キスのルール
バーバラさんの言ってた通りだ。
人間界って……空気が違う────────!
兄の空間魔法は見事に成功した。さすがお兄ぃだ。
嬉しくって、嬉しくって……小躍りしながら久しぶりの美味しい空気をたっぷりと堪能した。
……て、こんなことをしている場合じゃない。
「急いでフィージャに行かなくっちゃ!」
そう思ったのだけれど、ちょっと待てよと足が止まった。
ジンは一年前に結界を造ったことで真の王様であることが知れ渡ったんだよね。
てことはフィージャじゃなくて王都にあるお城で王様として過ごしているはず……
王都に着くと大通りには出店が立ち並び、昼間からお酒を飲む者や輪になって踊る者でごった返していた。
随分と賑やかだ。なにかの祝い事なのだろうか……
お城に向かう人並みに乗って歩いていたら、横にいる小さな男の子が私の顔をジロジロと見つめてきた。
ジンに会える嬉しさのあまり肝心なことが頭から抜け落ちていた。私は一年前にこの王都で恐ろしい魔王として猛威を振るったのだ。
あの時の悪魔だと気づかれたのかも知れない……
見つかればよってたかって袋叩きにされるんじゃないかと怖くなってきてフードを被った。
「ママ〜このお姉ちゃん、勇者モモファージャ・ロフォカレルだよ〜!」
「なに言ってるの。人を指さしちゃダメでしょ?」
男の子は私に手を振って母親と脇道に入って行った。
あの子……なんで私の本名を知ってるの……?
それに、勇者ってなに??
お城近くの広場に着くと立派な銅像が立てらていた。
羽根を大きく広げながら魔王の魔石を空高くかざし、精悍な顔つきで魔法を放つその女性の像……
どう見ても私だった─────────
台座のプレートには金文字で勇者モモファージャ・ロフォカレルとその功績が掘られていた。
「ジンが作ってくれたんだ……」
魔界では私は魔王の魔石の力を使いこなせたことで魔王だと認められた。でもそれ以上でもそれ以下でもない。
でも人間界では私は勇者の一員で、王都を救ってくれた救世主だと称えられていた。
また皆んなから怯えたような目で見られるんじゃないかと不安だった。
私は悪魔だけれど、自信を持って会いに行っても良いんだ……
文字の凹凸を指でなぞりながら涙が滲んできた。
お城の門は今日は住民達にも解放されていて、中庭では普段は味わえないような豪華な料理を頬張る幸せそうな姿があちこちで見受けられた。
はやる気持ちで建物内部へと入ると、大広間の一角でひときわ煌びやかな集団がソファに腰掛けているのが見えた。
「ウォルバラ卿、休日はいつもどのように過ごされているのですか?」
「そうだねえ。貴女のような美しい姫君と過ごせるのなら、とても楽しい一日になるだろうねえ。」
「きゃー!!私達にも今のセリフをお願いします!」
令嬢達に囲まれ、軽やかに微笑んでいる白金の美しい顔立ちをした公爵はパウロさんだった。
最後に見たパウロさんの姿は炎に包まれていたから、元気そうにしていて良かった。
「パウロさん、これってなんのお祝いなんですか?」
「そりゃもちろん、クリーデル王女と新しい王様との結婚をお祝いする祝賀パーティだよ。」
──────────は?
声をかけたのが私だと気づくと、パウロさんは驚いたようにソファから立ち上がった。
「えっ、君は?戻ってきたの?」
「……今の話、本当ですか?」
「あの境目を一体どうやって越えてこれたんだい?」
「どこですか、その裏切り者の新郎は……?」
わなわなと怒りが湧いてきた。
私のただならぬ様子にパウロさんは後ずさりしながらも、中央の塔だよと教えてくれた。
「私は毎日毎日思い出さない日はなかったのに、当の本人はもう別の女に心変わりしちゃたの?!」
「落ち着いて。ちょっと私の話を聞いてっ。」
止めようとするパウロさんを振り切り、羽根を羽ばたかせて塔の最上部へとひとっ飛びした。
窓の縁に降り立つと、目の前には純白のドレスを着た可憐な花嫁がいた。
「これは魔王様。わざわざお越し頂けてとても光栄です。」
突然の無礼な訪問に対しクリーデル王女は驚いたものの、すぐにスカートの裾を持ち上げ膝を曲げて丁寧な挨拶をしてくれた。
その優雅な振る舞いには女の私でもドキリとしてしまった。
こんなに可愛くて気品のあるお姫様が近くにいたんじゃ、ジンが惚れてしまうのも無理もない気がしてきた……
意気消沈しているとノックをする音が響いた。
「モモちゃん?わあ!」
扉を開けて入ってきたのはルッキーだった。
一年ぶりのルッキーは幾分背が伸びて体付きも逞しくなり、白いタキシードがとても良く似合っていた。
「招待状を送ろうとしたんだけど手段がなくってさあ。良かったあ、来てくれたんだね!僕達の結婚式に!」
──────────うん?
