追い立てられる文芸部(4)
手塚と言う教師は白髪を左右になでつけた厳めしい顔つきの老年の男性である。
国語科で古文を担当している。滅多に冗談も言わないが、大学を出た一人娘がいまだにまともな職に就けないと愚痴をこぼす姿が、都に言わせると親しみやすいのだという。
二人が職員室に行くと、手塚は部屋の隅の作業机でノートの山に囲まれていた。声をかけると唸るようにして顔を上げ、振り向いて睨みつけてきた。
「なんだ。何か用か?」
「文芸部です。お願いがあって来ました」
都が前に立って手塚の迫力に負けずに言う。芽衣子は後ろに立って心の中で都を応援する役だ。
「文芸部は部員不足で廃部になったんじゃなかったのか?」
「まだ、あります」
「それで、『お願い』とはなんだ?」
「これです」都がビラの原稿を手渡した。「百枚ほど刷って一年生に配りたいのですけど印刷してもらえないでしょうか」
手塚が原稿を一瞥して顔をしかめる。
「クラブの宣伝なんぞをクラス配布物として配ることは出来ないぞ」
クラス配布物と言うのは朝のホームルームなどで教室全員に担任教師の手で配布されるプリント類のことである。生徒会や委員会などもそれを使ってお知らせを配ることがあるが、芽衣子たちにはその手段を使わせてもらえないだろうことは予想がついていた。
「わかっています。私たちが昇降口に立って自分で一年生に配ります」
「そうか。しかし、印刷機はなあ、教員しか扱えないことになっているんだ」
「では、印刷していただけないでしょうか。お願いします」
「だがなあ、俺は今、ノートチェックで忙しいんだ。ただでさえ大変なのに二クラス、ノートを番号順に並べずに提出してきおって、並べ直さなきゃならん」
苦々しげに手塚がいうのに、都の後ろから恐る恐る芽衣子が進み出た。
「あ、それ。私たちがやります」
「ナーさん?」
あっけにとられる都に片目をつぶって見せて芽衣子は言葉を重ねた。
「私、並べ替えるの得意ですから」
「ほう。それならお前たちが並べ替えている間に印刷して来てやろう」
「ありがとうございます」
「じゃあ、これとこれだから。やっておいてくれ」
「はい」
手塚は紙を片手に印刷室の方に歩いて行った。都が芽衣子にささやく。
「うまくいったけど。ナーさん、並べ替えが得意だったっけ?」
「得意ではないけど、やり方は去年先輩に習ったじゃない」
「まあ、たしかに」
都が腕組みをしながらうなずいた。
「さあ、はじめましょう」
二人は指示された二クラス分のノートの山を一つずつ抱えて空き机に移動した。
並べ替えの始まりである。
これは去年数学係になった芽衣子がノートの並べ替えに苦しんでいた時に文芸部の先輩に習ったやり方だ。その先輩も前の先輩に習ったという。
一クラスは大抵四十人だ。そこでまず各クラスのノートを、一番から十番までと、十一番から二十番までと、二十一番から三十番まで、そして三十一番から最後までの四つの山にわける。次に一番から十番までの山を順番に並べ替える。これは数が少ないからあっという間に終わる。同じようにして他の山も次々に並べ替えていく。そして最後に四つの山を順に重ねれば並べ替え終了だ。
芽衣子たちが並べ替えたノートの山を元の位置に戻している所に手塚が帰ってきた。分厚い紙の束を持っている。
「おう、やってくれたか。ありがとう。これがお前たちのチラシだ」
「ありがとうございます」
二人で頭を下げて、都が受け取る。
「A4の紙は大きくて配るのも大変だろうから、半分に縮小してA5サイズにしておいた。そのかわり枚数は二百枚ある。一年生は三百九十五人いるからそれくらいあってもいいだろう」
「すみません、いろいろと」
意外な気づかいに二人して恐縮して見せる。
「なに、縮小したチラシをA3用紙に四枚乗せて五十枚刷って、それから裁断機で四つに切っただけだ」
手塚はまったく面白くない話をしているかのような表情のまま、少し唇をゆがめて見せた。どうやらにやりと笑ったつもりらしい。
二人はもう一度礼を言って職員室を出た。
「手塚先生って笑うことあるのねえ」
芽衣子は感慨深げに感想を述べた。
「私も初めて見たかな。面白みのある先生でしょ」
都がビラを抱えて軽い足取りで自慢するように言う。
「昨年度は先輩たちにお任せだったから、手塚先生とお話ししなかったものねえ」
「さあ。明日は早起きして、ビラ配りよ。頑張らなきゃ!」
都はこぶしを突き上げた。