ネバーランド
グリム童話:『ヘンゼルとグレーテル』
ひたすら歩いていた。樹々を掻き分けて掻き分けて森の奥深くに、更に掻き分けて更に森の奥深くに入り込んだ。何のために何の目的で何処へ行こうとしているのか、ピーター・パーンだけでなくティカー・ベールでさえもその事を口にしようとはしなかった。ピーター・パーンとティンカー・ベールとカーコは語ることもなく沈黙したまま樹々を掻き分け掻き分けて森の奥深くへと歩いて行った。
カーコは、疲れ果てて肩をガックリと落とし、ふ~と大きな溜息をついた。
「疲れた。歩くのに」
と、ティンカー・ベールがまるでカーコの気持ちを代弁したかのように言って、立ち止まった。
「ねえ、その背中の羽はただの飾り物なの?」
と、カーコが言った。
「ふん。冗談は一昨日にしなさいよね」
と、ティンカー・ベールがムッとしたように返した。
「だったら、飛べばいいのに。その方が楽じゃない」
「簡単に言ってるようだけどね、飛ぶには物凄~いエネルギーを消耗するのよ」
「歩くよりも?」
と、カーコが言って
「そうじゃ、そうじゃ、儂も気になっておったんじゃ。どうなのじゃ、ティンカー・ベール」
と、ピーター・パーンが言った。
「ピーター・パーンまでもが疑ってるの?妖精の私を」
「いや、疑ってはおらんぞ。いや、疑っているかもしれん。なにせ、飛んではおらんだからな」
「今日だけでしょう。今だけでしょう」
「そうであったかの~」
「そうよ」
ピーター・パーンがああ言えば、ティンカー・ベールがこう言う。ティンカー・ベールがこう言えば、ピーター・パーンがああ言う。二人の掛け合いは、どっちがツッコミでどっちがボケなのかがわからないのであるが、まるで漫才のようであった。
カーコが、そんな二人の漫才のような掛け合いを面白おかしく眺めていると、いきなりティンカー・ベールの体が光り始め、羽をバタバタとバツつかせて浮き上がった。瞬間、ピーター・パーンがティンカー・ベールの足首を掴んだ。
「そちは儂のをな」
と促されて、カーコはピーター・パーンの足首を掴んだ。
「重ッ!」
と叫ぶや否や、ティンカー・ベールが赤い光を発した。その赤い光を浴びたピーター・パーンとカーコの背中に羽が生えた。カーコは、恐る恐る羽をばたつかせてピーター・パーンの足首から手を離した。
「気をつけるのだぞ」
と、ピーター・パーンに注意を喚起されたが、飛べる喜びに浸って舞い上がっているカーコの耳には届かなかった。
ゴン!
木の枝で頭の天辺を強打した。激痛が体内を駆け巡り、足の裏から突き抜けていった。何事が起こったのか、一瞬の間、カーコは理解できなかった。強かに打った頭の天辺を撫でながら辺りを見廻した。そう、ここは樹々に囲まれた深い森の奥だったのだ。
見廻しているカーコの眼の中に、突然、降って湧いたようにお菓子の家が飛び込んで来た。
「お菓子だ」
と歓喜の声を上げて、カーコはお菓子の家の屋根を目指した降下した。
カーコは屋根の上に下りるなり大口を開けて屋根の瓦に食らいついた。再び、激痛が体内を駆け巡って頭の天辺から抜けていき、コロコロと屋根を転がり落ちて行った。
「この家って、この家って、お菓子の家じゃない!」
カーコが地団太を踏みながら叫んでいると、玄関扉がギーッと軋むような音をさせて開いた。
「煩くて、おちおち昼寝もできやしないよ」
と、杖を持った白髪のお婆さんが家の中から出て来た。
「すまぬの、お婆さん」
ピーター・パーンが謝罪すると、
「お爺さんにお婆さんとは言われたくないね」
と、お婆さんが怒った顔をして言った。
