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10-MORE


「なあ、あんた。諦めたらどうだ。俺を攻撃すれば汚れるぜ。何たって、今の俺は全身生ごみだからな。衛生的にも怪我をすればまずいし、撤退した方がいいと思うけどなあ」


 マスクを被りなおし、ジェット・ブラックはやや焦げてしまった髪を面倒臭そうに掻いた。表情は、唇の端をつり上がらせ、美形のマスクを完全に壊していた。

 燃えてしまったものはもう戻らない。少し申し訳ない気分に、全くならないな。


「いえ、あなただけは確実に仕留めます。腹が立つ名前ですが、今回ばかりは、その名前の通り一瞬で、尊厳もなにもかも失わせ、あなたを再起不能にしてさしあげましょう」


「流石に、それはやめてもらいたいんだがな、俺もまだ大して長くは生きてないほうだしさ、せめて敦盛を踊ってから死にたいところだね」


「人の髪を燃やしておきながら、何を」


 ジェット・ブラックは笑う。それは決して馬鹿にするほうではない嘲笑だった。重たい感情の乗った笑い。心の底が見えない、冷酷な笑いだ。


 あちらさんは相当キレている。挑発しきったのが不味かったか、耳のほうまで真っ赤になって、聞こえてくる呼吸も荒い。だが恫喝はしなかった。

 中から湧いてくる情動をなだめているみたいに、肩をすくめる。そして、突如話題を振ってきた。


「ところで、人が身体能力に圧倒的な差のある熊を倒すことができる理由は、何だと思いますか?」


「知識じゃねえの」


 俺が答える。そのとき口を動かしているほうにリソースを割いたのが相手はわかったのだろう。既に俺の視線の先にいた怪人は、視界の半分を奪うほどに近づいていた。


「技量です」


 俺の顔の前に、黒の横線が現れる。一瞬で距離を詰めた怪人を、俺はまともに避けることができないまま、鼻っ柱を潰される。とっさに受け身もとれず、全身の骨を揺らす衝撃が俺の体を走った。

 呼吸が止まる。


「人間に技があれば、刃物と同じ鋭さをもった爪で襲いかかられても、槍というたった1本の棒で熊の弱点を的確に貫き、倒すことができる、ゆえに、それはわたくしとあなたの関係でも、同じこと」


 このスーツと体の頑丈さがなければ確実に後頭部からの出血で死んでいるだろう。一切の鉄板にたたき伏せられながら、俺はまだ震える腕で体を支えながら、「ジェット・ブラック」を見上げる。


 俺よりもこの力と、その使い方を把握している様子だ。


 しとねの確実にダウンを奪っていた鉄拳を十発以上喰らっても起き上がれるタフネス。

 それに空気を割る拳という、あの必殺の一撃。

 身体能力という分にかけては、「ジェット・ブラック」も、俺と同じようなスペックを想定できる。


 ただ、それ以上にあちらには「流れを読む」力というのがあるようだった。相手の体力を呼吸や動きでつかみ、そして消耗したり緩んだ隙に一撃で仕留める。


 身体能力に劣る人間が改造人間に勝ちにいくとしたら、相手により多くのダメージを与えて攻略させない、それ以外の方法はない。そうした流れを奴はつかみ、あえて耐えられる範囲でしとねに殴らせた。そして疲労の見えた一瞬を狙って、一撃必殺の攻撃を繰り出したのだ。

 

「あなたは、まだ自分の力を全く理解していないし、扱えていませんから」


「そうか、そうか、ならまあ、学ぶだけだな」


 と、強気で言い放ってみたはいいものの、どうすればそれを体に染みつかせることができようものかは、皆目見当もつかない。

 俺はさっき自分で放っていた拳の軌道すらも、見えていなかったからだ。自分の技が、いっさい身体についてこれていないのだ。反応すらまともに出来やしない。言うなれば補助輪を外されたばかりの幼児が自転車の上でふらついているのと同じだった。


 今の俺だと、純粋な身体能力だけでこの相手にまともに勝つのは不可能かもしれなかった。


「学べるものなら、どうぞ」


 怪人の目に、Sッ気を感じるまなざしが宿る。


「でもわたくしはこの1本の柵があれば、こうして」


 ノールックで腰掛けていた鉄柵を抜き取り、溶接されていた部分を引き剥がすように破壊して「ジェット・ブラック」はこちらに迫った。振りかぶった柵を俺は前に出した腕で振り払おうとする。

