第五話 ゴメス
「やー食った食った! しかしなんですねえ、嬢ちゃんたちは宮廷魔術師なんですかい?」
「そういうわけでもないよ。だけどゴメスさんから見ても彼女たちにそれくらいの力はあると?」
「もちろんでさぁ! あんだけ見たことのない魔法を使えて、しかもガンガン使って平気な顔してるなんて、相当なモンですぜ! でも魚を捌くのにも魔法使ってるのは、はじめて見やしたぜ……。イオの嬢ちゃんなんか獲ったその場でも魚を丸焼きにして丸齧りしてやしたし」
「なにやってるんだか」
「ちょっとくらいいーじゃんよー旨そーで我慢できなかったんだよー」
しばらく漁に励んだ俺たちは士官食堂でテーブルを囲んでいた。漁といっても艦の乗員はゴメスさんを含めても六人しかいないので、数日持つであろうだけの魚と海鳥を獲っただけで早々と引きあげた。現状の確認と情報交換を優先したためだ。士官食堂は船長室と同じ程度の広さで十畳くらいだ。それほど広い部屋ではないが、控えめな装飾と明るめの色の壁のためか、六人でテーブルを囲んでいても息苦しさは感じない。
食事は取り合えずということで獲れた魚を焼いたものを皆で食べた。目覚めてから初めての食事だからか、切って焼いただけの単純な調理なのにとても美味に感じた。道具がないので調理も出来ないかと思っていたら、従者たちはこんなところでも有能だった。包丁がなくても薄く手に纏わせた青とか緑のオーラでスパスパ捌く。焼くのは火魔法が得意なイオの仕事かと思っていたら、ニーナも、ランスロットも、土魔法が得意なキッカですらもそれぞれの得意な魔法の色のオーラを手から放出して焼いていた。出来たものは普通の焼き魚だった。熱を放出するって、それは本当に土魔法なのか……? 艦の設備に目を丸くしていたゴメスさんは、そのころになると驚き疲れたのか遠い目をしていた。きっと俺も似たような顔をしていたことだろう。
「さて落ち着いたところで、ゴメスさんと情報交換をしたいんだけどいいかな?」
「アッシはかまいやせんぜ。命とメシの恩もありやすからね」
ゴメスさんは海洋国家ガラエキアの商船乗りだという。リアルでもゲームでもそんな国は聞いたことがない。彼が漂流するはめになったのは、乗っていた船が戦闘に巻き込まれたことが原因らしい。甲板で切れた索具を修理していたところ、近くに大砲の弾が着弾して海に投げ出されたのだとか。
「マップだと、ここから南にこんな島々があるようなんだけど、ゴメスさんは見覚えがあるかな?」
「……どれどれ。……これも魔道具なんですかい? うーん、アッシは甲板仕事で航路をみてたわけでもないんで、これだけだとわかりやせんね。ただアッシらの船団は西南大陸に向かう途中でしたし、ソレルの位置が高いんで西大洋の赤道に近いところじゃねえかって位は見当がつきやす」
ソレルというのがこの世界の太陽か。西大洋と西南大陸ねえ。ということは東にも陸地があることは間違いなさそうだ。ここは大西洋みたいなところなのだろうか? やはり早いうちに地図を手に入れたいな。
「オフィサー、マップ機能に座標のデータが欠落している。現在地の緯度を算出することはできるか?」
『観測データが不十分です。地球での計測方法に準じた暫定値でよろしいですか?』
「頼む」
『現在地は北緯14度41分と推測されます。経度については、基準線が判明しておりませんので推測は不可能です』
ということはやはりここは北半球で、緯度が出せるということは平面世界ではなく球形の惑星ということで間違いないだろう。水平線が丸いからそうだろうとは思っていたが、もしこの世界が平面だったらいろいろと勝手が違ってきてしまうところだった。
「はー、帆は自動で動くわ、天測まで船がやってくれるわ……こんな船が広まったらアッシら船乗りはみんな失業しかねませんなぁ」
……機械化の進んだ現代の船も、タンカーなんかはあの大きさなのに数人だけで動かせるんだっけか? 俺は船の知識も、船乗りとしての技術も欠片も持っていない。そんな俺が曲がりなりにもこの船を動かせるのは、AIのオフィサーがいるからだ。そうでなかったらこの海のど真ん中で死ぬことになっていただろう。
「ゴメスさん。北緯14度、ということだけど、それを聞いたうえでこの島はどこの島か見当はつけられるかな?」
「へえ、失礼しやす……ああ、それならたぶんここらはアゾット諸島じゃねえかと思いやす」
「アゾット諸島……そこでは食料を補給したり簡単な道具を買うことは可能だろうか?」
「問題ねえですぜ。あの島は西大洋の南側を横断する船団の中継地でさあ。嵐のときに逃げ込めるようにってんで、領有してる海洋国家ガラエキアが港に整備の手を入れてやす。でかい船でも停泊できる港なんで、この船でも大丈夫でしょう。アッシも何度か行ったことがありやすんで間違いねえです」
