追い立てられる文芸部(2)
芽衣子は都とともに一礼して生徒会室を出た。都は渋い顔をしている。
「いきなり出ていくことにならないでよかったじゃない、ギシさん」
ゆったりとした芽衣子の言葉に都は首を振った。「ギシさん」は小学校の時についた山岸都のあだ名だ。芽衣子は都のことを今もそう呼ぶ。そして都は成田芽衣子のことを同じように小学校からのあだ名で「ナーさん」と呼んでいる。
「いや、ナーさん。うまくやられたよ。敵は最初から二週間後の会議までに何とかするつもりだったんだと思う」
「そうなの?」
「竹中先生と会長の会話の呼吸が合いすぎてたよ。会長が『部室のことでもめてまして』と言ったらすぐ『期限を区切るか』と返したやん? あれはきっと、あらかじめ打ち合わせていたんよ」
「ギシさんともめるのを計算に入れていたってこと?」
「だろうね。うまくいけばすぐに追い出すつもりだったとは思う。そのためにこんな資料を用意したんだろうし」都はプリントをひらひらと振って見せた。「でも、抵抗を受けて長引くときには先生が割って入る算段だったんじゃないかな。今日呼び出したのだって、初めから会議までの日数を計算してのことだったのかもしれないよ」
都は勘が鋭い。勘がいつも当たるわけではないし思いついたままをしばしば遠慮なく口にするので人に嫌われるが、芽衣子はその嘘のないところが好きだ。芽衣子は都の言葉に信頼を置いた上で、正直な感想を漏らした。
「ずいぶん計画的なのねえ」
「会長が女だからだね」
都が断定する。
「どういうこと?」
「女だといろいろと色眼鏡で見られがちじゃない? この学校の場合、特に。だから規則に忠実に公正に、それでいて手堅く手続きをすすめることで変な横やりが入って来ないようにしたいんだよ」
「なるほどねえ。会長さんも大変なのね」
芽衣子はほうとため息をついた。都が首を振る。
「会長に同情している場合じゃないよ、ナーさん。会長は敵なんだからね」
「そうだったわ。二週間で部員を集めないといけないのよね」
「やっぱり、あの作戦がいいと思うんだけどなあ」
「あの作戦って、あれ?」
「そう、『お姉さんと遊びましょ』作戦。ナーさんは地味目だけどルックスいいんだから男の子に誘いをかければ、すぐに三人くらい引っかかるよ」
芽衣子は、嫌なことを思い出させないで、と顔をしかめた。
「だから、新入生歓迎会で部長でもないのに壇上に上がって部の紹介をしたじゃない。でも、誰も来なかったでしょう」
「あれはちょっと計算ミスしたわ。近頃の奥手な男子にナーさんの魅力をアピールするには壇上からじゃ距離が遠すぎたのよ。もっと近くないと。半径二メートルくらいが有効射程距離かな。だから、どんどん男子に接近しよう」
「いやよ。そんなよくわからない男子に接近して回るなんて」
「相手は選んでいいから、ね。可愛い男の子限定でいいから」
「私、年下趣味じゃないのだけど」
「ナーさん、年上好きだからねえ。じゃあ、いっそ三年生を狙う? 来年のことなんか考えないで、とりあえず二週間後を乗り切ることに目標を絞って」
「どうやって三年生を勧誘するの。おかしいでしょ、ギシさん。今になって三年の教室に行って『部に入ってください』っていうの?」
「うーん。廊下で見ててよさそうな人がいたら、出てきたところにわざとぶつかって『すみません。あの、これも何かの縁だと思うんです。文芸部に入りませんか』と言うのはどうだろう?」
「どうだろうじゃないわよ。いい笑いものになるわ」
芽衣子はため息をついた。
