ワープ航法
戦闘が終息しおよそ60時間後、ワープに向けての準備が船団全体を巻き込んで突貫作業で行われた。
ワープ準備をしていた時に襲撃されたのだ。なるべく早くこの宙域を離れたいのだろう。
さらなる襲撃にも警戒がなされている。なにせ先ほどの襲撃で敵の戦艦はほとんど圧壊したが、小型艇の類はまだまだ残っているだろう。
小型艇の中でも短距離ワープを単独で行い奇襲を仕掛けるタイプが存在する。パスファインダーと呼ばれるタイプだ。
宇宙においてかなりの脅威だが、その脅威も乱戦時にこそ発揮する。戦端を開くような用途には向かない。
それはなぜか。ワープ距離が短すぎるという点が一つ。もう一つはとてつもなく高価な船だからだ。
通常の戦闘機とくらべて50倍とも言われる単価の強襲艇はおいそれと運用できるものではない。実際に連合軍でも持て余しているようだ。敵がそれを一か八かにかけて運用する可能性は、おそらくないだろう。
そのようなあるかわからない襲撃にそなえて、ほとんどの軍人は普段よりも密度の濃い交代勤務で警戒に当たっていた。予備役であったり民間人の中にいた退役軍人なんかも招集されたようだ。
そして一部の軍人は、それこそ通しで任務に当たっていた。隊長レベルなら副長と交代で休憩を取っているがそれ以上の階級となると替えが効かなくなってくる。
最高司令官殿などは1時間に5分の仮眠をとりつつ指揮に当たっているとか。このままではデータベースが言う「過労死」で死んでしまうのではないか。そんなこともささやかれていた。
そしてこの俺も、その一部の軍人に含まれていた。
特に階級が高いわけではない。むしろ一番下であり移民船団の食堂長よりも劣る階級だ。おそらく食堂長もほとんどフル回転でフライパンと電子レンジを回しているのだろう。
そこで俺が休憩もなくずっと工作艇の操縦席に座っていたのはなぜかというと、ただ単に“工兵”だからという理由からだ。
そんな哀れな兵隊は俺だけではない。少なくなってしまった工兵連中は急ピッチでワープゲートの修復を行った。襲撃によって破損した部分が少なくないためだ。
この時のワープゲート修復にかかった時間が、ほとんど軍内部の最速記録に近いのではと囁かれたが、さすがに眉唾だろう。
作業自体はほぼオートで進んで行く。オートで位置合わせができないような場合にだけマニュアルで合わせるのが任務だ。
退屈と疲れで眠ってしまいそうだが、寝てしまうと司令部に報告が行くばかりか電撃で強制的に起こされるのでなんとか耐えて目の前のワープゲートを眺めていた。
ワープゲートは円形である。部品一つ一つは組み合わさって円筒形に近いものになるが、それが合わさって一つのゲートとなる。
連合国の中心地、いわゆる母星と呼ばれる星に近い中域にはきちんと設置されたワープゲートがある。それも円形だが、そういったワープゲートは今回建設しているワープゲートと違い単独で動作する。
ではこの目の前にあるワープゲートは単独では動作しないのかというと、そうでもない。
単独でも動作はするが、安定性に欠けるためワープスタビライザーという装置を船団で運用し確実に目的地へ飛ぶのが本来の使用方法だ。
“本来は”船団を囲うように配置されたワープスタビライザーを無人運用するのが正式な運用方法だ。しかし、ワープスタビライザーを搭載できる無人機はここに来るまでに喪失している。ではどうやってワープスタビライザーを浮かすのか。
俺たちがその身をもって浮かすのだ。
『ワープ航法!対衝撃用意!』
狭域通信でシーケンスの開始がインフォメーションされる。
『スパナチーム、各自ワープスタビライザーを起動…打ち合わせ通りで頼むぞ!』
戦術リンクから隊長の声が聞こえる。端末を操作しスタビライザーを起動させる。プログラム通りにスタビライザーは展開し他のスタビライザーとリンクし始める。
ワープスタビライザーに多くのエネルギーを割り振る必要があるため、エネルギー残量はみるみるうちに減っていくが、問題はない。スタビライザー自体にもエネルギーをチャージさせているので計算上はもつはずである。
ワープゲートが起動し、旗艦のリアクターへ大量の不思議物質が投入されることによってワープ航法は開始する。
