4-MORE
エレベーターホール自体は、普通のビルと大差ない感じだ。左側にトイレがあり、そして事務室のような場所で普通にスーツを着た人間が事務作業をしている。
「我々」とやらは、思ったよりも普通に会社をしている。勝手に新丈はテンションが下がっていた。
原因はあっさり降伏宣言をし、この謎の集団に身を引き渡したことではない。それについては、彼の内面にあるクズ・ブレインの構成要素である、正当化回路により判断自体の美化作業というペンキ塗りが始まっている。
「俺は悪くねえ」の六文字が、そのまま固定されるのだ。それによって、記憶が一時的に消去され、それが剥がれかけたタイミングで、なんで自分が追求されているのか分からないまま、逆ギレを始めるシステムである。
「我々の作業員が気になるのか、いいとも。彼ら我々の開発した最先端技術を導入した、全自動機械化システムの管理を行っているんだ。この機械化システムってのはなあ」
事務所を見ているのに気づいたのか、訊かれてもいないのに博士は自慢げに施設を誇る。
「彼らは個人情報を全て提出させて我々の管理下に置き、保証人の命と引き換えに頭脳労働をさせている」
「えげつない人権侵害だな」
俺はつまらない解説に、端的に返した。
「そんなことはない、この国で認められている清廉潔白な労働条件だ。書類も出させているぞ」
急に博士は、例のどう考えても有名会社のものではないタブレットの画面を見せる。そこには博士の労働契約書が、明朝体フォントのしっかりとした書体で書かれている。しかし、ニートである新丈には、就職を経験していないうえに自分でまともに契約書を交わしたことさえないので、一度も見たことのない書類の真贋はわかるはずがない。残念。
「こういうのは有名な飲食業界や、保険業界、製造業界、電気業界に建築業界、ありとあらゆる業界で採用されているテクニックだ。知らなかったのか?流石、就職先がないだけある」
「そ、そうなんすね」
嘘でもついた後のような口調で俺は苦笑をごまかした。博士は一度押したはずの下りボタンをもう一度触る。
「とんだ言いがかりをつけてきて、心外だよ、全く」
そういって、階数表示を見上げた。
軽い呼び鈴の音がして、重厚感のある扉が開いた。
聞き覚えの悪い言い方をしたのはそっちだろ、と言い返す元気もなくなってきたので、唇を噛んだまま、素直に俺はエレベーターに乗る。
最悪の景色を目撃したことで、今更ながら気持ち悪さが時間差で攻撃を仕掛けてくる。とはいえ、今は動けない。喉仏のあたりを例の大柄な男に締め付けられているのもあるけれど、実際、何をやられるかわからない怖さが、俺の足をしびれさせていた。
「とはいえ、アレの実演は大成功、その事実だけを見る私はダメージがない。ただ、やはり感情の軸に乏しい、一般人のキミには流石にショックだったかい、難杉くん」
俺の表情を揶揄するように博士は話しかける。
「いや、別に、なんともないす」
当然、嘘だ。グロ画像とは違って、どうもモザイクなしで見たときの生々しさは、圧倒的だった。なんとか誤魔化しながら複雑な感覚を飲み込もうとするが、雑巾でも口にくわえているみたいだ。
この薄気味悪さは、しばらく責任から逃げ出した後で、求人サイトを開いて応募ボタンをクリックする時の緊張感に似ている。
「なあ、何でお前は、この会社に入ったんだ」
俺を拘束している男に訊いてみたが、こちらを哀れむように虚ろな目を向けただけで、男は無言を貫いた。
「その子は、基本ドライだから仕事のことしか興味ないよ。ただキミがウチに興味あるなら、こちらも嬉しい限りだねえ、まったく」
「興味あるわけじゃねえんすけど」
「なあんだ。ま、こっからの生活、嫌でも興味持たなきゃいけなくなると思うよ」
あれだけ説教食らったのに、状況に流されたまま結局何もできずにいる。命がかかってるとか、俺らしい生き方の最後を迎えようとしている状況でも、極めて心は冷ややかだ。
冷静とかじゃなくて、完全に何かが冷めている。
今の俺を見れば、きっと母は俺を潰しにくるだろうな。
エレベーターはずうっと下がっていく。20階だとかとうに過ぎているくらいのペースで、こうなると下がっている感覚もなくなってくる。田舎の僻地に突然立っているわりに、見かけによらず建物の内部は広いようだ。
「この辺に、私の27才の時に作った傑作が……ヒヒ」
博士は壁に沿って手を這わせて、不気味な引き笑いをボリューム低めで発していた。
「何が保管されてるんですか」
