今私にできること
砂糖を入れた卵をしっかりと泡立ててから、小麦粉とミルクを加えてフライパンで焼いたら完成っ!
のはずなのに……何度やってもパンケーキが上手く焼けない。火加減の問題?
でもしっかり焼かないと生焼けになっちゃうだろうし……料理がこんなにも難しいとは思わなかった。
あーでもないこーでもないとしているうちに、ジンが欠伸をしながら部屋から出てきた。
「朝っぱらからモモはなにをしてるんだ?」
「朝ご飯……失敗しちゃった。」
せっかく美味しいのを作って喜んでもらおうと思っていたのに、焦げを通り越して炭のように真っ黒なものまである。
恥ずかしくてモジモジしていたら、ジンがボソリと呟いた。
「………んだそれ。可愛いすぎ。」
─────────うん?
「なにジン。今なにか言った?」
「いやなにも!美味そうだなっ。」
ジンは慌てたように椅子に座ると、パンケーキが乗った皿を自分の元に引き寄せてナイフとフォークを手にした。
「そんなの食べなくていいよっ!」
「いいんだ。俺は今、猛烈に感動している。」
感動って、ジンは焦げたパンケーキが好物なの?そんなの苦いし硬いだけだと思うんだけど……
あっという間に平らげたジンに恐る恐る聞いてみた。
「オカワリいる?また失敗しちゃうかもだけど……」
「もちろん。モモが作ってくれたものならなんでも食うから、じゃんじゃん焼いてくれ。」
結局どれも上手く焼けなかったのだけれど、ジンは一つ残らず食べてくれた。
仕事中にジンのお腹が痛くなったらどうしよう……パンケーキぐらいちゃんと作れるようにしとくんだった。
落ち込む私に、ジンは美味かったよと頭を撫でてくれた。
「もうだいぶ寒くなってきたな。」
外に出ると海からの冷たい潮風が頬をすり抜けていった。
傭兵団に入隊した頃は夏が始まる前の穏やかな気候だったのに、いつの間にか季節は冬へと変わっていた。
「ジン、手を繋いでもいい?」
「は?今から仕事に行くんだぞ?」
「だって手が冷たいんだもんっ。ねぇいいでしょ?」
「またモモはそうやって……上目遣いとか……ああ、もうっ……!」
なにやらブツブツ言いながらも、大きな手で包み込むようにして握ってくれた。
ジンはずっと優しくて、私が魔王だと知ってもそれは変わらない。自分が魔王だと忘れるくらい、普通の女の子のように接してくれる。
ジンの手、すっごく温かい────────
ジンとパウロさんには全てを話したけれど、私になにかを要求してくることは一切なかった。
ただ私が魔王であることも悪魔であることも、周りには秘密にしておこうとだけ言われた。
隊員の中には悪魔を嫌っている者が多い。
特にルッキーには絶対に知られては駄目だとパウロさんから釘を刺された。
「隊長、町外れでゾドムの大群を見たという住民がいるそうです。」
「浜辺で食い散らかされたイルカの残骸があり、悪魔の仕業じゃないかとのことです。」
「それから他にも……」
本拠地に着くなり隊員達が続々と集まってきた。
「分かった、すぐに皆んなを集めてくれ。モモは馬装の準備を頼む。」
歪みはますます酷くなる一方で、毎日のように悪魔関連の報告が上がってきていた。
それに比例するようにジン達の仕事は増える一方だ。
急いで厩舎へと向かうと、馬の世話をしている先約がいた。ルッキーだ。
ルッキーは私に気づくと、おはようと言ってニコッと微笑んだ。
