2話
蛞蝓の体に二つの大きな触覚、それに百足の足をもった化物がいた。
「「うわーーーー!!!」」
髭面の男は掴んでいた僕の腕を投げ捨てるように離した。そのせいで僕の体はすごい勢いで半回転し、バランスを崩して倒れた。
「ギャーーーーーーーーー!!!」
化物は再びとてつもなく大きな奇声を上げた。僕は恐ろしかった。とても自分が抗えるような存在には思えなかった。殺されると思った。食べられると思った。地面で体を丸めながらただただ震えていた。この状況から抜け出すために何かしなければいけないのに、考える事すらできなかった。
大きいのは声だけじゃない。脳にこびりついた化物、その体は馬より一回り以上は大きい。
金属のような光沢を持ったいくつもの黒光りする足を持ち、全身は何色とも表現することが出来ぬ粘液に覆われ滴っている。頭部から生えている黒い触手の根元には人間を容易く丸呑みできそうなほどの口があって短剣のような牙を剥き出しにしていた。
「ふざけんなクソ!コイツ、急に出てきやがって」
「なんだこの気味の悪りいのは!」
「こんなバケモンの話、いままで聞いたこともねえぞ」
男達の声が聞こえた。奴らは震えている僕とは違うようだった。
彼らは立ち直っていた。突然、茂みから見たことも無い化け物が飛び出てきたときには確実に狼狽えていたはずだった。だがそれでも、わずかな後、男達は武器をとっていた。すべきことをしていた。
それは彼らが優秀な戦士である証拠だった。いくつもの死線を自らの力で潜り抜けてきた証拠だった。
「おいドグラス、足が震えてるぞ」
「ウェズレ、てめーこそ小便もらしてんじゃねえか」
「おめーらそこで震えてるガキと一緒だな、情けねー奴らだ」
「誰がビビってるって?」
「おめーだよ!さっきビビッて情けねー声上げてたじゃねーか」
本気で言い争っているわけではない。それは笑い声交じりのものだった。軽口をたたき合って緊張をほぐし、戦いに備えているのだ。
顔をあげると男達は化け物を中心に三方に一定の距離をとりつつ武器を構えていた。
「いくらで売れっかなコレよー」
「相当いい金になるだろうよ」
「だろうな。こんなとんでもねえ化物だ、頭のイカれたクソ貴族がたかーく買ってくれるさ」
「おいしい獲物じゃねえか」
「ラッキーだぜ、しばらく仕事はしなくて済みそーだ」
「違いねえ」
相も変わらず会話の内容は軽いが表情は真剣そのもので恐ろしいほどだった。
「グルルルルルル…」
低音の唸り声を上げる化物も三人の男達を完全に敵と捉えたようだった。化物は動かず、男達はじりじりと距離を詰めていく。
「闘気全開でいけよおめーら」
「そんなもん言われなくてもわかってるっつーんだよ」
闘気使いなんだ、僕がそう思っていると、「ザッ」という土を蹴り上げる音が聞こえた。その音と同時に男達は物凄い勢いで突進していた。普通の人間には不可能な速度だった。
「なんだと!」
「クソが」
「消えやがった」
化物は消えていた。
「グギギギギギギ…」
男達の背後、真後ろにいて嗤っていた。僕にはそう感じた。
「ふざけやがって…」
それは男達も同様の様だった。
「ギギギギギ…」
弱者を嗤う声だった。
「クソバケモンが、ぶっ殺してやる」
言葉ほど男達の顔は勇ましくなかった。
「うを…」
化物の体からは6本の触手が生えていた。ミミズのようにうねり粘液が滴っている触手だった。それは明らかに攻撃の意志を感じさせた。
「飲め」
口元を隠した男が言うと三人は一斉に左肩についた小さなポケットから何かを取り出すと一気に口に含んだ。
「ギギギギギ…」
悠然とそれを見ながらまた嗤った。
再び地面を蹴り上げる音。そのスピードは先ほどよりも明らかに早く、残像にしか見えなかった。
「グギギギギ…」
化物はさっきと同じように男達の真後ろにいた。だたさっきと違うのはその体からは触手が伸び、その先にはグルグル巻きにされた男たちの体があったことだった。
「ぐ…」
口まで触手に覆われ、聞こえたのは呻き声だけだった。
触手は男たちの体を三人一片に持ち上げ、とてつもない音と共に地面に叩きつけた。巨木が倒れたかと思うほどの音だった。ぐったりとした男達の体を化物は持ち上げ、捻り潰した。
それは今までに見たどんな悪夢よりもひどい。
喰っていた。
恐ろしい音に僕は必死で耳を塞いだ。次に食べられるのは自分だと思った。けれど目が離せなかった。すると化物はなにやら不思議な動きを始めた。
グネグネと体を動かしたり、触手を伸ばしたり引っ込めたり、飛び跳ねて見たり。獲物を食べて時の喜びの舞だろうか。
生きれるかもしれない、そう思った。もしかしたら化物はお腹がいっぱいになったんじゃないだろうか。そうだ、三人も食べたんだ。もう食べなくてもいいんだろう。そうだ、そうに決まってる。
だが化物は僕の方を向くと百足のような足を動かして僕の方に向かってきた。
駄目だ、やっぱり食べられる。
「ガグアアグ…」
目の前まで来た化物は何かを言ってた。
「アグムアア…」
その声はさっきまでとは違った。威圧するような感じが無かった。そうか、何かを言いたいんだ。そう思った。僕はこの化物が何を言おうとしているのか知りたいと思った。不思議と恐ろしさは消えていた。
グネグネと動いていた。蛞蝓が空に向かって伸びているみたいだった。グネグネと動く、グネグネと動く。
蛞蝓は人間になった。
「正当防衛だ」
人間は言った。




