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金色の娘

 薄っすらと開いた瞼から覗く赤い瞳は、明らかに大杉たちのそれとは違う。

小さな木の実のような愛らしさも感じなくはない。だけどそれにも増して、目を合わせるだけで相手を不安にさせる威圧感があった。

「貴方が柊和子さんですね。その髪、きり江にそっくりだわ」

「……ありがとうございます」

 私は、他の子と比べて義務教育での成績も良くなかったし、社会人としての業務成績も良くない(ほとんどパンダに任せちゃうから)。だから――自業自得な面も多分にあるけれど――私には猫派の劣等生というコンプレックスがある。

だけど、この黒髪にだけは自信があった。自分がママの子だという自信が。だからどんな時でもそれを褒めてもらえるのはすごく嬉しいし、気持ち悪いくらいニヤけてるんだと思う。

 そのはずなのに、今はそんな気分にはなれなかった。赤い目もさることながら、その声色がひどく冷たくて。

 町を見る限り、彼女が派閥に大きな貢献をしてるのはよくわかる。だけど、この初対面の印象で彼らが「母上様」と慕う気持ちは正直、理解できない。

彼女の足下でさっきからずっと土下座をしている右近の姿がこの派閥の真の姿なんじゃないかと疑った。

次の一言を聞くまでは。

「私の子どもたちが重ね重ね無礼を働いたこと、本当にごめんなさい」

彼女、森田砂江子さんは紛れもない鼠派のトップ。私みたいな派閥の下っ端と直接対面ってだけでもそうそう許されることじゃないのに、その上、ママにじゃなく私に対して謝罪するなんて。しかもそのお辞儀は一流企業の秘書がするような完璧なやつときた。

ウチのママは人に頭を下げるなんてことすらできないのに。

何にしても、私の中の森田さんのイメージがガラリと変わった。

 ヘラクレスちゃんを拉致した六人の鼠を止めたのがパンダだというのも聞いていたらしく、彼女はパンダにも同じように深く頭を下げた。

それを聞き、パンダは歯軋はぎしりした。

「あの女、また余計なことを……」

「右近のことといい、貴方にはひどく気を遣わせてしまい申し訳なく思っています」

ここまで丁寧に頭を下げてるっていうのに何かが気に入らないらしく、パンダは彼女に不満を漏らした。

「心にもないことを言われたところで嬉しくもなんともない。知っているか?そういうのを誠意に欠けると言うんだ。本当に心から申し訳ないと思っているのなら本音を隠すべきじゃないと俺は思うがな」

がっつりと煽られ、それに応えるように森田さんはゆっくりと面を上げた。その瞳からは、血の色がうかがえた。

それなのにパンダはさっきよりも幾分か満足げに頷いてる。

「そうだ。最初からそういう目をすべきなんだよ。どんな状況だろうと俺はアンタの子を殺したんだ。そんな野郎に頭を下げるなんて、母親のすることじゃない」

「……ではどうしろと?私では貴方を殺せません。かと言って、きり江の子に手を出すなんてもってのほか

この数分の間に、彼女への印象がどんどん変わっていく。とても冷酷な人かと思いきや、派閥や立場に関係なく自分の落ち度に頭を下げられる人格者……なのかと思いきや、今の彼女は仇討ちに飢える亡者のような目をしている。

「それに、貴方はあの子たちをきり江の『戯れ』から護ってくれたのではないですか?貴方は自分の子を殺した相手を許すなとおっしゃいますが、あの子たちは罪を犯したのです。貴方を憎むのはお門違いなのではないでしょうか?」

それでもパンダは執拗しつようつつき続けた。

「くだらねえな。家族を理屈で語ってどうするよ?それともアンタにとって家族は社会の歯車程度のもんでしかねえってことか?」

彼の嫌う誰かさんみたいに。

「子どもってのは知らねえ内に親を真似るもんだ。つまり今のアンタは未来のガキ共の姿。いいのか?自分の子が兄弟姉妹を簡単に殺しちまうような悪魔を『仕方ねえ』の一言で野放しにするような大人になっちまってよ」

だからずっと、パンダは私をあの人から遠ざけてきた。私を、人をおとしめてよろこぶような人間にしないために。

 そして今まさに、派閥のトップとしての自制心をバカにするパンダを、森田さんはいよいよ「加害者」として見つめ始めた。……けれども彼女はすぐにその瞳をさやおさめた。そして次に現れた赤い瞳は、屋敷の沈黙たちと同じ漆で濡れていた。

「……貴方はやはりきり江の式神ですね。本当に意地が悪い」

「何かを学ぶのに意地が悪いもクソもない。ついでに言わせてもらうが、大事な話の中に第三者の名前を出すのはよくよく考えてからにするべきだ。……何を隠そう俺はあの女が大嫌いでね」

