計略と文芸部(4)
「ねえ、ギシさん?」
福間駅を出て薄暗い駅前の通りを歩きながら、芽衣子は尋ねた。今日も結局、夕方まで打ちこみの仕事をしたので肩が疲労感で重い。
「なに?」
「もし、文芸部が部じゃなくなってしまったとして、私が部をやめたらどうする?」
「ひどい設定だなあ、ナーさん」
都が不平を言う。
「もしもの話よ」芽衣子はあわててつけ加えた。
「ナーさんも、誰かに告白されたの?」
「違うわ」
「じゃあ、他のクラブにでも誘われた?」
さすが都だ、と芽衣子は感心して、事情を打ち明ける。
「実はね。今日、弥生から美術部に入ったらどうかと言われちゃったの。人が足りてないんだそうよ」
「そっかあ。ナーさん、絵がうまいからなあ。それもいいかもしれないね」
「ギシさんはどうなの?」
「私? そうだな、ナーさんがいないと困るなあ」
「困る、か」芽衣子はちょっと含み笑いをした。「そう言うだろうと思って、弥生に美術部にはいかないと答えておいたわ」
「ナーさん。やりたいことやっていいんよ」
都が芽衣子の方を見る。
「いいのよ。私はギシさんと文芸部がやりたいのだから」
「ありがとう、ナーさん」
「どういたしまして」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「しかし、弥生も顔が広いなあ」
都が思いついたように言う。
「そうね。他にも情報処理部がどうとかいっていたわ」
「情報処理部も人が足りないのかな」
「どうかな。詳しくは教えてもらえなかったのだけど」
「その話は詳しく聞いてみたいかな」
都の言葉に芯が入ったのを芽衣子は感じた。何かを思いついたのだろうか。
「どうして?」
「だって、ナーさん。情報処理部は文芸部に代わって部室に入るかもしれないんよ。もしかしたら交渉してなんとかできるかもしれんやん」
あっ、と芽衣子は言葉を飲んだ。確かに文芸部に代わって部室に入る候補として情報処理部と茶道部の名前が挙がっていた。交渉して味方につけることができれば、部室を明け渡さないで済む方策が見つかるかもしれない。
「たしかにそうね」
「ね。その話、弥生と取り引きをしてでも情報を得る価値があるかもしれんよ」
「でも、取り引きしようにもこっちには材料がないわ」
「やっぱり、労働かな」
「この上さらに?」
「土日も働くとかはどうかな?」
「ちょっと、きついけれど、それしかないかしら」
芽衣子は凝った肩をまわしながらつぶやいた。
「明日、弥生に聞いてみよう」
都がうなずきながら言う。
赤信号で立ち止まってヘッドライトをともした車が走り抜けるのを眺める。もうこの信号を渡れば二人の家があるブロックまですぐだ。街はすっかり夜の装いになっていた。
「弥生といえば、ギシさん。今日は驚いたわね」
「一年生が告白してきた話?」
都はしっかりと芽衣子の話を受け止めてくれる。だから、話しやすい。
「うん。弥生、慣れてたわね」
「あの子は美人さんだからね。言いよってくる男も多いんやない?」
都は時々なまる。宗像弁だ。本人は、特に高校に入って以降、標準語を話そうと心掛けているらしいが、芽衣子はなまっている方が可愛いのにと思う。
「私は、あの性格だから男から敬遠されているのかと思っていたわ」
「ああ、言っていたよね。そういう噂だって」
「よってくるなんて、うらやましい話よねえ」
「そうかな」
信号が青になった。二人はゆっくりと信号を渡る。
「ナーさん。たくさんの人にもてたって、それが嬉しくない人には無意味だよ」
「たしかに。弥生がまさにそういうタイプよね」
「私は、好きになってほしい人一人に好きになってもらえればいいと思うな」
それは都の持論である。昔から都はそう言い続けてきた。
「そうねえ。私もそれは賛成かな」
これまで都が好きなった男の子たちが都を好きになることはなかった。都はそれを好きになってほしい人じゃなかったからだと言って笑い飛ばしてきた。芽衣子はそういう姿を何回も見て来ている。
「ナーさんは好きになることないの?」
「ないわね」
芽衣子は即答した。あこがれた年上の人は何人かいたが、好きというのとは違う。そういう意味では私も弥生と似ているのかもしれない、と芽衣子は思った。
男性を見て、この人とつきあったらどうなるのだろうかとあれこれ考えることもあったが、結局都がいれば十分だと思ってきたし、その通りだった。都がいなくなったら困るのは芽衣子の方だ。
都が誰かとつきあうことがなく来たのは私にとって都合がよすぎたな、と芽衣子は頭のどこかで思った。そして、そういうことを考える自分のことが嫌になる。
「ナーさんは素材がいいんだから、もっと出して行ったらいいのに」
「だから、そんなことないって」
こんなにも都は私を甘やかしてくれる。でもいつか都から自立しなくてはならない。
「あるって。可愛いし、癒し系だし、胸だってあるし」
「褒めてくれて嬉しいけれど、そんなこというのはギシさんだけよ」
「ナーさんが隠してるからだよ」
「いいの。隠れてて結構。この話はここで止め」
もてたいと思ったことはない、といえばウソになるが、もてようと頑張るのは何か違う気がする。好きになってもらうなどということがあれば嬉しいだろうけれど、その人とつきあうだろうかと考えると、ちょっと待ってほしいと思うのだ。
いろいろな気持ちが整理のつかないまま転がっているのが芽衣子の現状だった。
細い道が交わる三叉路まで来た。青白い街灯が、静かに家並みを照らしている。空はほとんど暗く、西の一角だけが切り絵のように日の名残りを残していた。
ここで、都と別れる。
「じゃあ、また」
「ええ。後でメッセージするね」
芽衣子は目をつぶっても歩けるくらいに慣れた道を一人歩きながら、スマートフォンを取り出した。
『求めるものはまだ
求められる私とともに
ありはしない』
と、メモをする。
門を抜けて、玄関の鍵を開けて家に入る。
「お帰りなさい」
母の声が迎えてくれる。
「ただいま」
芽衣子は玄関に鍵をかけて返事をした。スパイスの香りが強い。今日はカレーライスのようだ。
芽衣子は一旦、頭の中のいろいろなものを脇に置いた。親の前ではマイペースで元気な一人娘に戻るのだ。