ルッキーの言っていることが頭に入ってこずに首を傾げた。
「だから話を聞いてと言ったのに。ジンも君も、ちっとも私の話を聞かない。」
パウロさんも浮遊魔法で窓から入ってきた。
もしかして……クルーデル王女の相手ってルッキーなの?!
「あれから僕達仲良くなったんだよね〜クリーデルっ。」
「父が連れてくるお相手はお年を召した方ばかりでしたので。たまたま同い年だった貴方が目に付いただけですわ。」
「愛するルッキー様と結婚できなきゃ家を捨てますって大騒ぎして王様が折れたんだよね〜。」
「ちょっ、ルッキー!そんな恥ずかしいこと言わないで!」
ケンカというよりじゃれ合っている二人はとても微笑ましくて、お似合いだなあと感じた。
じゃあジンは今なにをしているのだろうか?
てっきり王様をしているのだとばかり思っていたのに……
「あいにくジンはそんなのには全く興味がなくてね。結界の維持は王様にならなくてもあの魔剣があれば出来るからねえ。」
パウロさんがため息混じりに教えてくれた。
ジンは第一兵団の団長にならないかという話も断わったようで、相変わらずフィージャの街でむさ苦しい仲間とともに傭兵団の隊長をやっているらしい。
「僕が思うに、ジンさんは待ちたいんだと思うよ。モモちゃんと過ごしたあの場所でさ。」
────── 俺はまた会いたい ──────
あの時のジンの言葉が、私の心を突き動かした。
私も会いたい。
今すぐ……ジンに──────────
海に迫る断崖に造られた小さな港街、フィージャ。
崖を上った先に広がる森の中に、その家はポツンとあった。屋根が丸く膨らんでいて、まるでキノコのような形をしている……ジンが住む家。
なにもかもが懐かしくて愛おしく思えた。
ジンもパーティには来ていたのだけれど、華やかな場所は苦手だと言ってお祝いの言葉だけを伝えて早々と帰ったのだという……
深呼吸をして気持ちを落ち着かせてからノックをしてみたが返事がない。
まだ帰ってきていないのかなと思いつつ、お邪魔しますと言って中に入ってみた。玄関すぐのキッチンには誰もいない……
奥の部屋の扉が少し開いていたので覗いてみると、ベットでぐっすりと眠るジンの姿があった。
冬なのに、ジンのいる場所だけ陽だまりのような温もりを感じた。
「ただいま……ジン。」
ジンが眠るベットの縁に座り、手を伸ばして柔らかな髪の毛にそっと触れてみた。
頬を優しく包み込み、少し乾いた唇を指でなぞり……そのまま顔を近づけてキスをした。
唇から離れると、ジンの目が静かに開いた。
キスで目覚めるなんておとぎ話のお姫様みたいだなと思っていると、突然ガバっと抱きしめられた。
こんなに強く誰かと密着するのは初めてだ。
しかもなぜだかジンは上半身が裸の状態で、分厚い胸板の感触が嫌というほど素肌に伝わってきた。
床にはパーティに着ていったであろう服が散らばっていた。ジンのことだから窮屈だと脱ぎ捨てたのだろうけれど、下はちゃんと履いてるよね?
思ってもみなかった熱い抱擁に戸惑っていると、ジンはあれ?っと声を上げた。
「感触がリアルすぎる……まさか本物?」
どうやら寝ぼけていただけらしい。
このままなんの説明もなく事が始まったらどうしようかと焦った……
「なんでモモがここにいるんだ?これは夢かっ?」
「夢じゃないし、私は本物だよ?」
ジンは自分が服を着ていないことに気づき、慌てて毛布をたくしあげた。
「悪い!夢だと思って。俺はなんて野蛮なことを……!」
「気にしないで。私だって寝てるジンにキスしたし。」
ジンは驚いたような表情をしたまま固まった。
ここに居るはずのない私が目の前に現れたのだ。ちゃんと説明しなければならない。
「実は私にはネネシスって兄がいて、その兄に魔王の座も魔王の魔石も譲ってきたの。」
「ちょっと待て。今なんて言った?」
「だから兄に魔王の座も魔石もあげちゃったから、これからはずっとここに……」
「その話の前だっ!」
なにを言ったっけ?
