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おやつ

コケコッコ!

夜明け方に一番鶏が鳴いた。雄鶏が朝一番にコケコッコーと鳴くのは3時半から4時の間が多く、季節に関わりなく体内時計によって予知的に鳴く。お母さんはその声を聞いて目覚めると、顔を洗って身嗜みを整え、エプロンをする。それから台所に入り、朝の食事の支度を始める。

トントントン!

 俎板で野菜を刻む音が、目覚めぬ朝の静寂の家の中に響き渡っていた。カーコは安眠中の部屋のベッドの上でその単調な音を聴きながら、夢うつつの中で歌っていた。

トントン、まないたで

トントン、野菜を刻む

トントン、今日の味噌汁はどんなもの

嫌いなお野菜は入っていませんように

「カーコ、起きなさい。カーコ」

 突如予期したように朝の恒例の、優しく呼び起すお母さんの声が静かな部屋の中に轟き渡った。

カーコカーコ、優しい声で

カーコカーコ、一番鶏が鳴いている

カーコカーコ、起きなさいと言われても

眠いのだから起きるわけがない。

 お母さんの優しい一番鶏の声で起きなければ、

「起きなさいッ。何してるのッ。毎朝同じことを言わせないのッ。お母さんは忙しいんだから、起す前に自分で起きるのッ」

と、まぁこうなる。

 それでも起きなければ、部屋に入ってきて

「はい、はい、起きるのよ。ねぇ、カーコちゃん」

 猫撫で声でカーコの意思などなんのその無視して掛け布団を剥がして上半身を起こす。

「もうちょっとだけ」

と、カーコが猫撫で声で哀願したら

「遅刻して先生に叱られても、お母さんはしらないからね」

と突き放されて、お母さんは部屋から出て行った。

 遅刻、先生、怒られる。カーコはこの三つの言葉に弱かった。仕方なさそうに欠伸をしながら、眠い眼を擦り擦り洗面所に行き、顔を洗ってスッキリサッパリと目覚めさせ、茶の間に行って席に着いた。ダイニングテーブルの上にはちゃんと朝食の支度が整えられ、後は食べるだけになっていた。

 お父さんの席は空席になっていた。店の準備で忙しいのだろう。と思っていたら、お父さんはパジャマ姿で痛そうに頭を押さえてやってきた。二日酔いのようだ。

「おはよう、お母さん」

「おはよう、お父さん」

 お父さんの二日酔いはいつものことではなく、時々なのだ。だから、お母さんは何も言わない。今朝の味噌汁がシジミなのはそのせいなんだと、カーコは納得した。

 小学一年生のカーコは、遠方に住む祖父母より贈られた新品のランドセルを背負って、近所のお姉さんやお兄さん達と集団登校した。

 授業を終えてランドセルを背負い家路に着く。でも、帰りは集団ではなく数人の仲良しグループの友人達と他愛も無く賑やかにお喋りしながら下校する。友人達と別れて一人になると、おやつのことが頭に浮かんでくる。

「今日のおやつは何だろう?」

 考え出すと居ても立ってもいられなくなって、カーコは一目散に駆けていって、小さな商店街の一角にある店の中に飛び込んだ。

「おかえり」

と、陳列棚に商品を飾っていたお父さんが手を休めずに顔だけをカーコに向けて言った。

 その声に反応したかのように、他愛無い戯言で会話に花を咲かせていたお母さんが常連客とともにカーコをチラ見した。透かさずカーコは、

「いらっしゃいませ」

と、商売人の娘らしくにこやかに笑みを浮かべて常連客に言った。

「おやつ、手を洗って食べるのよ」

と、お母さんがまるで常連客の代わりに応えたかのように返してきた。

「はーい」

と返事して、カーコは暖簾を潜って奥の方にある階段を駈け上がった。

 茶の間に入ると、テーブルの上にはおやつが置いてあった。いつものようにいつもと同じ変わり映えのしないおやつが、そこにあった。

”また?”

 園児の頃は、大好物のおやつが毎日食べられるだけで良かったし嬉しかった。だがそれが小学生になっても続くと飽きがくるものだ。それに何よりも園児の頃は、誰もおやつのことなど話題にすることはなかった。しかし、小学生ともなるとそうはいかなくなった。それは即ち、幼児が子供になったという証なのであろう。

 ある日のことクラスメートの誰か一人が、

「昨日のおやつはさ」

と、話すことがなかったのかいきなり話題を変えて話に乗っからせてきた。それが切っ掛けとなって、専ら自慢のおやつのお披露目合戦と相成った。

「私は毎日食べてるよ」

 カーコが、毎日同じおやつだとは告げずに言うと

「毎日ッ」

「凄いなッ」

 クラスメート達は驚き、羨望の眼差しでカーコを見つめていた。それはそうであろう。いつも家にいる商売人のカーコのお母さんと違って、クラスメートのお母さん達は外で仕事をしているせいで常に家を留守にしている。だから多忙なせいで毎日のおやつは無理なのだ。お母さん達は、仕事がお休みの日に自らの手でおやつを作る。クラスメート達にとって、お母さん手作りのおやつを食べるのは特別なのであろう。

 テーブルのおやつを前にして、カーコは考えていた。同じおやつでも毎日食べる方がいいのか。それとも、手作りのおやつを偶に食べる方がいいのか。どう考えても考えても、結局、結論は常に同じ。お母さんの手作りのおやつを毎日食べる。これしかないのだ。

 カーコは、手もつけずにおやつを残した。カーコにとっては、初めての小さな小さな抵抗であり反抗だった。

 その日の夜、お酒を飲みながらお父さんはカーコが残したおやつを食べていた。

「どうして残したんだ?」

と、お父さんが言った。

「だって、毎日毎日、おやつが同じなんだもん。そんなのやだ」

と、カーコは口を尖らせて言った。

 商売をしているせいで、夕食は遅くなってしまう。カーコ一人だけでも先に食べさせても良いのだが、それでは余りにも可哀想だろうとそんな思いから、遅い夕飯でも皆で食べるようにしていたのだ。しかしながら遅い夕飯まで待つのはお腹が空くだろうと、お母さんが気遣って毎日おやつを与えていたのだ。

「お母さんは、忙しい合間にお前のためのおやつを出しているんだぞ」

と、お父さんが言った。

 毎日何故おやつを食べるのか、その理由を知った夜だった。でもそれは、大人の都合であって子供の都合ではないと、カーコは思った。その夜はずっとカーコは拗ねていた。

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