 だが、柵の隙間に、綺麗に手はすくい上げられ、俺の体は空中に浮いた。


 柵に挟まれた俺の体が、首元から持ち上げられる。俺がその棒から離れようととしてもがくと、力を抜いて反対の方から伸びる蹴りを打ち込まれ、また押し戻された。

 金属バットの打撃よりも、数倍痛い。


「あなたを触れないままで、どうにか出来ます」


 そう言いながら、「ジェット・ブラック」は俺の太ももにかかとを擦り付けている。小便で汚れたところを、なすりつけるつもりだろう。


「何すんだよ」


「汚いので、掃除しようと思いまして。あ、でもあなたは全身汚かったんでしたっけ」


「てめえ、子供みたいなことしてんじゃ」


 食ってかかろうとした時、足が地面から離れていることに気づく。空中に投げ出されてしまっていると気づいた時には、既に世界が反転して、落ちていた。


 木材で銅鑼をついたような轟音が響く。俺の視界には完全に白いものが飛んでいた。


 またしても反応が遅れた。

 頭が割れるような痛みが、頭頂部から走る。


「お前は、何もできやしない」


 痛え。目の中が、赤い色に染まっていた。

 俺がそのまま一般人だったら、俺は逃げ出してただろうか。


 しとねの姿すら、確認できない。

 ただ、俺が立ち上がらないでどうしようっていうんだ。あの少女をしょうもない理由で戦わせておいて大の大人が逃げるのか?


 みっともないが、確かに逃げたい。今すぐ逃げられるものならあの少女を置いて逃げ出して、素早さに任せて実験施設を出てしまいたいのだ。だが、ここから出たところで俺は一人だ。祖父は死んだ。父方の両親は、既に他界しているし、人間でなくなった俺は一生追われ続けることになるはずだ。頼れるところなんて、残っていない。だから理解してくれる人がほしい。


 ただ、わかってくれるだけでいいのだ。

 つらさを、乗り越える楔が1本でもあれば。


 好きなことで生きていくことと、好きな事だけして生きていくことは違う。大人はなるものではなく、そうふるまうものだと、誰か有名なツイッタラーが言ったとか、言ってないとか。


 与えてほしければ、まずは自分が何かをすることだ。


 助けを求める段階は、とうに終わっている。社会は成人男性には、何も恵みをもたらすことはない。努力を積んで結果を出してのみ、認められるのだ。


 それこそ、今やるべきじゃないのか。

 彼女の性格も、見た感じも、俺に対する態度も。まだ全部サイアクだと決まったわけじゃない。

 勝手に諦めるなよ。

 もしかしたら、いい友人になれる可能性も俺次第で掴めるかもしれないじゃないか。


 全く、自分の気持ち悪さには嫌気がさす。勝手に人に甘やかしてもらうことを求めて、

 自分で学び取ることを放棄して、

 それでも友だちがほしくて、失いたくなくて。

 勝手に、友人判定しやがる。


「馬鹿にすんじゃねえ。友だち扱いしやがって。一人で寝てろ」


 しとねの声が聞こえる。これは妄想だとわかっている。それでもなんとか信じたい。

 組織が関係なければ、彼女とは趣味の付き合いくらいはできただろうなと。


 馬鹿め、残念ながらそこで止まってりゃ、無職童貞してねえよ。

 勝手に妄想して、それを現実だと思い込んで、距離感バグって、勝手に相手に期待して。

 俺は変人だ。社会の連中は俺のことを滅多刺しにするだろう。ありえない、クソだ。ロリコンだと。


 そうだ。ケアを求めてる馬鹿だ。保護しなければいけない存在に、自分の弱さをカバーしてほしいと求めてしまった馬鹿だ。


 だから、俺は行動で示さないといけないんだ。動かないといけない。

 まず動け。考えるな、都合良くするな。ブリティッシュジェントルマンの誠実さは振る舞いからだと、漫画の登場人物が言っていた気がする。


「うおおおおおお」


 視界はクリアになった。俺は気づいたら、柵を渾身の力で握りしめていた。少し動揺したようなジェット・ブラックの表情が、俺の自信を加速させる。


 ブルーのように、柵を抱えたまま「ジェット・ブラック」を揺さぶる。

 手刀を大上段から一撃入れ、奴の手から柵を奪いとった。が、瞬間、手首を神砂嵐でも出来なければ確実に壊れる内方向に曲げられ、俺は悲鳴を上げて手を離した。


 あっさりと向こうに凶器は渡る。

 間髪入れず、すくい上げるように柵が振るわれた。


 俺の手足によるガードは間に合わない。青竹のごとく真っ二つに割られた柵を横凪ぎに一閃。

 俺の側頭部から、血が吹き出す。そこには、風が残った。

 左腕がなければ確実に俺の喉やらなんやらはなくなって、そのまま死んでいる。


「どうでしょうか、やはり無駄なのでは」


 嘲る怪人を無視して、俺は額を拭った。


 俺は前傾姿勢になり、ただ、息をゆっくりと吐いた。

 呼吸法と根性があれば、痛みは多少軽減できる。

 素人丸出しだが、真似させて貰うぜ。


「ただ、突っ込むのみ、だ」


 結論としては、しとねと同じようにただ相手のリーチの中に入る、それだけをめざした、前傾姿勢でひたすら相手のバランスを崩すことで、投げに持ち込むこと。


 これしかなかった。


 引き倒されても、何があっても、俺は手をつかずに起き上がった。

 全身に、刺突痕を残すほどの打撃も、暴走機関車と化した俺にはさほど効かない。


 多少なりとも血が舞うが、そんなことは些細な問題だった。

 