「よし、じゃあまずはその島に行って情報収集、そしてできるなら食料や細かい道具を手に入れよう」
「それがいいとはアッシも思うんでやすがね……」
「? なにか気になることが?」
「へえ、この船はどうみても軍艦でやすよね? アゾット島は提督さんたちから見れば他国の港になるわけで、このへんの海ではヨソの国の軍艦が寄港するときにはちょっとした手続きを踏む必要があるんでさぁ。それが出来なかったりすると、港を襲撃しに来た海賊か、あるいは反乱して船をのっとった水兵か。とにかくならずものの船とみなされて最悪軍が出ばってきやす。それで拘束されたら船を徴発されちまうかもしれませんぜ」
「徴発……取り上げられるかもしれないってことか?」
「軍艦や海賊がそのまま乗り付けて略奪、あるいは占領、なんてのはこのぶっそうなご時勢だとたまに聞こえてくる話でやすからねえ。どこの港もよその国の軍艦が見えるとピリピリするもんでさ」
この艦が権力で奪われるかもしれない、という話に従者達の雰囲気が固くなったのがわかる。こんな大洋のど真ん中の島で艦を失えば、その時点で俺は詰みだ。そんな話は受け入れられない。艦と従者たちは、俺にわずかに残された元の世界とのつながりでもあるのだから。
にわかに気色ばむイオには目線をやってこらえてもらう。
「ニーナ、君は入港の手続きについて何か知ってるか?」
「はい提督。あのときに一応の知識として付与されたものを把握しております。しかし、その知識が正しいかどうかについてはまだ確認が取れていません。この際ですし、ゴメスさんのお話を聞いて実際の手続きとすり合わせをさせていただきたいのですが」
「なるほどな。ゴメスさん、すまないが遠い海から来た俺たちはこのあたりの慣習には疎い。できれば詳しく教えてくれないか?」
「へえ、よござんす。まずは一旦港が見える位置で艦を止めやす。だいたいどこの港にも灯台がありやすんで、その手前でやすね。灯台がないような港ならだいたい桟橋から2kmくらいですかねえ。そこで港から警らの船が出てくるのを待ちやす。警らの船が近づいてきたら、艦長や士官、手の空いてる水兵が整列したまま敬礼して出迎えます。警らから答礼を受けたのを確認して、空砲を三発撃ちます。これで港にもこれから入港する艦に敵意はないってことを示すんでさ。あとは警らの船の誘導にしたがって港に入ります。入港のときにすれ違う船がいたら甲板の士官に敬礼させます」
ニーナとランスロットに目で確認すると頷いた。元の世界ではどうだったんだろうか? 現代の軍艦はまた違うのかもしれないけど、軍艦の入港手続きなんてそんなの知らないよ……。それで終わりかと思ったら、水を飲んで喉を潤していたゴメスさんの話にはまだ続きがあるようだ。
「入港してから錨を落として舫いを繋いだら、港に下りる前に役人が来るんで入港の目的を告げます。そのときに所属国、提督、艦長、士官の姓名を記載した名簿を渡すことになってたはずでさあ。それとこいつは商船の場合なんですが、その港で積み荷を降ろして商売するなら、入港したときに検査人に積荷の検査を受けて積荷の種類と量に応じた関税を支払う必要がありやす。軍艦の場合でも、水兵や士官に私物の範囲で商売を許してるなら検査人を呼ぶ必要がありやす。軍艦でこいつを忘れてると、水兵の持ち込み品が密輸品扱いになって下手すりゃ没収、それか罰金を支払わなきゃいけなくなるなんてこともありやすぜ」
聞き出した情報を書きとめるために艦長室から万年筆と紙を持ってきていてよかった。一度じゃ憶え切れないなぁ。
「軍艦でも商売することがあるんだね」
「……へぇ。アッシの故郷にはガレーの船も多いんですが、漕ぎ手は奴隷だけじゃありやせん。あまり産業のない地域や都市の市民が水兵や漕ぎ手を担うことも多いんでさあ。なもんで、国によっちゃあ、個人で運べる量に制限はありやすが、軍船でも個人での交易の自由が認められてやすねえ。……軍艦の場合はどこかの海でぶんどってきたお宝なんて場合も多いですがね」
「殺伐としてるなぁ……」
「……まぁその場合は大抵その軍艦の本国に戻ってから売り払いやす。なにせぶんどった相手の国やその友好国に持っていったら後でバレてでかい面倒ごとになることもありやすからね」
「ロンダリング前提か。バレなきゃいいの精神かよ!」
「……海の上じゃあ、当事者たち以外に誰も見てませんからねえ。どこの国の船だって、商売がうまく行かなかったら手っ取りばやく海賊働きで稼ごうとか、損を埋めようとする船は星の数ほどいますぜ。ですからこのへんの海は力が全て。自分たちの身と積み荷は自分たちで守らにゃいけません。……それにしても」
ん? ゴメスさんがこっちを見つつため息をついた。なんだ?
