黒
もしも、お前がこれから悪事を行おうとしているのなら、誰の目にも留まるべきじゃない。たとえそれが手元の端末に釘付けの通行人であっても、頭に輪っかを浮かべた離乳前のガキであっても。
奴らの暇を持て余したお茶目なお口はお前の悪辣な所業を気の合うダチへ、ダチのダチへ、そのまたダチへと面白おかしく伝言ゲームを開始する。そうしてお前は居場所を転々とさせられ、うっかり頭を出したところを裁判官に木槌で殴られる。
完璧でない悪は、しょせんゲームキャラクターでしかないということだ。
「ホワイトデビル、位置に就いた」
『了解、そっちに追い込むからトドメは頼んだよ』
いわんや、俺の目に留まるなどもっての外だ。
「了解、大人のゴッコ遊びってのを奴らに教え込んでやるさ」
正義と悪。たった今からそれが俺とお前たちのイカしたキャラネームだ。
彼らの舞台は、漆黒で満ち満ちる水槽のようだった。
いつだって好奇心の塊のような太陽は沈み、月はたっぷり30日かける長い瞬きの折り返し中で、たとえ目の前をゴキブリの大群が掠めていっても気づきはしないだろう。
おあつらえ向きに辺りはゴキブリどもが好みそうな人気のない廃墟群。民家の明かりもなければ街灯の一本も立っていない。一帯の空気は一色に染まり、心なしかドロドロと押し返してくるものがあるようにさえ感じさせる。
そんな漆黒の水槽に、月と太陽の代役を騙る金色の双眸が無造作に現れた。ギロリと眼下を見下ろし、ひねりのない悪態を吐いた。
「だらしがねえ」
俺の遊び相手は不様に走っていた。ライトで足下を照らし、小脇に幼気な戦利品を抱え、何もかもが上手くいったと笑っていやがる。ゲームの最中だって意識は微塵もねえ。奴らは呑気に夜の廃ビルの林で優雅なお散歩をキメてやがる。
「実力がなけりゃ覚悟もねえ。まったくの期待外れだよ」
白い悪魔は溜め息を吐き、腰かけた無骨な窓辺に爪を立てた。
なぜ彼女をソッとしておかない。今の彼女はただ夢に身を委ねるだけのお人形じゃないか。テメエら悪はどうしていつも金髪の彼女を囚われの姫に仕立て上げたがるんだ。
「ママの言うことを聞いていい子にしていれば俺の機嫌を損ねることもなかったろうに」
白い悪魔は金色の瞳で狙いを定め窓辺を蹴ると、小柄でしなやかな体を水槽へと滑らせ、華麗に泳いでいく。彼らの足などウミウシにも劣ると言わんばかりの速さで。
六人の小悪党たちは走っていた。手に入れた金色の天使に酔いしれ、雨水でぬかるんだ道を小粋に駆けていた。さながらドブネズミのように、気に入りの革靴に最高級のワックスを塗りたくろうと「成功」という達成感が彼らの視界をバラ色に染めていた。
「なんだよ、あのアマ脅かしやがって滅茶苦茶チョロいじゃねえか!」
「バカ、俺たちの方が猫どもより頭一つ抜けてるってことだよ!」
「早く帰ってママに報告しねえとな!」
男たちは嬉々とした表情で早くも前祝いを歌い始めている。それを一人が叱った。
「自惚れてんじゃねえ!俺たちを弄ぶのが奴らのやり口だろうが!」
彼はリーダーとしての役割をわきまえていた。だからこそ犯した悪事。だからこそ手に入れた戦利品。
彼を慕い、付き従ってきた残りの男たちは跳ねた泥水に頬を叩かれたかのようにたちまち顔を引き締め、彼の叱責に耳を傾けた。
「俺たちの仕事はまだ終わっちゃいねえ。俺たちをここまで育ててくれたママのためにこれを持ち帰る。それができなきゃ何の意味もねえんだ。だからそれまでは気を抜くんじゃねえ、いいな!?」
彼らは頷き、残弾を確認した。…それが何に対する「カウントダウン」なのか。決めるのは自分たちなのだと、最後の勝負へと乗り出すのだった。
そこへ、一部始終を見届けた悪魔が木槌を持ってふらりと舞い降りる。
「おい、ドブネズミ共。大人しくその子を―――」
バララララッ!!
男たちは人影の正体を見極めるよりも先に引き金を引いた。悪態を吐きながら進路を塞ぐ者たちの性格をよく知っていたからだ。
ついさっきまでの浮かれた成功者の顔はどこへやら。リーダーの警告で我に返った悪党たちは必死の形相で無作法な訪問者に有無を言わせない鉛の雨を浴びせ、黙殺した……かに思われた。
「俺の言い方が悪かっ―――」
ドカンッ!!
舞い上がる土煙が収まるも待たず、一人が手榴弾を投げた。
その甲斐あって、立て続けに二度も言葉を遮られた悪魔の心中は、収まらない土煙と残響のようにモヤモヤ、キリキリし始めていた。
「正義」と「悪」の名を賭けたゲーム性が、いよいよ現実味を帯び始めたのだ。
「こんなもんで俺が止められると―――!」
その上、三度目の正直と意気込んで飛び出してそこに獲物の姿がないとなると、いかに温厚な悪魔でも青筋を立てずにはいられない。
「上等だ、テメエらまとめて俺が最後まで面倒みてやるよ」
あのクソ女と比べれば足下にも及ばねえが、テメエらがその気なら俺がテメエらをきっちりと躾けてやるよ。望み通りのやり方でな!