「毎日悪魔ばっかで気が滅入るよね。まあ僕らはまたお留守番なんだろうけど。」
「そ、そうだね。皆んな大変だよね……」
ルッキーは目の前で両親と妹を殺され、悪魔を相当憎んでいる。
二年前にパウロさんの元に来た時、悪魔を惨殺する魔法を教えて欲しいと殺意のこもった目で弟子入りを志願してきたのだ。
「ルッキーは攻撃魔法ができないんじゃない。危険だから教えていないだけだ。」
相手への恨みのあまり魔法が暴走しかねない。
魔法とは、冷静に扱えなければ自らの身を滅ぼしかねないのだ。
いつも明るいルッキーにそんな辛い過去があっただなんて思いもしなかった。
ベルセべトを前にしても冷静に対処したのは、私を助けることを最優先に考えたのだろうとパウロさんは言っていた。
私も、その憎むべき悪魔なのに……
ルッキーに申し訳なさすぎて、心が痛んだ。
ジンを先頭に砂埃をあげて出発していく隊員達を見送った。
今日は報告のあった近場を中心に回ってくるようで、それでも帰るのは夜中になるだろうとのことだった。
「まーったく、少しは他の者に任せればいいのに全部自分でやろうとするんだから。忙しない男だよねえ。」
二階の窓からパウロさんが呆れたように顔を出すと、ルッキーがあれっと声をあげた。
「朝いちで王都に戻るんじゃなかったんですか?」
「その予定だったんだけどね。しばらくはここに居座ることにしたんだよ。」
そう言うとパウロさんは私に向かってウィンクをした。
ベルセベトが再び私を襲ってくるのは間違いない。
パウロさんが感知魔法を張り巡らせて警戒してくれるそうなので、フィージャに残ったのもそのためなのだろう。
こんなに優秀な人を、私ひとりのために足止めさせてしまっている……
パウロさんにもジンにも皆んなにも申し訳なくて、いたたまれない気持ちになった。
パウロさんは部屋で書類整理、ルッキーは厩舎で掃除をしていた。
私はというと剣術の腕を上げるために人形相手に打ち込みをしていた。
魔法が使えないならせめて剣士として役に立ちたい。
一心不乱に木刀を振り回していると妙なざわつきを感じた。
「……なに?」
辺りを見渡してみたが近くに誰かがいる気配は感じない。
なにかがいるというよりは、空気全体がピリついていて耳の奥に嫌な耳鳴りを感じた。
フィージャの街は海に迫る断崖に造られた小さな港街だ。
住宅が急な斜面に連なるように建てられており、本拠地からも海岸線に沿って広がる街並みや、大地に横たわる結界が見渡せた。
遠くに見える結界は大気が濃密に圧縮された分厚くて硬い層であり、不透明なものなので向こうにある魔界の景色を見ることはできない。
そう……決して、見えることなんてないのに……
「うそ、なんで……?」
魔界の無機質な黒い岩肌が数百mにも渡ってあらわになっていた。
あんなのはもう歪みとは言えない……魔界と人間界とを繋ぐゲートが開いたかのようだった。
信じられない光景に足が震えて立っていられなくなった私を、パウロさんが後ろから支えてくれた。
ルッキーも真っ青になって厩舎から駆けつけてきた。
「パウロさん!一体どうなってるんですか?!」
「さあねえ。でもあちら側は、こうなることが予見できていたみたいだ。」
パウロさんの言葉にもう一度目を凝らしてみると、黒い無数の点が猛スピードでこちらに迫ってきているのが見えた。
あれは、悪魔の大群─────────?!!
