本屋さんの恋愛相談
私立ノガミ大学。
多くの学生が出入りするこの学校の正門、その向かい側には一軒の本屋がある。
この店には人魚書店という名前があるが、大学が教科書販売の委託をしているため、学生の多くは「購買の本屋」として認識していて正式名称はあまり認知されていない。
大学近辺にだけ流れるローカルな噂話には、実はこの店の店主が関わっていた。
「ねえ、人魚姫の魔女って知ってる?」
「人魚姫? あの童話の?」
学食でコロッケ定食を食べていた眼鏡で胸の薄い女性、円城寺阿澄は聞き返す。
目の前に居る友人、志村ミユが急にそんなことを急に尋ねたからだ。
ミユはストレートパーマの毛先をなびかせながらペットボトル入りの紅茶とBLTサンドを食べていて、給食じみたメニューの阿澄とは対照的な雰囲気を醸し出していた。
「それじゃないわ。わたしも詳しくはないんだけれど、この近くに願いを叶えてくれる女性が居るらしくて、その人がそう呼ばれているそうなのよ」
「それって、危ない宗教の勧誘とかじゃ無いわよね」
「阿澄は夢の無い事を言うわね。まずは会えたときのことを考えなきゃ」
「アンタねえ……」
「それで、阿澄なら知っているかと思って聞いてみたわけ」
「なんで私に」
「前に言ってたじゃん、探偵事務所でバイトしているって」
阿澄はつい溜息をついた。いくら探偵事務所でバイトしていると言っても、すなわち物知りというわけでは当然ないからだ。
まるで漫画に出てくる探偵のように何でも知っているていで聞かれても困ってしまう。
それに阿澄は最初からミユが言う「人魚姫の魔女」を与太話だと思っているため、目の前の友人を残念な人としてしか見られなかった。
「とりあえず知り合いにも聞いてみるよ」
「わかったら教えてね」
阿澄は別の意味で調べなきゃいけないかなと思ったわけだが、一方で阿澄の返事にミユは期待できそうにないなと心の中でつぶやいた。阿澄は多分本気にしていないのだろうなと。
午後の講義に向かった阿澄と別れたミユは、学校周囲で人魚姫に関係ありそうな場所を探すことにした。
目的である件の魔女について、ヒントとなるのは「人魚姫の魔女」という言葉だけ。
もしかしたらその言葉だけが独り歩きしているのかもしれなくても、ミユはそれに頼らざるを得ない。
つい「会いたい」などと呟いていたのか、それを聞いた人にミユは声をかけられた。
場所は大学前の本屋、そこの地図売り場である。
「誰かをお捜しですか?」
ミユに話しかけたのはマントのような黒いローブを羽織った女性だった。
ミユの見立てでは年齢は二十歳前後、黒髪のストレートで前髪は目元を少し隠しており、どこか地味な印象を受ける。
自分同様に大学の生徒なのだろうかと思いつつも、こんな目立つ格好をしていたら今まで見たことくらいありそうなのに、初めて見る衣装だったことにミユは小首を傾げた。
「人魚姫の魔女を」
ミユは無意識に女性の問いに答えていた。
正確には女性のことを認識し、その様相に小首を傾げたのは返事の後である。
「人魚姫ですか。でしたらここですよ」
女性は言われた言葉を人魚姫の本を探していると言う意味にとらえて、ミユに童話の本を渡した。
しかもハードカバーで表紙の絵柄も無い、いかにも高そうな洋書である。
「ありが……って、申し訳ないけれどいらないですよ」
「あら、そうなの?」
「わたしが探しているのは人魚姫じゃなくて人魚姫の魔女です。本じゃありません」
目の前のお節介焼きに言っても仕方がないかのしれないが、とりあえず聞いてみようとミユは尋ねる。
少し考え事をしたあと女性は逆にミユに尋ね返した。
「───会ってどうするつもりですか」
「もちろん、願いを叶えてもらうのよ」
彼女の回答から、女性はミユのことを危うい人物だと認識した。
だってそうだろう。人魚姫の魔女に願いを叶えてもらいたいと言う割りに、ミユには願いの代償を考えている様子が無いのだから。
下手なことを考える前に話し合いで解決してあげるべきだと判断した女性……人魚書店の店主、本屋読子はミユを座敷に招くことにした。
「アナタはお客様のようね。その人について教えてあげるから、こっちに来てよ」
読子はミユの手を引いて、彼女をレジ奥の座敷に招いた。
「ここってお店の奥だけどいいの?」
「いいのいいの。私の店なんだし」
「アナタ、このお店の人だったの」
ミユは同世代だと思っていた読子が本屋の店主と聞いて驚く。
「とりあえず自己紹介をさせてもらうわね。私は本屋読子。この店の店主で……たぶんアナタがお探しの魔女よ」
「本当に?」
「たぶん」
読子はこの店を継いだ際に、先代店主のしていたこともすべて引き継いでいた。
