なろうでは、何故ロボット物に人気がないのか?もしくは俺の書いたロボットもの小説が読まれないことの言い訳。
映画やアニメではロボット物がもてはやされているのに、何故なろうでは人気が無いのか考えてみた。
なろうではロボット物は人気が無い。ロボット物自体が人気が無いわけはなく、その証拠にアニメではガンダムやマクロスなどのロボット物は大人気で続編なども数多くつくられているし、映画ではトランスフォーマーやパシフィック・リムなど人気が有り続編も作られている物が多数ある。
基本的に日本人はロボット物が大好きなのだ(まあ、日本人は海外の人からもロボット好きであることで有名で、例えば日本で作られたスパイダーマンには巨大なロボットが登場して活躍していることは、一部の人には有名である。御台場の等身大ガンダムや、世界に先駆けて人型二足歩行ロボットのアシモを造ったのも日本のホンダである。でも最近はアメリカの方がすごいかもしれない。開発が終わったアシモより、ボストンダイナミック社のロボットの動作には目を見張る。ハリウッド映画には多数のロボットが登場しているし、もはやロボット先進国はアメリカなのかもしれない。閑話休題)
と言うことは、なろうでロボット物が流行らないのはロボット物その物が悪いのではなく、ロボット物となろうの相性が悪い。そう、結論してしまう訳だ。
では何故、なろうとロボットは相性が悪いのか。まず、その理由の一つとして考えられるのがそもそも文章媒体とロボット物自体が相性良く無いとからだと思う。
ロボット物が好きな人がロボット物に何を望んでいるかと言えば、人それぞれではあると思うがやっぱりカッコいいロボットの戦闘シーンではないだろうか。
しかしロボットの様な複雑な形状の物のアクションを描写するには非常に高い文章力が必要になる。イラストなら複雑でメカニカルなカッコいいロボットの外見も一目でわかるし、アニメや映画なら重量感のある動きも、軽妙な動作も一瞬で見て理解できる。
だが、同じ情報量を伝えるのに文章ではとんでもない文字数が必要になる。文章でこう言ったものを伝えるのは難しいので、普通の作家は読者の想像力に訴える描写をすることになる。読者が、カッコいいメカや動きを想像できたら成功である。しかし、想像力をかきたてる描写というのも、中々に難しい。
SFはビジュアルだ。と言う言葉がある。これはSFの世界観を表すには文章より絵の方が強いと言う意味だと自分は理解してみた。
SFの一つであるロボット物もそれは同様で、ロボットを描写するにも凝った文章より一枚の絵の方が、そう言ったものを伝えやすいのだ。
では、カッコいいロボットの挿絵を入れれば解決する。……となれば簡単なのだが、実はそこまで単純では無い。動きのあるカッコいいロボットの絵って、簡単には描けないのだ。
複雑な形状のロボットのアクションシーンをデッサンの狂いもなく描くには、プロ並みの画力が要求される。そこを下手なイラストで妥協すると、読者の想像を阻害するだけのノイズにしかならない。むしろそれなら入れない方がマシなくらいである。
つまり、読者(の大部分?)が期待するロボットの戦闘シーンを楽しむためにはプロ並みの文章力を持った作家とプロ並みの画力を持った画家が必要で有り、さらに言えば、この二つが揃うことが最低条件で、これらの条件が満たされても人気が出るとは限らないのだ。
実際一般の書籍でもオリジナルロボット物はほとんど見かけない。プロの作家の書いた文章と、プロのイラストレーターの描いたイラストがあってもこうなのだから(こう言っては悪いが)素人に毛の生えた程度の文章力のなろう作家では相当にキツい。はっきり言って無理ゲーである。
二つ目として、ロボット物はなろうのテンプレに当てはまらないと言うことだ。
なろうにおけるテンプレって特に文章内で書かれていなくても、それが常識として読者の頭の中にある物だと思う。
例えばナーロッパと言う世界観。特に説明しなくてもなろう読者はそう言った世界で主人公は活躍していると認識しているはずだ。だからなろう作家はそのテンプレ部分の描写を省くことができる。
だがロボット物は結構複雑な世界観が必要になるためテンプレに頼りにくい。だから、どうしてもそう言ったものを最初にある程度読者に説明しないといけない。真面目な作家である程こう言った部分を細かく書いていくのだが、ここを上手くやらないと初期部分で読者は飽きて読まなくなる。つまりキチンとやろうとする程、読者が離れていくと言う二律背反状態になる。
そして三つ目。(実はこれが一番影響がでかいかも)そもそも、巷にカッコいいロボットのアニメが溢れている現状で、それの劣化版に過ぎないロボット物のなろう小説を読む意味がほとんどない。
と、まあ此処まで読んでくれた人、あくまで俺の言い訳なので、あまり本気にしないでね。