 俺ができることは痛みを覚える前に、意識を相手を狙うことだけに集めて、ただひたすらに暴れる力だけで、立ち向かうことだけ。止まらずに、死ぬことも考えずに、ただ突っ込むこと。


 俺の意志で、俺の力で、手にしちゃ悪いもんかよ。俺の望む未来ってのは。

 本気を出せば、金属さえ真っ二つにねじり切れるのだ。

 金属を素手で切れる人間はいない。プレス加工の工場でも、多少は雇ってくれるかもしれない。

 働き口の希望が見えてきた。


 と、そんなことはどうでもよい。


 鉄棒が、防御姿勢になった俺の両腕を貫いた。

 貫通はしていない、が、片方が折れているらしい。

 痛みはあまり感じなかった。ただ、体の各部は感覚がしっかりと残っているし、動かせるはずなのに、湯気を出してショートしていた。滝のように汗やら何やらが漏れ出していることはともかくとして、とにかく不快だ。


「でも、まだだ。まだ終わらない」


 したたる汗が、目と傷跡に染みるが、その程度は些細なことだ。寒気がするのも、オーラのように纏って、俺は「ジェット・ブラック」に突撃する。

 勢いだけなら、十分相手を越えるだろうスピードだ、しかし、それでも足運び一つだけでさらりと避けられ、地面にたたき伏せられてしまう。


 そのあとは完全に、俺を使ったサッカーだった。綺麗に振り抜かれたトー・キックが、顎の下を穿った。勢いは高速道路よろしく、俺は後方に吹き飛ばされる。

 そして壁に当たって落ちるところに、追撃の拳が当たる。踏ん張りの効かない体は情けなく転がって、安全柵のそばにあるネットの編み目が、辛うじて俺の上体を受け止めた。


「しつこいんですよ、チャーシューが」


「残念だったな、そりゃあ褒め言葉だ」


 ラジオ体操に毎日通う子供よりしつこいぜ、今の俺の執着は。

 つい最近までは、命など途中で終わってもかまわないとさえ達観している気になって、どうかしてたが。


「抵抗はやめましょう。ここであっさり死ぬか、それとも、2階下に突き落とされてまだ苦しむか、選んでください」


 膝立ちの俺の前で、両手を広げる怪人。余裕の態度が腹立たしい。常に上位であるがゆえの傲慢って奴か?そんなのは、劣等生に成り下がった俺には最高にサイコに映るんだよ。

 だから退かない。

 通したい。


「1.5で頼むぜ、ここで粘ってやる」


「それは、不可能ですね、あなたがウザいので。さっきからずっと、何度も何度も戻ってきて。いい加減、戦闘のテンポが悪すぎますので、処理しますね。長引かせて貰うと困りますよ」


 肩の排熱口のようなところから出る蒸気が、かなり増えていた。

 どうやら、限界に近いらしい。


「いきます」


 頬が切れた。真空波だろうか。感じる一瞬のスロー映像のような間の次に、隕石でも直撃したのかというほどの何かが、俺の胸の装甲を完璧に破壊した。


《JET・PUNCH!!!》


 俺は虚空に打ち上がった。

 視認できない一撃が、俺を撃ったのだ。


 階層を守る隔壁を完璧に破壊していることに気づく。秒も経たない間に、


《BACK BLOW》


 不可視の肘撃ちが、俺の背骨を捉えた。


 確実に、粉砕級の何かが移動する俺の体を動けなくなった。


 しかし、その時に力は尽きたらしい。


 電池切れの人形らしくその場に太ももからへたり込み、そのままうずくまってしまった。


「オーケーだ、ジェット・ブラック」


 博士が倒れ伏す怪人に言った。


「キミは素晴らしい戦闘データをくれた。名前以上の、素晴らしい働きだよ」


「さあ、まだ抵抗するかい」


 しかし、その最後の一発を貰っておきながら、俺は朦朧とした意識がゆっくりと戻ってきていた。

 覚醒でも、なんでもない。もとからこんな感じだったのかもしれない。

 俺は、ゆっくりと起き上がった。


「我慢比べなら、俺の勝ちだな」


 俺は頬をだらしなく歪めて笑う。


「なんということだ」


 博士はドローンを向けて、俺に乱射する。しかし、効かない。俺のスーツの上を不思議と弾力性のある物体、タピオカのように変形してそのまま滑っていってしまうのである。

 無数に放たれた弾は、全く歯を通さなかった。



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