「よくよく見れば、お爺さんでないことがわかるぞよ」
ピーター・パーンが言うと、お婆さんは一歩、二歩、三歩と下がって凝視して
「そのようだな。ハハハハ」
と笑い、カーコを見て言った。
「この家はな」
食品を再現した模型。
嘗ては蝋で作られていたが、現在は主に樹脂を素材にしている。
1955年に岩崎瀧三氏が郡上市八幡町に食品サンプルの工場を設立して以来地場産業になった。
「どうしてなのじゃ?」
と、ピーター・パーンが不思議そうに訊いた。
「子供達がやってきてはお菓子の家を食べ尽くしてしまうんでな、食品サンプルにしたのだよ」
と、お婆さんは返答した。
「美味しいおやつがあるよ。おいで」
お婆さんが、カーコを手招きした。
「先を急ぐのでな。失礼するぞよ」
「まあまあ、そう言わずに、中で菓子と茶でも、どうじゃな。わたしゃいつもそうやって、子供達をもてなしておるんだよ」
と言って、お婆さんが、不気味な笑みを浮かべて舌なめずりした。
「気持ちだけ有り難く受けておこうではないか」
「ならば、お前だけでも。おいで」
と、お婆さんがカーコの手をガシッと鷲摑みして家の中に引き摺り込もうとした。
「待たぬか」
と、ピーター・パーンが杖でお婆さんの手を打ちつけ、離れたカーコの手を掴んで引き寄せた。
「その杖は、藜だな」
「いかにも」
藜は河原などに自生する雑草で、背丈は1メートル以上。若葉は食用にもなるが酸っぱい。
秋になって枯れた茎を老人用の杖にした。
俳句:松尾芭蕉
「宿りせん、藜の杖に、なる日まで」
意味:己百のもてなしに対する挨拶吟。余りの快いもてなしにこの分ではアカザが杖になるまで滞在したいものだ。
ピーター・パーンとお婆さんは、杖を構えて睨みあっていた。
「怪我をしても知らぬぞ」
「それはこっちの台詞。女だと思って甘くみるんじゃないよ」
「容赦せぬぞ」
「望むところ」
カチン!カチン!カチン!
「なかなかやるわね。でも、藜の杖ではわたしには勝てないよ」
と、お婆さんがほざくや否や、
ボキッ!
ピーター・パーンの藜の遍路杖が真っ二つに折れた。
藜の杖は、ボコボコしていて軽く使いやすい杖ではあるが脆い。
「ピーター・パーンの加勢をするのよ」
「ええッ?私がッ?……でも」
「いいから、ほら。行って」
ティンカー・ベールはカーコの背中を押して
「私は杖を修理するから」
と、言った。
ティンカーベルは、壊れた鍋やフライパンなどを直す金物修理の妖精。腕のいいティンカーベルは、物を修理することがなによりの喜びであった。
お婆さんが大上段から頭の天辺目掛けて杖を振り下ろした。ピ-ター・パーンがその杖を両掌で挟んだ。
「真剣白刃取り。案ずるでないぞ」
と、ピーター・パーンがカーコに向けて発した途端、お婆さんの杖が両掌からすり抜けて、強かに頭を打ちのめした。
ピーター・パーンは、痛そうに頭を押さえたままその場にしゃがみ込んでしまった。
トンチンカン!トンチンカン!トンチンカン!
ティンカー・ベールの修理音が、森の中に響き渡っていた。
「どうしたものか」
と右往左往しているカーコの前を、洋服を着た白ウサギが通り過ぎて行った。
「えッ?」
と、カーコが言うや白ウサギが立ち止まって振り返り
「私についてきなさい」
と、言った。
透かさず、ティンカー・ベールが言った。
「直ったわよ」
ティンカー・ベールは修理を終えた杖を、ピーター・パーンに向かって放り投げた。それを受け取り
「ついて行くぞよ」
と言って、ピーター・パーンは白ウサギの後を追った。
「私達も」
ティカー・ベールとカーコもその後を追いかけた。