部室棟に来た。「棟」とはいうがプレハブ二階建てである。ちゃんとした部室棟が出来るまでの仮住まいとして建てられてすでに五年が過ぎているという話を、芽衣子は去年の三年生から聞いた。
実は職員室や生徒会室も仮の建物で、そちらは十年くらい前に建てられたらしい。古い体育館を解体して建て替える時にまとめて新しい建物に移すということらしいのだが、予算がつかないのかその体育館の解体すら始まる気配がない。
部室棟は一階と二階に部屋が八つずつあり、一階は運動部が入っている。文化部の部室は二階だ。放課後になってからしばらく経っている上に五月晴れなので、すでに運動部のほとんどが出払って、一階の部室周りは閑散としている。
二人は階段を上がった。
通路で白衣を着た男子二人とすれ違う。化学部だろう。薬品の匂いが鼻を刺激する。通りすがりに生物部の部室から笑い声が聞こえた。奥の吹奏楽部の前では芽衣子と同じクラスの男子が一年生を叱りつけているのが見える。さっそく先輩風を吹かせているな、と芽衣子はほほえましく思った。
階段から三番目のドアの前で都が鍵を取り出した。鍵を開けて入る。ここが文芸部室だ。後に続いて入り電気をつけると、白檀の香りがした。
「あー、まだ匂い残っているね。ナーさん」
「もう一週間くらいになるけどねえ」
ゴールデンウィークの前に、部室の中がちょっとカビ臭いと都が言い出して、家から持ってきたお香をたいたのだ。部屋中が甘ったるい匂いにつつまれて芽衣子が嫌がったので香をたくのはそれきりで取りやめになったが、いまだにどこからともなく香りが漂ってくる。
ドアが閉まると芽衣子の背中に都が顔をつけ、両腕を芽衣子の腰にまわしてきた。
「ああ、もう。疲れたよ」
急に甘えた声で言う。気の強い都が芽衣子にだけ見せる甘えモードだ。
「はいはい。お疲れさま」
都の腕を芽衣子は優しくなでてやる。そうしながら、芽衣子は部室を見まわした。
幅は二メートルないだろう。奥行きは三メートルちょっとと言うところだ。
ベージュのパネルで両隣と区切られ、ドアの反対側に小さな窓が一つついている。小さな部屋の中には鉄製の本棚が二つに長机がひとつ、椅子が五脚詰め込まれており、さらには窓の下とドアを入ってすぐの右の二か所にカラーボックスが置かれている。左のパネルには古い文芸映画のポスターが二つ貼られており、本棚にはこれまでに部が発行した同人誌や近隣の学校の同人誌、個人で発行した同人誌などが棚いっぱいに収められている。
同人誌はガリ版刷りのをホッチキスで止めただけのものから、コピー用紙を製本テープでまとめたもの、印刷所できちんと製本されたものまでさまざまだ。三十年近い部の歴史が詰まった本棚である。
長机には赤と黄色のチェックのビニールのテーブルクロスがかけられており、椅子の上に先ほど部屋に寄った時に置いたままの様子で二人の鞄がある。
「お茶を淹れるわね」
芽衣子は入り口そばのカラーボックスの方を向いた。背中で都が甘ったれた声を出す。
「ナーさん、私、こぶ茶」
「はいはい」
大きな子供を背中にくっつけたまま、カラーボックスの中からマグカップを二つ取り出し、カラーボックスの上に鎮座する古ぼけた電気ポットの前に置く。電気ポットの脇に置かれた箱から、顆粒の梅こぶ茶の小袋と玄米茶のティーバッグを取った。カップに入れてお湯を注ぐ。さじを取り梅こぶ茶の方をさっとかきまわした。さじを元の位置に戻す。
「用意出来たわよ。そろそろ離れてくれない?」
「ほーい」
都が椅子に座った。パイプ椅子がきしむ。椅子が古いのだ。
芽衣子は都の前にカップを置いてやった。
「ありがとう、ナーさん」
「どういたしまして」
芽衣子はカップを持って移動し、都の前に座った。