その一つが客の悩みを聞いてあげることで、元を正せば読子もそれがきっかけでこの店に居着いた人間だった。
読子としてはおそらく魔女というのは十数年前に引退した先代店主のことだろうと察しており、彼女の後継者である以上は自分も魔女であると言うより他に無い。
読子としては先代は名実共に魔女であり、自分は違うとは思っている。だが受け継いだ以上は読子の力もまた魔女であるとも思っていた。
「とりあえず誤解を一つずつ解いていきましょうか。
人魚姫の魔女というのは昔からノガミ大学にある都市伝説のようなものね。私が大学に通って居た頃もあったわ。
その正体というのが、この店の前の店主だったのよ。元易者の彼女はお客さんのお悩み相談をしていて、それで好転した人たちの口コミがいつの間にか人魚姫の魔女という噂話になったというわけ」
「先代ということは、今はもうその人はいないのですか」
「ええ。私がこの店を継いだときにね」
先代店主の話をする読子はどこか辛そうで、ミユはその人がもういないのは死別で、それを悲しんでいると解釈した。
「それで、私が店と一緒にお悩み相談も引き継いでいるというわけ」
「では魔女が願いを叶えるというのは……」
「単なる噂ね。でも私で良ければ相談には乗ってあげるわ」
「だったらいいです。相談したところでどうしようもないことなので」
「そんなことはないわ。お悩み相談というのは、聞いてあげるだけで充分なのよ。悩みを誰かに吐露するだけで、心の中というのはすっきりするものよ」
ミユは自分に話してくれという読子に対して、もじもじと指先をもてあそんで言葉をつぐんだ。
彼女の願いは他人にホイホイと言えるようならとっくに自己解決していたことだからだろう。
「言えないのかしら?」
「ちょっと恥ずかしくて」
「なら一つだけアドバイスをしてあげるわ。アナタはおしゃれさんだけど、どこか着飾り過ぎているように見えるわね。まるで誰かの受け売りよ」
読子の評価にミユはドキリと背中に汗をかいた。彼女の言うようにミユは着飾っていたからだ。
大学に入るまで女だらけのコミュニティにこもっていたミユは、最近になって初めて異性の気を引くためのおしゃれに手を出していた。
子供の自己満足とは違う大人のおしゃれを意識しすぎていたミユはどこかぎこちない。阿澄たち友人連中は流行に傾倒した程度にしか思っていなかったが、読子は初対面ゆえにその欠点に気づいたのだ。
彼女の願いというのが同じゼミの佐藤某と付き合いたいというもので、少しでも気を引こうとミユは着飾っていた。
「私も偉そうなことを言える訳じゃないけれど、そのパーマなんてまんま雑誌の表紙だしね」
読子はミユと同じ髪型をしたモデルが表紙になっている女性誌をミユに見せ付けた。
「あ……」
「図星みたいね」
「わたし───」
読子に内心を見破られたミユは彼女に悩みをぶちまけた。
佐藤とは以前は友人として仲が良かったのだが、自分が彼を意識して自分磨きを初めてから彼との関係が上手くいっていないという。
「───努力すればするほどなんだか彼に避けられているみたいで…それで、人魚姫の魔女なら彼の心を射止めたいってわたしの願いを叶えてくれると思ったのよ」
ミユの話を聞き終えた読子は「は~」っと深いため息をついた。
聞いてみればなんてことのない恋愛相談、しかもその原因もおそらく彼女自身にあるのだろうと察したからだ。
こんなことで魔女に願いを叶えてもらおうなんて割に合わないと読子は思う。
「とりあえず、しばらくのあいだその格好を辞めて様子を見ましょうか。雑誌で学んだおしゃれ知識なんて全部捨てて、一度彼と出会った頃の姿で接してあげなさい」
「そんなことをして意味があるの?」
「騙されたと思ってやってみなさい。上手くいかないようならまたここに来てくれれば次の手を考えてあげるわよ」
「そんな……それで余計に避けられら、アナタに責任がとれるわけないじゃない」
「今のアナタに口で説明してもわからないわ。それとも、アナタは佐藤くんとの関係を進めるために大事なモノを失う覚悟があるのかしら? 人魚姫にとっての声のように」
読子の剣幕にミユは不平不満を言う口を閉ざした。
そのままミユは逃げるように本屋を後にして自宅に戻る。
その足で段ボール箱にしまった以前の服装───今の自分にとっては子供過ぎるとしか思えない服に着替えた。
髪の毛も後ろで束ねていわゆるポニーテールの形にする。これも子供過ぎると思って辞めた髪型だった。
「こんなことをして意味があるのかしら」
そう思いながらも着替えを終えたミユはベッドに背中を預けたのだが、軽く目を閉じたさいにうっかり寝てしまう。時間にして十分程度ではあるがミユは寝ぼけた。