それにより移民船団全体が徐々に発光しているように見え始める。同時に歪む背景の星々。ゲートを完全に潜り抜けた時、ワープが始まった。
移民船団ごと極彩色に包まれる。時空間の常識が崩れながら周りの景色が無限に引き延ばされてゆく錯覚を覚える。
ワープには主観時間で10分少々かかる。それでいて外から観測される時差はほとんど0なのだ。まったく意味のわからない技術だ。
船団は隊列のまま、極光に飲まれてゆく。自分にとって初めてのワープではないが、この感覚には慣れることはないだろう。
初めてワープ航法を体感した時、俺は盛大に吐いた。
あれは訓練生時代だった。今回のように船団で行う長距離ワープではなく練習艦単艦による短距離ワープだった。その時の自分は胃袋の時間が巻き戻されるような感覚に耐えきれず操縦桿にぶち撒けたもんだ。
画面に表示されている情報が目に入った。スタビライザーの負荷率が異常に高くなっていた。
時間の経過とともにスタビライザーの負荷率は上がってゆく。これは通常動作での振る舞いと同じなのだが、普段なら50%程度で頭打ちになるはずの負荷率は今現在、80%を上回った85%を示していた。
(どうなっている…このままだとスタビライザーが強制終了してしまう…!)
スタビライザーの負荷率が90%を上回った時、スタビライザーは損傷を避けるため機能を自動停止させる。しかしワープ航法中に停止したスタビライザーはそのままワープから弾き飛ばされてしまう。
ワープスタビライザーが無人運用されるのはそれが主な原因だ。相次ぐ有人運用時の事故により無人運用が正式となったらしい。
つまりこのままでは宇宙の藻屑になってしまう。
その非常事態に俺は混乱していた。ワープ航法時のエラー対処など訓練でもやらない。慌ててステータスを開いて“間違い”を探す。
一瞬で何十行も流れるログから色違いを抽出していくが、どこにも致命的なエラーは見当たらない。
コントロールポッドを握る手に力が入る。目は必死にディスプレイを追うが、解決の糸口は見えない。
ワープ終了まであと2分。自分一人のスタビライザーが機能を止めても、他の17機があれば十分だろう。いざとなったら強制終了で損傷する直前でマニュアルにして…
妙な衝撃を感じた。宇宙空間でよく感じる“切り離されたような衝撃”だ。一瞬引っかかるような衝撃のうちに視点がゆっくり動かされるような、嫌な衝撃に近かった。
船体が移民船団の中心方向に向いていく。目の前に見えるようになった、一つ内側にあったスパナ1との距離が開いていってるような気がする。
鈍く、体ごと何かから引き離されるような感覚を覚えた。すうっと離れていく視界と感覚。それはもう二度と一つになることのないような…
鳴り響いたアラームで正気に戻る。訓練で散々頭に打ち込まれたアラームに体は勝手に反応する。
まだ諦めるには早い!
再びコントロールポッドを強く握る。何か、何か生き残るとっかかりはないか。慌てて投影ディスプレイに目を向ける。そこには幾つかの警告が表示されていた。
[Stabilizer Indexer Lost]
[ワープ航法維持不可能]
船体が振動し始めた。光が薄れていくが、同時に船団も遠くなり見えづらくなってゆく。
おそらく先ほどまでこの船体の下部に装着されていたであろうワープスタビライザーが目の前を通過し遥か後方へ流れてゆく。
反射的にフルマニュアル操作へ切り替える。振動は一瞬強くなったが、気にしていられない。
スタビライザーを失った分、それに使用する予定だったエネルギーを船内に戻す。どうやらスタビライザーの圧縮機までも切り離されたわけではなかったようだ。
なんとか船体を移民船団に近づけようとコントロールポッドを限界まで倒す。エネルギーを限界を超えてリアクターにつぎ込む。焼き付くギリギリまで稼働率を上げて行く。
振動は無情にも強くなってゆく。移民船団の陰はさらに遠くなってゆく。
リアクターが限界を迎えた。急激に失ってゆく光の中、振り上げた腕で非常用のスイッチを割り押した。
その瞬間、船体は極光から弾き飛ばされ、意識を失った。
2015/06/27 訂正