パンダがママを嫌う理由、それはあの人に自分の子を守る気がないから。自分の子の死を、いたんだことがないから。


 クローン技術、遺伝子操作の発達したネコ缶の人間は基本的に派閥のリーダーの遺伝子から機械的に造られる。だから私たちは厳密には「子ども」ではなく「有機的なアンドロイド」でしかない。

ママの遺伝情報を劣化させる有性生殖ではマタタビの放射線に侵される個体が生まれやすいというのが派閥側の意見だけど、それを否定している人もいる。

 なんにしても、数百、数千の子どもを得たママたちが私たち全員に「平等なママ」でいるなんて私たちも期待してないし、それが普通だと思ってた。

ここに来るまでは。


「きり江との付き合いは100年やそこらではありません。あの人の考えはおおよそ把握しているつもりです。あのアンドロイドをさらい、事を起こそうとした。あの人は事の大小よりも自分のプライドを傷つけた彼らを許さないでしょう」

結局、森田さんはパンダに手を上げなかった。それが右近たちに見せたい母親の姿だと森田さんは主張し、パンダも一応は納得したようだった。

 彼女はママと共有すべき情報、「鼠を利用した地下の悪用」ついて話し始めた。

少し前からこの兆候を感じていた森田さんは事件が起こるよりも前に怪しい鼠を一人捕らえていた。

そうして彼を問い詰めて初めて、夢を追うだけが能の小物とあなどっていた組織が、知らぬ間に事態を大きく動かせるだけの勢力を身に付け始めていることに気づかされるのだった。

 彼女の薄い唇は、その筆頭とも言える鼠派の優秀な子どもの名前を私たちに晒した。

「ポルミス・ベルノーマ。賢く、人望もあったあの子も、今や岬の幹部なのだそうです」

尋問から裏切りが発覚した時、彼はすでに地下から姿を消していた。

「あの子には領地の多くを管理させていました。そのため他の子よりも詳しく、そして的確に地下を利用することができるでしょう」

鼠派の領地は猫派犬派の地下全域に及ぶ。両派閥へ接触する経路も無数にある上、新たにつくることもできてしまうため、誰もこれに万全の対策を講じることなんてできない。

「岬が使いそうな道だけでも封鎖することはできないんですか?」

「それこそがこの問題の複雑なところだ」

そう返したのは左近だった。彼は少しでも森田さんが胸を痛めないようにと代弁したつもりが、彼女はそんな子どもの差し出口を叱り、それを引き継いで答えた。

「捕らえた子に、岬へ加担した理由を問い詰めるとあの子はこう言ったのです。自分たちはただ、母にもう一度故郷の景色を見せてやりたいだけなのだと」

 鼠派の裏切り者たちは実のところ、誰一人として裏切ってなどいなかった。彼らは皆、森田さんへの恩返しのためにネコ缶からの脱出を試みる岬に手を貸しているだけなのだと。母を地球に帰してあげたい一心で。

岬に手を貸す者とそうでない者の間にその差はない。そのため、ポルミスほどの人間であればいくら地下を封鎖したとしても、いとも容易く警備かぞくを懐柔してしまうだろうと。


「そんなくだらない真似をしなくても私はあなたたちに囲まれて幸せです」

森田が捕らえた子どもにそう伝えると、彼は涙を流して自害した。

森田は驚愕し、絶望した。自分の子が、一度も教えたことのない方法で命を断ったこと。そこへ追いやったのが他ならぬ自分だということに。

 それでも森田はこれがこじれて事が大きくならないようにと自分を律した。子どもたちに家族の死を伝えず、自身にもこれは罪を犯したあの子たちの当然のむくいなのだと言い聞かせた。

 けれどもそれは間違いだと一匹の式神は諭し、これまでの経緯を聞いてさらに彼女を非難した。

「ふん、子の心親知らずもここまでくると笑えないな。訂正させてくれ。アンタは母親としちゃあ三流だよ」

『テメエっ、ママに向かってなんてことを!!』

頭がドレッドな右近に加え、理性的な左近までが感情を剥き出しにし、まるで劇団員のように息を合わせてたった一匹の猫に襲いかかった。しかし……

『ぶはぁっ!!』

所詮は前座だと、猫はその場から一歩も動くことなく鋭いパンチを繰り出し、早々に二人を中庭へと退場させてしまった。

絶対的間合いの外から喰らわせたそれは体に比してあまりにも大きく、襲いかかってきた巨漢たちさえも握りつぶせるほどだった。しかしそれは役目を終えるとまた一匹の猫の体を支えるための大きさに戻っているのだ。