さらに、彼らは悪魔を煽るかのように自らバッドエンドへと導く落し物をするのだった。……いいや、あるいはそれが彼らなりにひねり出した悪魔への警告なのかもしれない。
けれどもそれを見た悪魔は舌打ちをして、さらに機嫌を悪くした。
「バカが。コイツら、俺の立場もわかってないのか?こんなものを見せつけられたら俺も引っ込みがつかなくなっちまうだろうがよ」
彼が拾い上げたもの、それは胴体部に一本ヒビの走った灯台を模るピンバッジ。
それはとある反社会組織を指し示すシンボルで、悪魔たちにとって唯一「駆除」を前提とする「癌」でもあった。
「久しぶりの悪魔ゴッコで適当に戯れてやろうと思ってただけなのによ。つまらねえ仕事にしちまいやがって」
彼らの姿はもうどこにもない。硝煙と残響が彼らの臭いも足音も掻き消していた。
それでも闇夜を歩くことにおいて、悪魔に勝る存在はない。星一つない曇天を見上げながら一服吹かしたところで見失うこともない。
彼らはただ、一足先にエンドロールの上を走っているに過ぎないのだ。
「ロッペ、これからどうするんだ!?」「奴らまさか初めから俺たちを罠にハメてやがったのか!?」「黙れ、まだ失敗した訳じゃない!」「どうするよ、ロッペ!」
狼狽える仲間。残り少ない火薬。不気味に静まり返った背面。
男は冷静に辺りを見回し、苦渋の末、最も慣れ親しんだ未来を選んだ。
「…地下に潜ろう」
敗走。場合によっては「希望」を捨ててでもそこを走らなければならない。
「地下?まさかお前、ママに罪を擦りつけるつもりか?」
「バカ言うな。俺たちに何があっても、あの人だけは護らなきゃならねえ。そのために連中に取り入ったんじゃねえか」
全てはたった一人のために。神々よりも希少で、聖人よりも親しく温かい人のために。彼らは何度でも走る。何度でも夢に見る。彼女の笑顔を。
「じゃあ―――」
「ギャアッ!」「ウワァッ!」「グワッ!」
悪魔の報復は音もなく襲いくる。鉄の刃物では太刀打ちできない苦痛を伴う切れ味が、暗闇に犯罪者の悲鳴だけを残しては姿を隠す。
もはや警告を与える必要もない。彼は足音もなく現れ、男たちの半分を始末した。ボンヤリと闇夜に浮かんだ白い影は悲鳴を過去へと送り、残った彼らと最期の言葉を交わす。
「これはお前たちのミスだ。こんなちっぽけなゲームのルールも理解していないお前たちのな。だがもし、ここでお前たちが正しい選択をするのなら、相応の寿命を約束してやってもいい。……さあ、どうする?」
悪魔の手慣れたやり口に、男たちは完全に戦意喪失していた。もはや引き金に指を伸ばす気概もなければ、戦利品を盾にする悪知恵も働かない。
悪魔はそれを見越して半分を殺し、半分を生かした。彼らの本性を暴くために。
男たちは悪魔の誘惑に促されるように互いの顔を見やる。じっとりと額に浮かぶ脂汗に疎ましさを、握りしめる鉄の冷たさに憎しみを覚えながら。
その無言の遣り取りが、震える人さし指が誰を差すか。悪魔は黙って見届けていた。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
悲鳴は響かず、歪んだ顔には勝ち誇った笑みが浮かんでいる。
「これで満足か、クソ野郎。……俺たちは一足先に地獄で待ってる。精々窮鼠には気をつけるんだな」
互いの胸を打ち抜いた三人は抱き合い、呻き声一つ上げることなく静かに絶命していった。残された悪魔は憐みの目で彼らを見下ろす。
「正解だ。そんな情けねえ姿は死んでも母親に晒すもんじゃない」
悪魔は傍らに放り出された少女を咥えると、去り際に振り、妬ましげに付け足した。
「それに、たとえこの場を上手く切り抜けたとしても待つのは本物の地獄だ。そういう意味ではテメエらは本当に幸せ者だよ」
もしもそこに一人でも「裏切り者」がいたなら、悪魔は容赦なく三人を噛み殺す気でいた。しかし、そうはならなかった。その姿だけは褒め称えられた。その家族愛だけは羨ましく思えた。
白い悪魔は仕事を終えた解放感に浸ることもなく、罪悪感に打ちのめされながらヒラリヒラリと空に舞い、漆黒の我が家へと溶けていった。
「第6回アース・スターノベル大賞」に応募しようと思い、投稿しています。
一応、下書きが終わっている段階で20話以内、約10万字程度の作品になっています。
次話以降も完成次第投稿する予定です。(おそらく5月までには終わらないと思いますが、未完の応募も可だったのでチャレンジしています)
まだまだ覚えることが多く、読みにくいかもしれませんがご一読して頂ければ幸いです。
ちなみに、この1話はプロローグのようなもので、あらすじを読んだ後だと違和感を覚えるかもしれませんが、間違って投稿している訳ではありませんのでご了承くださいm(__)m