行く」
隣で虎太郎も立ち上がっていた。
虎太郎口を挟むな。大人の時間だ。大人じゃないけどな。
「どう言う状況だ。詳しく教えてくれ」
敬は頭をかきながら照れくさそうに話し出した。
要約するとハイランド王国で行われる馬術大会に出場する馬の世話係。たまたま神馬家の馬が出るそうだ。
凄い偶然だ。敬もこのチャンスに飛びついたらしい。でかした。
神馬のお祖父様がそこに参加させてもらえる様に手はずを整えてくれている。そう言うことなら僕も混ぜてもらおう。残念ながら10歳以上だからな。
ガックリとうなだれる虎太郎の背中をポンポンと叩いておいた。
少し気が楽になり色々と打ち合わせをする。大会は9月の半ばに行われるから丁度良い。もうヨーロッパからは帰ってきているからな。2週間前にはハイランド王国に入れるみたいだ。
それまでに愛梨花ちゃんが記憶を取り戻していれば言うことないし、ダメならその時に何としても会いたい。無事をこの目で確かめたいんだ。敬も同じ気持ちだ。
別れ際に、敬から、龍一郎さんの気持ちが良くわかった。と言われた。
ふ~~うっ。
大きなため息をついた。皆の気持ちは同じだ。
しっかりしないと……
両頬を叩いて気合いを入れた。




