計略と文芸部(10)
和作法室の前の靴箱のそばに男子の上靴が一足、強烈な存在感を示していた。
開いたままのドアから中をのぞくと、さっき見たばかりの男子が女子の間に堂々と座っている。女子たちが煙たそうにその背の高い男子を見ていた。
「ありゃ、黒木だ」
都があきれた声でつぶやいた。芽衣子は黒木の顔を見て自分の中で攻撃スイッチが入るのを感じた。
「すいませーん。失礼します」言いながら上靴を脱いで、強引に室内に入り込むと驚く黒木の前に腰を下ろす。「こんにちは、黒木先輩」
「や、やあ。またあったね」
平静を装って答える黒メガネの男子に芽衣子はたたみかける。
「本当にまたですねえ。お互いよほど暇だということなのでしょうか。ところで、お勉強の方はいかがなんですか?」
「何を言い出すんだ、君は……」
黒木の言葉から余裕が消える。
「いえいえ。さきほど手塚先生にお会いしたら成績の心配をしておいででしたから、何でも今度の中間テストが……」
黒木の顔がかあっと赤くなった。
「失礼する」
そう言いはなって席を立つと戸口へ大股で歩き去る。戸口の外であっけにとられていた都のそばを無言ですり抜けると靴を履いて行ってしまった。
「ありがとうございました」
色白で黒目が印象的なすっきりした目鼻立ちの女子が芽衣子に頭を下げた。つられて他の女子も頭を下げる。
「いえ、とんでもないです。いきなり押し掛けてお見苦しいところをお見せしまして」
芽衣子は顔を赤くして詫びを言った。
「本当に助かりました。私は部長の長者原です」
色白の女子は名を名乗った。芽衣子はこれが噂の美人だったかと思った。まつ毛が長く、後ろでまとめて流した黒髪が艶々としている。
「文芸部の成田です。あちらが部長の山岸です」
都が入ってきて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「あの、お二人は黒木さんとはお知り合いですか?」
長者原の問いに芽衣子は頭をかいた。
「はあ、まあ。知り合いたくはなかったのですけれど」
「そうですか」
長者原は微笑んだ。同じ女性の身でありながら芽衣子はその微笑みに引き込まれそうになった。美人というものは魔力を持つ者だと思う。
「それで、何かご用があっておいでになったのでは?」
長者原に促されて芽衣子はあわてた。それでつい、かけひき抜きで話してしまった。
「実は部室が……」
「部室ですか?」
「ええと、茶道部さんに部室は必要ないと言っていただきたくて」
あまりにひどい切り出し方に、隣の都の顔が青くなるのがわかる。話をしている芽衣子自身も血の気が引いた。
「この部屋を、ですか?」
長者原がちょっと困った顔をする。こうなってしまっては仕方がない、芽衣子は正直に事情を打ち明けることにした。
「すみません。そうではありません。あの、文芸部が部室棟の部室の立退きを迫られていまして、その代わりに部室に入る候補として茶道部さんが上がっているのです。それで、茶道部さんには部室が空いても入るつもりはないと言っていただきたいと、まあそういう勝手なお願いにあがったわけなのです」
「そういうことでしたか」長者原が口元に手をやってころころと笑った。「かまいませんよ。うちはこの和作法室があれば他に部屋は要りませんから」
「本当ですか?」
芽衣子と都が同時に声を上げた。
「ええ。本当です。どこかでそう言えばよろしいのですか?」
「出来れば、今度の火曜日のクラブ代表者会議でお願いします」
「わかりました」
長者原がゆっくりとうなずいた。
「ありがとうございます」
芽衣子たちは頭を下げた。
「そのかわり」
長者原の楽しそうな声が降ってくる。芽衣子は頭を下げたまま顔を上げた。
「はい?」
「文芸部さんには時々お客様としてこちらに遊びに来ていただけませんか?」
戸惑っている芽衣子の横で都が声を上げた。
「承りました」
芽衣子が都の方を見ると都は片目をつぶって合図をしてきた。
「そうと決まれば、さっそくお茶を飲んで行ってくださいね」
長者原が二人に席を勧める。
「あの、私たち、お作法とかわかりませんけれど」
「いいんですよ、作法は。お茶は美味しく飲むものですから」
芽衣子のおずおずとした言葉に長者原はあの魅力的な笑みを見せた。
芽衣子たちは客として指定された場所に正座した。お菓子が茶道部の二年生の手で二人の前に置かれる。緑と赤の小さな落雁だ。戸惑っていると
「どうぞ、手で取ってお茶の前に食べてください」
と促される。言われるままに口に入れた。思ったほど甘くない。
長者原が茶を点てはじめる。姿勢よくしかもたおやかな後ろ姿で、丁寧な手つきだ。やがて、茶碗が二年生の手で芽衣子の前に置かれた。お茶を置いてくれた二年生が礼をするので礼を返す。茶碗を両手で持ち上げて、わずかに持っている「茶碗は回してから飲む」という知識に基づいて、茶碗を反時計回りに二回まわしてから口をつける。よく空気が入っていて、苦みを感じさせずおいしい。
三口で飲みほして茶碗を置くと長者原が尋ねてきた。
「どうでしたか、お味は」
「おいしかったです」素直に答えた。
「そう、それはよかったです」
長者原は笑顔でそう言うと、二年生が戻してきた茶碗を清めて、次のお茶を点てはじめた。茶筅の音だけが響く静かな時間が経過して、都の前に茶碗が置かれる。
困ったことには、芽衣子は慣れない正座で脚がしびれてきた。都が飲んでいるあいだ、粗相をしないようにひたすら耐える。
「今日はこの辺で失礼します」
お茶を飲み終えた都が遠慮がちに切り出した時には、芽衣子はすでに脚先の感覚がなかった。よろけながら立ちあがる。都もしびれがきれていたようでふらついている。「大丈夫ですか?」と尋ねる茶道部員に「大丈夫です。失礼しました」と頭を下げて二人はなんとか和作法室を出たのだった。
脚を引きずり渡り廊下を部室棟に向かう途中、芽衣子は尋ねた。
「これでよかったのかしら?」
「部室がいらないと言ってもらえることになったわけだし、結果オーライだよ」
都が満足そうに笑う。
「でも、これって茶道部の番犬代わりになるということよねえ」
「いいじゃない。あんな美人のそばでおいしいお茶が飲めるんだよ。わんわん」
「犬、好きじゃなかったはずよね?というか、長者原先輩が狙いなの?私というものがありながら」
芽衣子が腕をつかもうとするのを都は素早くかわして逃げた。