「テメエらはそうやって体を張ってママを護ってれば親孝行になるとでも思ってんだろう?バカが。それがこの女を泣かせた理由だろうがよ」

パンダは舌打ちをし、庭の池に突っ込んで気絶した二人をなじった。

「的外れなんだよ。テメエらも、テメエらの母親も」


 そこへ、第二のドレッド兄弟襲来と言わんばかりの勢いでふすまが開かれた。

「大奥様、ご無事ですか?!」

乱入してきたのは黒のワンピースにパッツンでツインテールの金髪少女。騒音を聞いて慌ててやって来たのだろう彼女のエプロンには大量の油の跳ねた跡があった。

彼女は素早く主人の姿を見つけると、彼女の下へ駆け寄り、安否を確認するや私たちに攻撃的な視線を向けてきた。

 森田さんはそんな主人想いの少女の肩に手を置くと、変わらず冷たい声で彼女を制した。

「何でもないわ、モリサ。ちょっと話し合いに熱が入ってしまっただけ」

命令に逆らうことを知らない碧眼の少女は、それでも不安げに主人を一瞥いちべつするけれど、彼女に撤回の意思がないと見ると申し訳なさげに頭を下げて一歩後退った。

「それで?アンタはこの()()()()にどうオチを付けるつもりだ?」

とても派閥のトップを相手にしているとは思えない太々しい態度を見せるパンダにツインテールの少女はまた刺々しい視線をくれ、その傍らで森田さんは沈黙した。

無言でパンダを見つめ、もう一度、傍らの少女を見やった。

 そうして何かを決心したらしい彼女は思いも寄らないことを言い出した。

「モリサを、貴方がたの護衛として同行させてもらえませんか?」

「お、大奥様……?」

どうして?無礼にも客間に飛び込んで大奥様に恥を掻かせてしまったから?それとも、肝心な時に隣におらず猫派のいいようにさせてしまったから?……なんで?どうして?

 モリサという名の少女は見た目通り若いのか。その喜怒哀楽もとてもわかりやすい。だからこそ、こっちも思わず手を差し伸べたくなってしまう。

「え、ええっと、それは岬の攻略に協力して頂けるってことですよね?でも私たち、今後も岬と関わるとは限りませんよ?」

それなのに、森田さんは私の出した助け舟をあっさりと突き返した。

「和子さん、貴方もわかっているはずです。きり江はただの伝言のために人を寄越すような人じゃないことくらい」

「……モリサさん、二度と会えなくなるかもしれませんよ?」

「そうはなりません。そうですよね、モリサ?」

彼女のことは何も知らない。だけどママに甘えたい気持ちはすごくわかるからなんとか言い返してみるけれど、焼け石に水感が否めない。

それに、「…はい、それが大奥様のご命令とあらば」すっかりお通夜モードのアンドロイドは抵抗する素振りも見せなかった。

「モリサ、顔を上げなさい」

「…はい」

モリサはあくまで従順なアンドロイドであり続けた。それが最も主人のためになることなのだと信じて。

「あなたは私の言葉に従えますね?」

「はい」

だけど人は目を合わせれば「ウソ」が言えなくなる。相手が大事な人であればあるほど。

「私はあなたに、私の代わりに子どもたちを叱ってきてほしいのです」

「はい」

「なぜあなたにそれを頼むのか、わかりますか?」

「………いいえ」

答えを聞いた母は鋭い目をさらに細めた。それを目の当たりにして初めて、モリサは自分の答えが間違っていたことに気づく。

どうして今まで言えた「ウソ」が出てこなかったのか。どうして彼女を悲しませるようなことを言ってしまったのか。

 でも、その「ウソ」もきっと彼女にとって100点の答えじゃない。そして、今の彼女が求めてるのは100点だけ。それだけはどうしようもなくわかってしまった。

「それを、見つけてきてくれたらと思います」

もはや自分が三流だというのは言い逃れられない。けれど、だからといって赤い瞳がそれで陰ることもない。

「パンダさん、次にお会いした時、必ずやこの話の答えをお伝え致します」

すっかり気落ちしている少女を見ながら、それでも彼女は目の前の小さな希望を信じた。乱れた髪の毛を撫でつけ、薄い唇でかすかに笑っていた。


 そうして私たちは必要な情報交換を済ませ、モリサを強化するついでにと技術部への訪問許可ももらって屋敷を後にした。

「改めてよろしく、柊和子よ」

屋敷を出てからというもの、モリサは不機嫌を隠すこともなく眉間に獅子が我が子を突き落としたくてウズウズするような深い深いシワを掘り、私たちを置いていく勢いで前を歩いている。

瑞々しい白い肌と膝丈の黒いワンピースが彼女を年齢よりも幼く見せているせいもあって、ねた表情はとてつもない庇護欲をそそり、ついしつこく握手を求めてしまっていた。

 当然、彼女は私の無神経を疑い、目の前に突き出された手を見るや、ついに苛立ちを爆発させてしまった。

「アタシは大奥様に言いつけられたから一緒にいるだけで、アンタたちと慣れ合う気なんてこれっぽっちもないんだから!勘違いしないでっ!!」

その様子を見て私とパンダは思わず顔を見合わせ、次の瞬間には二人揃って手を合わせ、彼女を褒め称えていた。

「なんて立派な金髪ツインテールなんだ」

「な、何よそれ……」

森田砂江子の秘蔵っ子、モリサ・セルヴェランコ。彼女は天使よりも希少で、とても神聖な生き物だった。

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