11.聴こえなかった声〜ライアン視点〜②
そんな穏やかな日常を過ごしていた時に王妃様主催のお茶会が開かれることになった。
本当はまだアリーナに無理はさせたくないが、貴族の義務だから断わることは出来ず渋々参加を決めた。
久しぶりの社交だったがアリーナが嬉しそうにしている姿を見て俺も安心していた。
もう彼女から離れるつもりはなかったが、アーノルドが告げた言葉により側を離れることを余儀なくされる。
『ライアン、詳しいことは私も分からないが至急文官も集まれと通達が来た。すぐ行こうっ!』
仕事絡みなら行かなくてはならない。
後ろ髪が引かれる思いだったが、妻をその場に残して離れていった。
集められた場所に行くと困惑顔の文官達の姿があり、皆口々に『一体どうしたんだ?』と互いになにか知っていることはないかと訊ねている。
集められた理由に心当たりがある者は誰もいないようで、ざわつきが治まる気配はない。
ある程度の人数が集まった頃に一人の上級文官が部屋に入って来た。彼は時間が惜しいとばかりに名乗ることすらせず集められた理由だけを早口で告げてくる。
『王妃様主催のお茶会に王族を狙う輩が潜り込んでいるという情報を掴んだ。どうやら招待された貴族を装っているらしいが、それが誰なのか分からん。騒ぎを起こす前に見つけたい、他言は無用だ。みなはお茶会に戻り怪しい人物を見つけたら近くの騎士に速やかに連絡してくれ。一刻を争う、行けっ!』
その場が一瞬で静まり返り緊張が走る。そして次の瞬間には集められた者達はお茶会が開かれている庭園に急ぎ戻り始めた。
俺は『チッ、くそったれが…!』と呟きながら駆け足で庭園へと向かった。こんなことだと知っていたら一人でアリーナをあの場に残したりなど絶対にしなかった。
彼女に危険が迫っていると思うと気が気でない。全力で走っているつもりなのにまだ妻の元に戻れていない自分を『なんでこんなに遅いんだっ』と罵らずにはいられない。
どうか間に合ってくれっ。
どうか神よっ。
俺が行くまでアリーナを守り給え…。
普段は信じてもいない神に今日ばかりは祈ってしまう。
庭園に着いた時には最悪の事態がすでに起こっていた。
…間に合わなかったのだ。
逃げ惑う人々と武器を持った数人の男達が入れ乱れ土埃が舞って視界が遮られる。
混乱が騎士達の行く手を遮り、男達はまだ捕縛されていない。
怒声と悲鳴によって『リーナ、どこだっ!』と叫ぶ俺の声は無残にも掻き消されてしまう。
すぐさま妻と別れた場所へ行くが、アリーナの姿はどこにも見当たらない。
どこか安全なところに逃げているのか。
どこにいるんだ…、リーナ!!
きっと無事に逃げているはずだと自分自身に言い聞かせながら必死になって探し続ける。
逃げ惑う人々と土埃が邪魔で目を凝らしても妻の姿は見えない。人々が発する悲鳴によって彼女の名を呼ぶ自分の声ですら耳に入ってこないほどだ。
それとも俺は惨劇を前にして声すら出せていないのだろうか。この状況で俺は正常な判断が出来ているかすら怪しい。
リーナ、どこだっ!
この辺にはいないのか…。
あっちへ行ったのか?
焦るばかりで手掛かりもない、とにかく庭園中を探し回ろうと俺はまだ探していない方へと行こうとしたがふとなぜか足が止まる。
声が聴こえたわけではない、でもなんだがアリーナに呼ばれたような感覚がしてハッと後ろを振り返る。
リーナ…、側にいるのか…?!
あぁ…気のせいだったか。
逃げ惑う人の中にアリーナの姿はない。
こんな時に直感すら働かない自分が恨めしい。
だが近くで倒れているカトリーナが目に飛び込んできた。腹部を血で真っ赤に染め上げ『だれか、助けて…お願いっ!』と泣き叫んでいる。
周りに人はいるが誰も彼女を助ける気配はない。
みんな自分が逃げることだけで精一杯だった。
くそっ、こんな時に限って…。
近くに騎士はいないのかっ!
アリーナを探すことを優先したい。
だが近くに騎士の姿はなく、息も絶え絶えの彼女に手を差し伸べる者はいない。このままでは確実に彼女は手遅れになるだろう。
…見捨てるという選択は出来なかった。
とりあえず彼女を近くにいる騎士に託す為にその身を運ぶことにした。
早く妻を探したくて、乱暴にカトリーナを抱き上げると騎士のいる場所を目指す。
『あ…りがとう…』と告げてくるカトリーナに言葉を返すことも怪我の具合を尋ねることもしなかった。
そんな時間があるなら一刻も早くアリーナを探したい。
どこだ、どこにいるっ。
無事でいてくれ、お願いだ…。
カトリーナを運びながらも目で妻を探しながら進んでいく。
とにかく必死だった。
少し離れた俺の背で今まさに起こっている惨劇に気づかずに『リーナっ!どこだー、リーナーーー』と愛しい妻の名を叫びながら俺はアリーナを探し続けた。
その後いくら探しても妻の姿を見つけ出すことは叶わなかった。
男達が全員捕縛され事態が収まった頃、俺はアリーナがどこにいるのかを知った。
『ライアン・リーブス伯爵ですね?奥様が怪我をされ王宮で手当を受けております。ご案内しますのでついてきてください』
一人の文官から告げられた言葉でアリーナが生きていることを知りまずは安堵する。
そしてどれくらいの怪我を負ってしまったのかと心配になる。
『妻の怪我の具合はどうなんですか?痛がっていますか?歩けないほどなんですか?
すぐに屋敷でゆっくりと休ませたいんですが、すぐに連れて帰れるでしょうか?』
案内してくれる文官に逸る気持ちのまま質問を浴びせる。
彼女が痛みで苦しんでいないことを願いながら。
頭の中ではすでに屋敷で彼女がゆっくりと過ごせるようにどうすればいいかと考え始めていた。
『……私は医者ではないのでなんとも言えません。詳しいことは医者に聞いてもらえますか』
俺の問いに文官は目を合わせることなく答える。
そうだろう、彼は医者ではないので分からなくて当然だった。
だがそうではなかった。彼は分からないから答えなかったのでないことをすぐに知ることになる。
案内された部屋のベットに横たわる妻の顔は真っ白で上半身に巻かれた包帯は血で染まっている。
夫である俺に向かって医者は妻の容態を説明する。
『奥様は背中を切りつけられています。助けるのが遅れたので出血も酷くてかなり危ない状態です。
とにかく全力は尽くします。こんなことは伝えるのは心苦しいですが…覚悟はなさって下さい』
苦しげな表情を浮かべる医者はその後も何か話していたがもう俺の耳には入ってこなかった。
覚悟ってなんだ?何を言っている…。
はっ、おかしなことを言わないでくれ。
リーナは俺が呼べばきっと目を開けてくれる。
『ライ』って呼んでくれる。
そうだよな…、リーナ?
横たわる妻にふらふらと近づいていく俺を咎める者はいない。
血の気を失った妻は目を閉じたままで『リーナ、リーナ…』と俺が何度声を掛けてもいつものように優しく返事を返してくれはしない。
こんなのおかしいだろうっ。
アリーナがこんな目に遭うなんて絶対に駄目だ!
『……リ…、ナ。なんで…だ、どうして…。
うぉぉぉぉーーーー、ア…リーーーナ……』
守れなかった妻を前にして叫ぶ俺を止めるものは誰もいなかった。