第1章 #2 剥離
アニメやゲームの主人公を見て、自分をその人物に投影することで、まるで自分がその人物自身になっている。そんな感覚を得ることが出来る。だが、アニメやゲームの物語には終わりがあり、終わりを迎えると、はっきりとその人物が自分でないという事を思い知らされてしまう。
そんな感覚を覚えてしまった時、今の自分が本当の自分なのかを疑ってしまう時があった。他愛もない、厨二心の混じった、妄想好きの独り歩き。現実から目を背けているだけのもの。
それがただの若者特有の空想だと悟っても、完全にそれを取り去ることは出来なかった。
傍から見れば、厨二病を拗らせた少年A だが、本人にとっては、思いたくなくとも常日頃に取り巻く違和感となって纏わりつく。もはや一種の精神病と言えるほどに重度な症状。
だから夢を見た後の目覚めは、そこが現実世界なのかすら迷ってしまう。そしてそこがいつもの日常の一部だと気づくと、一つ溜め息をついてしまう。
だが
目が覚めるとそこはとてもくらい闇の中だった。身体を起こすと上も下も右も左も真っ暗闇。その闇に星のような光が無数に見え、まるで宇宙空間の中を浮かんでいるような感覚だった。
「ここは・・・?」
目の前の景色に困惑しながらも、必死に状況の整理を行う。どうしてこんな所にいるのかを、記憶を最大限に引き出して思い出そうとする。
「そうだ、さっきまで俺は」
思い出した光景。向けられた銃口が脳裏に浮かび、再び恐怖する。身体は震え直面した死への恐怖を今一度味わってしまう。
「ようやく目覚めたかい?」
突如、後ろから声がした。振り返ると、今の今まで誰もいなかったはずの空間に少年が立っていた。その姿は少し小汚い服を纏っている少年だが、その佇まいと表情はとても子供とは思えないほど大人びていた。
「お前はいったい・・・ここはどこなんだ」
ショウは心に素直な反応をする。裏山にいたはずなのに目が覚めると突如こんな不可思議な場所に移っていた。驚くなというほうが無理な話だ。
「そう慌てなくてもいい。ゆっくり落ち着いて話でもしよう」
少年が軽快に指を鳴らした。すると驚くことに、宇宙のような景色が一瞬にして真っ白な空間に変わった。そして少年とショウの間に銀色のテーブルと、相対するイスが並べられている。
その容赦なく変わりゆく景色はテーマパークのアトラクションのような。はたまた映画のシーンのつなぎ目のような。いや、それ以上に驚きを示しざるを得ない。ショウにとっては非日常的な事ばかりがこの瞬間に起こって困惑しているというのに、目の前の少年はさも今起こったことが当たり前のように平然としている。
少年は、現れたイスに座り込む。
「さあ、君も座り給え」
手で招く仕草でショウに座るように促す。それだけの行動なのに、声や仕草には何か圧力を感じさせ、座る以外の選択肢を無くさせているように思えた。
仕方がなくショウはイスに座る。純白のその椅子は一見固く座り心地は悪いようにも見えたが、それは見た目だけで、実際座ってみると、非常に座り心地が良く、立ち上がるのを躊躇わせるほどだった。
「さて、君は聞きたいことがあるのだろう?私が答えられる範囲なら何でも答えてあげよう」
不敵な笑みを浮かべながら少年はそうつぶやく。ショウは困惑しつつも、浮かび上がる疑問を解消すべく言葉を発する。
「・・・お前は一体何者なんだ。俺は裏山にいたはずだ。そこであの男に拳銃を突きつけられて・・・」
状況を説明しようと口を開いたが。再び向けられていた銃口を思い出し、恐怖感が舞い上がってくる。向けられている死への誘い。ショウは恐怖で手を震わせてしまう。何度思い出しても、今まで味わった事のない、【死】という恐怖から簡単には逃れることが出来ない。
「君の恐怖は最もだ。誰しもが銃を向けられれば恐怖するだろう。安心するといい。この場所では君に危害を加えるものなどない」
誰ともわからぬ者の言葉だが、目の前の人物に敵意は感じられない。少なくとも手に銃を持っているわけでもない。その状況に少し安堵する。
「そしてここは・・・そうだな、特に名などないが【時空の狭間】とでも名づけようか」
「時空の狭間・・・一体それは・・・?」
次から次へと出てくる疑問に言葉が詰まる。あまりにも非現実的な、漫画やアニメに出てきそうなワードが発せられる。唯一わかる事は、ここが【普通の場所】じゃないという事だけだ。
「いきなり言われても君は困惑するだろうが、君が生きている世界。その世界とは全く違った世界がいくつも存在している」
「違った世界・・・?」
「そう、君がイメージしやすく形容するなら、アニメや漫画に出てくる異世界、別世界というものだ」