「モモちゃん、先頭にいる悪魔ってあの時の獅子顔の奴じゃない?!」
ルッキーが指さす先にはベルセべトの姿があった。
まさかこんな何千もの大人数を従えて攻めてくるとは予想だにしていなかった。
「ルッキーは北西区を頼む。他は私がする。」
パウロさんとルッキーが同時に両手を掲げると、フィージャの街全体を包み込む防御魔法が張られた。
二人だけでこんなに大きな防御壁が出せるとは驚きだが、敵の数が多すぎる……
私も加勢しなければと思ったのだが、ベルセべトが率いる悪魔の群れはフィージャの頭上を通過していったのだった。
「こちらに目もくれないとは……随分と舐められたもんだな。」
なんてことだろう……この悪魔達、全員父が捕まえて冥府送りにした極悪非道な犯罪者ばかりだ。
「パウロさんっ、この方角って確か……」
「ああ。狙いは王都のようだ。」
魔王の魔石を奪い返しに行くだけならこんな野蛮な奴らを連れていく必要はない。
ベルセべトは人間を虫けら以下に見ている。
きっと……王都にいる人間達を全員皆殺しにするつもりなのだ。
わざわざ真上を通過していったのは見せつけるため。
私なんていつでも倒せるということか……
「私はジンに合流して王都へ向かう。二人は住民を全員私の屋敷に避難させてくれ。」
パウロさんはそう言い残し、浮遊魔法でジンが向かった場所へと飛び去っていった。
ここまでの状況になったのは私のせいだ。
ベルセべトを恐れ、歪みが頻繁に出現するようになっても、魔王の魔石が手元にないからなにもできないと逃げてばかりいた。
挙句の果てには人間の行いが悪いんだって……自分の弱さを全部、人間のせいにしていた───────
「みんな落ち着いて。順番に避難してくださーい!」
ルッキーと手分けして、住民が迅速に避難できるように誘導した。
皆んな列を作って冷静に行動していたが、王都がある上空の空が赤く染まり出すのを見て不安が広がった。
どれほど凄まじい戦いとなっているのだろうか……
「大丈夫だぞ。モモは俺が守ってやるからな!」
三兄弟のお兄ちゃんがえいやあ!と水流魔法を放つ真似事をすると、後ろにいたバーバラさんが頭をべしっと叩いた。
「ごめんねモモちゃん。こいつ口ばっかり生意気で。」
「いえ…嬉しいです。テット君ありがとう。」
こんな小さな子まで勇敢に戦おうとしている。
ジンだって、真の王様でありながら傭兵団の隊長として常に最前線で自分が今出来ることを精一杯頑張っている。
私が今……出来ること──────────
「東地区、全員避難完了。南地区、西地区……あとは中央……」
屋敷の大広間には大勢の住民でひしめき合っていた。
この屋敷にはパウロさんの強力な防御魔法が組み込まれていて、正面にある扉を閉めれば発動するようになっている。
もしもの時には住民全員が数ヶ月は過ごせる水や食料まで完備されていた。
全員揃ったのを確認したルッキーが扉を閉めようとした時、私は脇をすり抜け外に出た。
「ごめんルッキー。私も王都に向かう。」
手を止めたルッキーは、しばらく私を凝視したまま沈黙した。
「……そう。じゃあ僕も行くよ。」
ルッキーも出てきて外から扉を閉めた。屋敷は水色の防御壁に包まれていった。
なんでルッキーまで……
ルッキーを巻き込むつもりなんてなかったのに……!
「女の子を一人で危ない場所には行かせられないよ。」
「女の子って……私はそんなんじゃない、だって私はっ……」
ルッキーが心底憎んでいる、悪魔なのに……!!
「ねえモモちゃん……今その告白って必要?」
私を見つめるルッキーの凍りついたような冷たい視線にゾクリとした。
「僕に殺されたいの?」
そうか……
ルッキーはもう、とっくに気づいてたんだ……
「ジンさんの魔界でのあのわざとらしいフォローで誤魔化されると思う?バーバラさんだって気づいてるよ。」
そこまで言うとルッキーは私から視線を逸らし、大きなため息をついた。
「悪魔のくせに図々しく入団してきた時は虫唾が走った。親切にしといて油断したところを殺してやろうと思ってた。」
「それなら、なんで……」
私をベルセべトから助けてくれたの?
見捨てていれば望み通りの結果になっていた。でもルッキーは助けてくれた……
「強面のジンさんがあんだけデレデレしてんの見てたらアホらしくもなるでしょ。モモちゃんが死んだりしたらあの人一生立ち直れないよ。」
自分の本意ではなく、傭兵団のために仕方なくしたことだと言うけれど、きっと違う……
ルッキーは気配り上手で、周りに困っている人がいたらそっと手を差し伸べることの出来る人だ。
「ルッキー、ちゃんとお礼を言えてなかったよね。助けてくれてありがとう。」
「だからそんなんじゃないって!悪魔に礼なんか言われたくないから!」
本当に本当にルッキーは、すごく優しい人だから……
「だから〜っ……もう行くよ!行かないの?!」
「行きますっ!」
そうと決まれば王都まで最短距離で行かせてもらおう。
私は浮遊魔法を使って体を宙に浮かせた。
馬を用意しようとしていたルッキーは、私の背中から生えた黒い羽根を見て目をまん丸にした。
「さあルッキー捕まって。超特急で飛んで行くから!」