「知りたいか?本来なら機密事項だけど、私の親愛なる被験体であるキミには特別に教えてあげよう。アレは戦闘力五倍カプセルという。特殊な機構を体内に取り入れた場合、常人の運動能力の五倍になることができる」
「は?」
「筋密度も五倍、記憶力も五倍、処理能力、骨格強度も五倍。どうかしてると思うだろ、それが、実現してしまったのさ、この私の手で!」
すごいだろ、とでも言いたげな顔だ。実際とんでもなくすごいのだが。ただ、そういった研究があるなら、表に出して学術誌なんかに載せれば、
「なぜ、公表されたりしないんすか」
「えっとな、それは言いにくいが……これらの技術は国際情勢に反映されると非常に政治的優位性を損なうものであって、しかしキミのようなバカにでも理解しやすい言葉でいうなら」
二秒ほどの間を開けて、博士は続けた。
「外部に漏らせば、ボスに処刑される」
「今、漏らしませんでした」
言葉のブーメランが、思いっきり博士に直撃した。
「あ」
「あーあ」
後頭部を押さえ、博士は天井を仰いだ。なにやってんだろう、この人。
忘れたかのように切り替え、瞬時に冷徹な口調になって俺を見る。
「でも、キミは絶対出さないから、いいや。実質この施設をじろじろと見てしまっている以上、もう外部の人間として扱えないよ。関係者として、同じように生きて、同じように死んでもらう」
そういうと白衣のポケットに入れていた手を前で組み、語尾を誤魔化しながら笑う。悪辣なのか、それとも抜けているところがダメな人なのか、わからなくなってくる。
「こうしてサインもいただいたことだし」
タブレットの画面を捜査して、博士は書面を見せる。そこには氏名、住所、生年月日と俺の個人情報、家族構成なども記入されている履歴書が完成していた。
誠心誠意、実験体としても頑張ります。などというセリフが含まれた、絶対に嘘偽りしかない志望動機まで。
「ねつ造だ。俺は何もしてねえ」
「残念ながら弊社への入社意志はしっかり表明いただいているので、脱ニート完了です、本当におめでとう」
「ぬああああ」
わめき声をかき消すボリュームで、しかし冷静に博士は言い放った。
「キミはあそこで同意した。これが我々のやり方なのさ、どう誹謗されてもね。もしキミが自分でバカを示したくなければ、はめられた、なんて言わないことだよ」
ありえるとしたら、意味深に俺の後ろに控えていた男だった。今だってこういう風に俺の体を拘束しているのに、何もしないのはおかしい。
「こんなこと、許されるわけがねえ、裁判に持ち込む。内容証明郵便送って、お前個人を狙って絶対にぶちのめしてやる」
「ああ、そうかい。本日付で、赴任していただくことになっておりますので、どうか、よろしくね」
わあぎゃあ言っても、微塵も体は動かなかった。俺の真後ろを確保している屈強な男のせいだ。俺が臑を蹴ろうが、眉一つ動かさずに、機械そのものが人間の形を持ったみたいに平静を保っている。軽いベルの音が再び鳴ると、博士は開いた扉に背を向けて、お辞儀をした。
「私はここで降りるから、弊社作業員たちと仲良くしてくれれば、嬉しいなあ」
後ろには作業服を着た男女がずらりと並び、博士の退路をしっかり開けて待機していた。作業服の一同は博士を飲み込むとそのままエレベーターの中に流れ込んできて、室内の密度を急上昇させた。
最も近い所にいる女性が、俺に一言だけ発した。
「ここからは、我々についてきていただきます」
「あの……えっと、なんで」
聞き返しても、相変わらず無言だった。ここの構成員はどうも、博士とあのブルーという男以外にまともに会話が出来そうな人間がいない。コミュ障だらけなのか。
コミュ障でも、言葉に詰まってても「あ」とか「えと」とか言うだろ、俺みたいにさあ。
人の頭の間を覗いたら、博士はにっこりと笑い、そのまま手を振っている。いつものお散歩をする疲労から解放された、ドッグランで見守る飼い主みたいな目である。
まともに企業の面接を受けたことのない彼には、会社の担当者と喋っていたら実はかなりえらい人だったなどという経験はない。あったとしても、その記憶は消し飛んでいた。
扉が閉まった。
「あの、さっきからトイレにいきたいんすけど」
最寄りの女性が、あさっての方向を向いたまま、音声認識ばりの棒読みで答える。
「トイレは地下4階です」
「そうじゃなくて、俺、行けないんすか」
「トイレは地下4階です」
この話の通じなさは、体育測定のシャトルランよりひどい。あれでも少しはタイムラグを用意してくれているだけ、マシだといえる。
また、軽いベルが鳴った。
エレベーターで最下層についた俺は、屈強な男に押し出されるようにして、鉄板の床を歩くことになった。