そろそろ明日使う備品を買いに行かないとと用事を思い出したミユは、着替えたことを忘れて電気屋に向かう。
ゼミで使う予定の買い物、しかも大学近くと言うこともあり、同じ店に彼が居ても不思議ではなかった。
「志村さん!」
「あ、佐藤くん」
呼びかけられて振り向いたミユは驚いた。まさか佐藤の方から自分に声をかけてくるなどと。
そのまま二人は必要なモノを買いそろえると、その足で喫茶店に向かう。学生向きの安いコーヒーだが手ごろな価格で飲み放題であり、以前はミユもよく利用した店である。
「これは買い物に付き合ってくれたお礼だよ」
佐藤はお礼と称してミユにジャムパンを渡した。
この店は先払い方式で学食に近い。
「いいって。自分で食べなよ」
「おそろいだから気にしなくてもいいって」
そう言うと佐藤はもう一つのジャムパンをミユに見せた。
コーヒーは安物なのにクリームはポーションではなく特製のミルクという変なこだわりのこの店の贅沢である、ミルクをこれでもかと入れたコーヒーと共に二人はジャムパンを囓った。
「ところで、どうしてジャムパンなのよ。サンドイッチとかスコーンとか、他にもあったのに」
「久々のその髪型が懐かしくて」
ミユの質問に対して佐藤は妙に顔を赤くしてから答えた。そして言われたことで、出かけ前に髪型をセットしていたことをミユは思い出す。髪型だけで無く子供っぽいと思っている服装も含めて。
その結果、ミユの方も恥ずかしいと感じて顔を赤くした。
「前に来たときにも志村さんはジャムパンだったからね。それに最近はあまり見かけなくなったけれど、前は学校でもよくジャムパンを食べていたし」
「そんなことを覚えていたの? 子供みたいだと言われたみたいで恥ずかしいわ」
「そういう意味じゃないよ、気に障ったのなら謝る。ただ……最近のイメチェンした志村さんより、今日みたいにジャムパン片手にポニーテールの方が志村さんらしいと思って」
「わたしらしい?」
ミユも佐藤も互いに顔を赤くしていた。
互いに相手を意識して、不意な言葉で嫌われやしないかと怯えてもいる。
「最近はなんだかモデルみたいで、まるで僕が声をかけたら悪いような雰囲気をしていたから……てっきり彼氏でも出来たのかなと思ってたんだよ」
「か!!!」
「でも校内には彼氏とかは居ないようだし、かといって聞くのも悪いと思っていたんだけれど……今日はなんでだろう、妙に僕も饒舌だな」
佐藤は気恥ずかしさに笑ってしまった。
彼の言葉にようやくミユは自分の失敗に気づいた。
佐藤の気を引きたいと肩肘を張っていた自分の姿に、佐藤は幻想の彼氏の姿を感じて気後れしていたのだ。
肩肘を張った姿はさらに近寄りがたい雰囲気をミユに与え、その結果遠慮という形で佐藤との距離を引き離していた。
半ば偶然ではあるが読子に言われたとおりにかつての格好をしたことが佐藤の蟠りを解いていた。
「これからなんだけれどさ、佐藤くんの家に行ってもいいかな?」
佐藤はミユの言葉に頷いて、二人は佐藤が住む安アパートまで歩いて行った。
それから数日後、ミユは読子に会うために再び人魚書店を訪れた。
店内を見回すがバイトの人は居ても読子の姿はなく、悪いと思いつつも座敷を覗くとそこにようやく読子の姿を見つけた。
読子は流行遅れの運動ゲームに興じていて、その姿はどこかおかしい。
「こんにちは」
「あら、このあいだの」
ミユは読子にあれから起きたことを話した。
以前の格好で会ってから嘘のようなトントン拍子で佐藤との仲は進展し、すっかり夢が叶ったと言うことを。
うれしそうにのろけ話を聞かせるミユに読子はうんうんと頷いてそれを受け止めた。
「だから言ったとおりでしょう。おしゃれを辞めれば上手くいくって。急なイメチェンに困惑して彼もしりごんで居たのよ。
それに、男の子なんて大半がいかにもおしゃれな格好なんて好かないモノよ。完全武装をして喜ぶのは女慣れしたヤリチン野郎かお坊ちゃんくらいのもので、多くはラフな格好に喜ぶのよ」
「ぴったりです。まるで見てきたみたいだけど、もしかしてそれって……」
「そこはご想像にお任せするわ」
読子の男性観は佐藤の行動とは一致しているが、それが全ての男に当てはまるのかは未知数である。
人魚書店にはある噂がある。
店主の正体は願いを叶える魔女であると。
本屋読子が本物の魔女なのかを知る人は少ないが、彼女に悩みを解決してもらった人間と、彼女が店内引きこもりであることを知る人間は意外と多い。
「トリックオアトリート。魔女の力は結果だけを見れば万能ですが、その代償は要求以上です。何事も話し合い(トリート)で澄むのならそれが一番です」
読子の教示は悩める人々を救う。