「提督さん……やっぱり海にでた経験がほとんどないんじゃないですかい?」
……経験豊富な海の男にはやっぱりばれるか。そうだよなぁ。だって俺、もともと普通の学生だしさ。
「わかるのかい?」
「えぇ、それはもう。遠くの海から来たにしても、これだけ真水の匂いをさせてるんですからねえ」
「真水の……匂い?」
「海にでたばかりで不慣れな船員のことを、このへんではそう言うんでさあ。半人前どころか、よちよち歩きのヒヨコのことですなぁ」
「イオ! いいんだ。本当のことだしな」
イオは感情が表に出やすいのか。ゴメスさんの隣で魔力っぽいオーラを出すのはやめて差し上げろ。
……ゴメスさんは隣に座るイオの様子に冷や汗をかきながらもこちらから視線は離さない。腹を括った海の男の視線には力があるな。
「そっちの兄さんや嬢ちゃんたちはそうでもないんですがね。提督さんは海のことを知らなさすぎるし、甘ちゃんな考えだ。それにこっちの話を聞くのに必死すぎる。そんなのはいつだってふてぶてしく自信満々でいなくちゃいけねえ提督やら船長やらの雰囲気ではありえねえ。船に乗ったばかりで右も左もわからねえ、師匠筋の船員の話を聞き逃さねえように必死な新入りそのまんまでさ」
よく見られている。自覚があるだけに散々な評価も苦笑して受け止めるしかない。
「さて、あんまり詮索するのもどうかと思ってやしたけど、このままじゃあアッシも遠からず厄介なことに巻き込まれちまうだろう。お国すら定かでない、素人の提督に強大な魔法使いだけが乗る、水兵もいねえのにとんでもない数の大砲をのせた船。提督さん、あんたは……あんたたちは、船も、兄さんたちとの関係も、何もかもがいびつすぎるんだ」
ひとつ唾を飲み込んだゴメスさんは意を決したようにこちらを見つめてきた。
「提督さん、あんたは本当はなにものなんですかい?」
さて、なんと答えたものだろうか。と思案しているとランスロットが挙手していた。
「提督、我々がこれから活動していく上で、ゴメスさんの経験からくる助言は有用であるものと思われます。ある程度の情報を開示して協力を仰ぐことを提案いたします」
「うん……そうだな」
「ゴメスさん、俺たちはあなたに以前話したように遠くから来た……漂流者と言っていい。お察しの通り俺は船を指揮したことのない素人だ。軍人ですらない。だが、なんの因果かこの艦を任されてしまった。彼女たちはその俺を補佐するためにこの艦に乗っている。この艦はこちらの海に流されたことによって任務の目的地が判別できなくなっている。俺たちは国へ帰還するか、任務の目的地を探すために航海を続けなくてはいけない状況だ」
話しながらニーナをちらと見ると頷いている。ひとまずはこれでいけるかな。
「俺にはこちらの海の知識も、それ以前に船乗りとしての経験も不足している。……俺にはまだ明かせないことはあるし、ゴメスさんの事情だってあるだろう。だが、出来ればゴメスさんにはしばらくの間、俺たちを手助けして欲しい」
立ち上がり、彼に向けて頭を下げる。
「俺たちには、ゴメスさんの力が必要なんだ。頼む。俺に…水城タクミに貴方の力を貸してほしい」
隣に座るニーナとランスロットも、座ったままゴメスさんに頭を下げている気配がした。もしかしたらテーブルの対面、ゴメスさんを挟んで座るイオとキッカも頭を下げていたのかもしれない。しばらく時間が経ったあと、ゴメスさんはおもむろに口を開いた。
「頭をあげてくだせえ。アッシなんかにそこまでされたら、かないませんや」
ゴメスさんは笑っていた。差し出された手を握る。厚くゴツゴツとしている手は痛いくらいにこちらの手を握り返してきた。照れているのだろうか、いかつい髭面は少し赤かった。
「命の恩もある。こんなすげえ船に乗れるのだって面白そうだ。このアントニオ・ゴメス、タクミ提督にお力添えしますぜ!」
何も知らない異世界に放り出されたその日のうちに、俺は頼れる男と出会えた。経験に裏打ちされた自信に満ち溢れる笑顔の彼と握手をしたとき、俺はこの世界に来て初めて、理不尽な出来事にふわついていた足元がしっかりと踏みしめられたような気がした。
ネオアトラスよりゴメス提督がモチーフのキャラクターです。
手続き関連がおかしい? い、異世界ですから(震え声)