推理合戦5
思っていたのと何か違う。
ウサギ男の言葉を聞き、橘はそんな違和感を抱いた。
いくらウサギの被り物で顔を隠していようとも、ウサギ男の動揺は手に取るように伝わってきていた。だから、これから自身が推理をすると宣言した際のウサギ男の反応としては、あくまでも動揺を悟られないよう沈黙を守り続けるか、早く推理を述べるよう急かしてくるかの二択だと思っていた。だが、実際に彼の口から出たのは女装コンテストを見ていたか否か。
ほぼ思考を読み切っていたはずの相手から飛び出した予想外の一言に、橘は薄ら寒いものを感じた。
だが、ここまで来れば相手に逆転の策があっても押し切れる状況。頭の片隅で彼の真意に思いを馳せながらも、橘は優勝への道筋を歩きだした。
「まず初めに、正解がどちらだったのかから言わせてもらうね。正解は『男は冤罪であり無実』というものだ。ここまではウサギ男さんと同意見。この警察に捕まった男が犯人だったとしたら、あまりにも間抜けすぎるって話だ。彼が犯人だとしたらそもそもどうしてあんな噓をついたのか。雷雨の中で男女の争う声が聞こえたとか、階段で不審者とすれ違ったなんて、自分の不審さんを上げる行為でしかなかったっていうのに。そもそもこれは彼のアリバイを保証してくれるわけでもない。普通に『外出していて隣で何が起きているか知らなかった』とか、『部屋で音楽を聞いていたせいで隣の音が全く聞こえなかった』とか証言する方がましなぐらいだ。もし第一発見者になる必要があったのだとしても、単に扉が開いていたってことだけを強調すれば問題なかったのにね。さて、そう考えるとやはり、彼は嘘をついていない可能性が濃厚となる。
ま、ここまではウサギ男さんと全く同じ。問題はこの次だ。ウサギ男さんは彼が嘘をついていないとしたら、それは人間ではないからだと考えた。でも、どう考えたってそれはおかしいよね。適当に理屈を並べ、最後は僕らのことを挑発して無理やり被疑者の彼を人間ではないという風に持っていったけど、人間じゃないわけない。他の人も言ってたけど、被疑者を人間じゃないとしたらその候補は無限に広がると言ってもいい。答えを一つに定めることは、少なくとも今回の問題文からは不可能だし、それじゃあ推理大会の趣旨と反していると言える。だから、やっぱり被疑者の彼は人間なんだよ」
橘の言葉に、それはそうだろうと言った様子で頷く人が多数。しかし、なら答えは何なのかと猜疑の視線を向けてくるものもまた多数。
ウサギ男が被疑者を人間でないと断定した際、そこに大きな矛盾を見つけることは誰にもできなかった。あまりにも馬鹿げた話の後で思考力が低下していたというのもあるだろうが、無理のない納得できるような解答には思い至らなかったのだ。そんな、自分たちが考えても出てこなかった答えを、本当に黒ずくめの不審者が導き出せたのか。
悔しさと期待の混じった視線が、橘に集中した。
「被疑者の男が嘘をついていないとなると、犯人は彼が男女の争う声を聞いた直後に女性を殺害し、そこから隣人住人に目撃されながらも逃亡したことになる。ウサギ男さんの言う通り、これじゃあ犯人があまりにも無能だ。目撃証言に加え、被害者の部屋から多数発見されるであろう証拠の数々。現代の科学捜査をもってすれば、犯人特定なんてあっという間の話だろう。
でも、実際に捕まったのは隣人の男。つまり、被害者の部屋には彼女と争ったであろう第三者がいた痕跡はなく、隣人の男が目撃したような人物も見つけられなかったってことだ。となると、考えられることはもはや一つだと言ってもいい。被疑者の男は実は人間ではなかった、なんていう非現実的なことではなく、男女が争う声を聞かせたのも隣人に目撃されたのも全て、真犯人のアリバイ作りの一環だったってことだ」
* * *
推理会場の外で何やら騒がしい音がする。
会場外のそうした喧騒は確実に推理大会参加者の耳にも届いていたのだが、誰一人としてそちらに意識を向ける者はいなかった。
アリバイ作り。
黒ずくめが告げたその推理に、彼らの思考は支配されてたからだ。
言われてみれば当たり前。もし隣人の男が犯人でないのに捕まったのならば、それは他に犯人と思われる怪しい人間がいなかったということ。そしてどうしてそんなことになるのかと言えば、真犯人がうまく自分のアリバイを作り警察からの疑惑を退けたからに他ならない。
少し考えれば当然思いついてしかるべきこと。しかし、黒ずくめ以外はウサギ男の誘導によって今の今まで見過ごしてしまっていたこと。
隣人男の発言は犯人であったとしてもなかったとしても自分を不利な立場にするものだった。だから彼が犯人だとしたらおかしいという結論に導けた。だがもし真犯人が存在した時、隣人男に見られることや争っている声を聞かれることは本当に自分を不利にする行為なのか?――答えは否だ。黒ずくめが言っていたように、結果として真犯人は警察の目を逃れている。つまり、この行為自体が自身を無実にするための作戦だったと言えるはず。そんな本来思いついてもおかしくないことも、ウサギ男がこの二つの話を連続させて語ったことによって思考の外へと追いやられてしまっていたわけだ。
参加者らは改めてウサギ男の奸計の深さに驚くと同時に、それを見破った黒ずくめに畏敬の念を抱いた。
黒ずくめは、これで仕上げだというように、ゆっくりとウサギ男に歩み寄っていく。
「具体的にどんなアリバイ作りを行ったのかは、この文章からでは推測しきれない。だけど真犯人が行ったアリバイ工作の概要なら推測できる。そう、真犯人の目的は、女性を殺した時間を警察に誤認させることにあったんだ。
雷雨の中、たまたま争っている声が聞こえてくる確率は低いかもしれないけど、犯人が争っている声を聞かせようとしていたのなら聞こえてもおかしくはない。スピーカーでも使えば音を大きくさせることはできるだろうし、もし犯人が男女の二人組ならただ声を張り上げて狂言すればいいだけだから。それに、その隣人男性が帰ってきた時刻に女性が殺されたんだと思わせたかったのなら、階段で男とすれ違ったのにも納得がいく。不審者とすれ違ったという証言を彼にしてもらいたかったわけだ。
まあ、それだけじゃ警察の目を誤魔化すのは無理だろうから他にも細工はしただろうけど、問題文から読み取れるのは、アリバイ作りのために犯人はわざとお粗末な行動を取ってみせた、ということ。結果警察が隣人男性を捕えたことからすると、彼と殺された女性はもともと仲が良くなかったんだろうね。真犯人はそのことも知っていて、アリバイ作りに加え彼に罪を擦り付けるような細工を他にもしていたと考えられる。
と、以上がこの問題の真相だ。もちろんあやふやな部分はたくさんある。しかし、被疑者の馬鹿すぎる証言と、警察がこの男を逮捕してしまったという結果を考慮すると、これ以上に最適な答えはないと思うんだけど、どうかな? もし反論があるようなら聞くけど、ウサギ男さんはまだ被疑者が鳥だったと主張するの?」
黒ずくめがウサギ男の正面で立ち止まる。真っ黒なマスクとウサギの被り物の奥にあるそれぞれの視線が交差する。
世界が終わりを迎えたのではないかというほどの静寂が流れること数秒。
「……いや、撤回するよ。被疑者は鳥じゃなくて人間だったんだろうな」
ウサギ男から実質的な敗北宣言が漏れる。
それと同時に参加者全員から歓声が上がった。