異世界。まさしくラノベなんかで良く使われる設定だ。現実にそんなものが存在しているかどうかの証明なんてものは、人類の科学の最先端を用いても、到底不可能だろう。そんなものがこの男の口からはっきりと存在していると発せられた。
「そしてここは、言うならば、その世界と世界の間にある空間というわけだ」
馬鹿馬鹿しい話。そう否定したくとも、状況がそうさせてくれない。現に、この光景そのものが不可思議なものだからだ。
「・・・その話が本当だとして、元の・・・裏山に戻る事は出来ないのか?」
既に頭の中は、状況を冷静に判断できる程の思考力を失いかけている。その中で、自分の願望を提示する。
「はっきり言うがそれは無理だ。君は、あの場所で、あの男のそばにあった別世界へ飛ぶための道具によって、君は元いた世界から、別の世界へと移されている。その途中君はこの場所に立ち寄った。あの道具は基本一方通行。元の場所に戻る事は出来ないよ」
突きつけられる事実。未だに順応しきれない話の中で、より一層不安に駆られてしまう。別世界。それがいったいどんな場所なのか、なぜ自分はそんな場所に飛ばされてしまったのか。新たに生まれた疑問と不安によって心が潰されそうになる。
「なんでこんなことに・・・」
「でも君にとっては良い事なんじゃないのかい?」
「・・・なに?」
「だってそうだろう、君は同じことを毎日繰り返すような現実を、日常を変え、体験したことのない非日常を望んだはずだ」
「俺は・・・そんなもの望んじゃいない!」
違う。少しは望んでいた。つまらない日常から抜け出して、普通じゃ味わえない事をしてみたいと。だが目の前にいる少年はその心を読むように口をひらく
「いいや違うな。君は望んだはずだ。日常に飽き。日常を憎み。日常に怒り。日常を貶し。日常に陥り。日常を過誤とし。日常を悪とし。日常を忌み嫌ったはずだ。君の願いはしっかりと私に届いていたよ」
悪魔のような言葉の質。心を見透かされているその一言が、耳を通るごとに背筋が凍り、悪寒を感じる程に、悍ましく思った。
「お前は・・・お前は一体何者なんだ!」
強大な敵を目の当たりにして自らを誇張させるようにショウも吠える。大きな声で、子犬のように。
「私は・・・そうだな。私に確固たる名はない。だが、あえて君たちが私の存在に固有たる名をつけるとすれば・・・神とでも呼んでくれればいい」
「そ・・・れは」
行き過ぎた緊張や強大な恐怖を味わった時。人は悲鳴を上げるのではなく沈黙してしまうと言うが、まさにその通りだ。こいつの放った言葉にはそれが真実だと言わんばかりの威圧感があり、ショウの声は凍り付いてしまった。
「その心境に至るのも無理はない。神という名は人間が生み出した最も最高で最良な存在だ。そこにあるのは絶対なる力と神羅万象を司る世界の創造主だ。だが・・・私はそこまで万能たる存在ではない。」
自らを神と呼んだこの男はそう言って口角を上げ、笑みを浮かべる。
「しかし、それでもなお君を物言わぬ肉塊へと変容させるにはたやすい」
神ではなく悪魔。その表情と言葉にはそう形容してもおかしくはないおどろおどろしさが溢れていた。先ほどの軽快な表情とは全く違う。こいつに敵意は無いと安心した。だがしかし違う。こいつはいつでも自分を殺せるのだ。少し手を加えるだけで。
「だが、そう強張らなくてもいい。あくまでこれは可能性の話であって、私が君にそのような仕打ちを仕向けようとはこれっぽっちも思ってはいない」
何が目的なのか分からない。こいつが何を考えているのかわからない。
「まあ、君が私を呼ぶときには気軽にカミと呼んでくれればいいさ。名称なんて所詮はただの記号。事物をわかりやすくするための物だ」
何がしたいのかわからない。
「お前はッッ!!一体俺をどうしたいんだ・・・!!」
身体に溜まったものを吐き出すかのようにショウは叫ぶ。『カミ』と呼ばれたものは口角をあげ、再び指を鳴らす。するとショウが座っている椅子が消える。それと同時に、ショウのいる地面に穴が開き、重力に逆らえないショウは、そのまま穴の中へと落ちて行ってしまう。
「親愛なる人間よ。君に非日常を授けよう」
ショウは足元に空いた虚に落ちていく。底が全く見えない穴へと。先ほどの空間の明かりが徐々に小さく弱くなっていく。永遠とも思える落下を想像し、そのまま、ショウは気を失った。
一人、イスとテーブルだけの空間に残ったカミは残ったお茶の入ったティーカップを口元に添える。空になったティーカップを机の上に置くと、不敵な笑みの狭間にどこか寂しげな表情で遠くを見つめる。
「ここでの出来事は、君が再びここに訪れるまで忘れているだろう。また会えることを楽しみにしているよ」
真っ白だった空間が再び宇宙の色に戻った