「で、俺の待機場所は。どこなんだよ」
トイレの場所しか答えない女ではなく、俺の後ろを真顔で歩いている男の作業員が答えた。
「もうすぐです。所在地はサイト:比治山 ブロックB。女性用トイレは右側奥にあります」
「いやトイレはいいよ、この際」
「男性用トイレは個室内にしかありません」
「いいって」
俺は、何かを言うのを諦めた。
博士はサイト:比治山の監視塔から、新丈が4階層下の通路の上を歩かされながら連行される様子を見ていた。ガラス越しに見ても惨めに背を丸めている姿は少し気の毒ではあるが、滑稽だ。
この場所から、特殊隔離生体用居住ブロック「レンゲ」での滞在を彼に強制させることで、どのようなデータが検出されるのだろうか。一般人と同様の扱いを受けていたはずの人間を急に動物の檻に入れたときのリアクションと酷似していれば、必ずしばらくした後に外を向いて理解者を探すなり、ガラス戸を叩くに違いない。
「とりあえず、被検体の捕獲をボスに報告せねば」
博士はタブレットを操作する。すると偽装コードが解除され、画面は奥のほうへ向かって二つに割れた。
側面のメタルチックな部分が手前に折れてメガネのつるに変わると、余った部分が顔の正面で止まる。
非常に軽い素材で出来た液晶は顔の正面に向かって一度折れたあと斜めの角度で配置され、そこにホログラムが浮かぶ、本来のデバイスの姿になった。
「お帰りなさい、構成員Dc-1372」
非常に人間らしい発音の機械音声にただいま、と返事をし、博士はスワイプして音声入力を起動する。
「早速だけど、D-レターを起動して」
「ツールによる報告書の制作を開始します」
博士はメモリーチップを、タブレットの入力ポートがあるほうのメガネのつるに差し込み、そのまま読み込ませた。
「データを参照します」
「何かしらの理由で、HAG変異体の姿、また人似体に可逆変化する変身が可能であるというところまでは検証済み」
条件はまだ未定である。光に寄る刺激か、単純な感情の変化であるとの仮説は立てた。
「あとは適当に書式結合して、本部に提出してくれ。よろしく」
「了解しました」
パターン化させた行動を覚えているから、人間らしい受け答えをしながらも割と適当な指示でも従うようになっている。我ながらいいものを作ったな。
これで、大丈夫だろう。
博士は真空ロックの閉まる音を聞きながら、ショパンの第7番をかけた。
すごいご立派な隔離がなされた。俺が国内で唯一の病原体を持っている患者みたいな扱いだ。もしくは、異星人か何かを閉じ込めておくための場所に近いような気すらした。屈強な男に押し出され、真空ドアとかいうところから中に入った時に、終わりだという実感がした。
この隔離システムは、ホワイトキューブというらしい。椅子にロゴと会社名が書いてある。CMでも聞いたことのある、列車なんかを作っている会社だった。
悪の結社なんかに使われているなんて知ったら、絶対、炎上間違いないだろうな。
絶対燃やしてやる、と思ってSNSを開こうとスマホを取り出す。
そう、この部屋に入ったときに、ロボットが手錠を外したのである。そのぶん、出ることは一切できないようになってしまったわけなのだが、娯楽はなぜか一通り揃っていた。
ゲームの前機種と液晶、パソコンなんかが、白一色の部屋の中に全て揃って入っているのは、すごい近未来感を感じる。
スマホは、起動しなかった。
テーブルに移行手順が書かれている。
「この施設内ではこちらの端末のみご利用いただけます」とある。
多分、検索履歴だの位置情報だの、全て見られるのだろう。
そう考えると、完全に萎えてきた。
風呂場にはちゃんと湯船と洗うためのものが一式揃っている。洗濯機もあるし、壁に埋め込まれているベッドはしっかりとした作り。
意外と快適に過ごせそうだ。ただ、唯一尊厳を奪うものが、部屋の死角全てに配置されている。
監視カメラだ。
「これだけはどうにもなんねえか」
「もしもし」
博士が、挑発するような声で話しかける。どこにスピーカーがあるんだ、これ。
「あ、聞こえてる?」
「聞こえてないっす」
「ああ、きこえてるのか、よかった。とりあえず、今日からここがキミの家ということで。衣食住、ありとあらゆる欲望を叶える準備はできているからね、外出以外」
「自由が一番ほしいんすけど」
「キミがこれにサインしたんだろ、変なこと言うな」
俺は博士に聞こえるように舌打ちした。博士はまた変な引き笑いをすると
「というわけで、今後もデータの協力、よろしくね」といって、通信を切ってしまった。