思い出せずにいると、ジンが真っ赤になって口を開いた。
「俺にその……キス、したって……?」
「ああそれねっ。それがどうかしたの?」
「どうかしたじゃないだろ!初めての二人のキスなんだぞ?それを俺が寝てる間に済ましただと??」
「そんなに私とのキスが嫌だった?」
「嫌なわけあるかあ!!」
じゃあなんで怒ってるのかが分からない。
最初だからこそ、場所やら雰囲気やらがとても重要らしい。寝てる時にされたら思い出にも残らないだろうと、あーだこーだと文句を言われた。
どうやら人間界にはキスにルールってもんがあるようだ。随分とややこしい……
「分かった仕切り直そう。ではジン、改めてどうぞ。」
目を瞑ってジンからのキスを待った。
「……いや、今はベットの上だからいい。」
「ベットの上ではキスしちゃダメなの?」
「そうじゃなくて、そのっ……その先もしたくなるだろ。」
「すればよくない?」
「だからそういうのには順序ってもんがあるだろっ。」
「順序って?」
「まずはお互いの気持ちを確かめ合ってからだなあ……」
「私はジンのこと大好きだよ?ジンは違うの?」
私はもう魔界に戻る気なんてないし、この先はずっとジンといるつもりだ。なんならジンのお嫁さんにして欲しいと思っているのだけれど……
ジンは私からの問いには答えず、うつむいたまま沈黙していた。
またなにか不味いことを言ってしまったのかとジンの顔を覗き込もうとした時、勢いよくベットに押し倒された。
ついさっき順序があると言ったぱかりなのにすっ飛ばしてきた。
言ってることとやってることが違うと茶化そうとしたら、真剣な眼差しをしたジンと目が合った。
「……好きだ……」
たった一言なのに、出会ってからの全てが詰まった切なくも甘い言葉に一瞬で胸が締めつけられた。
「ずっと、モモに会いたかった……」
ジンは私の輪郭を指でなぞると、唇を重ねてきた。
─────────ジン。
熱い息遣いに体の奥が痺れるほど疼いた。
ようやくジンと、身も心もひとつになれる。
そう、思ったのに……ジンは私の胸に顔を埋めるとボロボロと泣き始めた。
「やだっジン、なんで泣いてるのっ?」
「だって、嬉しくて……」
嬉しいからってこのタイミングで泣くっ?
その後も子供みたいに泣くのでヨシヨシと撫でてあげた。
まったくもう……デカイ図体して泣き虫なんだから。
想像してたのとは随分違う再会になったけれど、ジンを愛おしいと思う気持ちはより強くなった。
人間とは脆い生き物だ。
涙なんて、悲しい時とか目にゴミが入った時に出るものだ。
でも人間は違う。
嬉しい時や感動した時、果ては自分とは関係のない他の者のために泣くことすらある。
だからこそ人間の流す涙は、こんなにも儚く尊いものなのだと思う……
私はもう魔王ではなくなったけれど、この先もこの温かな世界を人間達と共に守っていけたらと思っている。
もちろんジンとも、ずっと仲良く暮らしていきたいと思っている。
………うん?
ジンと私のその後の進展がどうなったかって?
それについては大きなベットに買い換えて、毎日一緒に寝るようになったとだけ伝えておこう……
あまり詳しく話すと、ジンが恥ずかしがっちゃうからねっ。
あっそうそう、あれからバーバラさんやパウロさんの家のコックに料理を教わっていて、パンケーキはもちろんラム肉のセージソース和えやブルーベリーパイも作れるようになっちゃいました!
剣術の修行もずっと続けていて、今では傭兵団の中でジンに次いで二番目の腕前になるほどに上達したの!
すごいでしょ?
ちょっと能力がチートすぎやしないかだって?
舐めないでもらいたい。
だって私はこう見えて
魔王、だったんだから─────────




