始まり、始まり
全てが灼けている。
空も、地面も何もかも。ペンキをぶちまけたように世界は『赤』という一色で塗り潰されている。
呼吸が喉を、肺を焼いていく。
眼前に広がるまさに地獄とでも呼べばいいだろう光景は、だがしかし、俺の目に届く前に一つの影でさえぎられていた。
「…………」
声はもう届かず、唇の動きしか読み取れない、それでもその言葉は聞こえた気がする。
だめだ。
その言葉の代わりに漏れ出したのは乾いた風の音。
それでもすべてを分かったようにそいつは笑って、そして。
光へと消えていった。
ベッドから飛び起きる。嫌な汗で服が体に張り付いて気持ち悪い。
こういう悪夢は何度も見たことがある、自分の失った記憶に関係あるのかと思うが、全くと言っていいほど思い出せない。
纏わりつく汗を乾いた布で拭いて、仕事着に着替える。グズグズしていると、今日の稼ぎがなくなってしまう。
フラキの森はこの木こりの国でも有数の森だが、その多くは手が付けられないまだだ。なぜかと理由を問われれば、それは……。
目の前にある一本の木を見上げる。樹齢千年を超す大木ばかりであるこの森の木々は単純に切り倒すのが非常に難しい。鍛冶の国の特上の刃物でもあれば話は別なんだろうが、戦争中の今は難しい。
手に持った大斧の刃を木に押し当てる。深く深く息を吸い込み、一撃を真横から水平にぶち込む。少しでも軌道が歪めば、刃は欠けてしまう。しかし、真芯に入ったそれは易々と幹の8割方を切り裂き、そしてそれを抜いてやれば。
自重で木は折れて、山に倒れた。
どぉおぉおおぉぉん、という重く低い響きが森に木霊していく。これを切り分けて、適当な木材として街に売りに行く、それがここ一年の俺の仕事だった。
ちょうど一年前、俺はこの国に帰ってきたらしい。
らしい、というのには理由がある。それ以前の記憶がないのだ。だが、ここの国民のほとんどは俺の名前を知っていて、そして俺のことを『英雄』と呼ぶ。未だ続く戦争だが、今では代理戦争と呼ばれる競技のようなものになっており、そうなった理由に俺の活躍があったらしい。
いくつかの記録装置で見たが、そこに映ってる俺らしきヒトは確かに俺であり、圧倒された。
その剣の一振りは百の敵を打ち倒し、我らに勝利を与える。
どこかの吟遊詩人が詠ったらしいその歌を聞いたとき、胸がチクリとした。
その時の俺は、剣技はおろか、戦い方すら覚えていなかった。そんな俺に国王はこの森の木こりの職を与えてくれ、今に至る。最初は幹はおろか、皮さえも貫通しなかったのに、今では斧の一つで切り倒せるようになった。
それでも、ときどき思いだしたように考えるのだ。
『英雄』であった俺と、木こりの俺。俺はどちらであるべきなのだろうか、と
この世界は全部で十の国から成っている。古くから伝わるおとぎ話によれば、かつてこの世界には普通の人間しかおらず、俺達のような亜人はおろか、神も悪魔もいなかったそうだ。ある日突然現れた神に、人々は『同胞が欲しい』と願った、そして生まれたのが亜人である俺達や、悪魔であり、そして世界は、神も含めた種族の数である十に別けられた。
ここ、木こりの国の主な産業は林業だ。と言っても戦争中であるため他の国との貿易はあまり行われない。そもそも、各国には神から『褒美』と称される、国民の最低限の生活を維持できるだけの食糧、衣料などの生活必需品が送られてくるため、鎖国状態であっても問題はない。
というわけで、仕事とは言いつつもその実態は……。
「あらー、エン君。いつも悪いわね」
「あははは、いやー、これが仕事なんで」
苦笑しながら、納屋にしまいっぱなしになっていた道具を次々出していく。木材を売るだけでなく、こうやって買ってくれた人の困ってることとか、そういうことの手伝いをする。今は春先で不要になった暖房設備をしまっているところだ。
「春になってきたし、そろそろ木材も売れなくなってきますから買ってもらえるだけでありがたいですよ」
「そうねー、うちは使うと言っても後はかまどくらいだしねぇ。それにせっかくだからエン君の助けになってあげたいじゃない、『英雄』様なんだから」
「ハハハ」
口からは乾いた笑い声しかでなかった。
「やれやれ、今日はこんなもんか」
後ろに引く荷台に残る木材を見てため息をつく。冬が終わった以上、ストーブとしての材木が売れることはなくなる。となると、普通の家庭ではたまに小屋や家の修理に使うか、それこそ炊飯などにしか使わなくなるため、収入は減るに違いない。
「―――――!!」
喧噪が遠くから聞こえる、男たちの怒鳴り声と、それからか細い女の声。荷台から手を放して、何事かと見に行こうとした。
「っっ!!」
その時、路地の角を曲がってこちらに来る人影が。一枚の大きい布のようなものを頭から被ってるため、顔は分からない。けれども長く艶のある黒髪がたなびき、女と分かった。
「――」
彼女は布を深く被り直し、俺の横を横切っていく、と思われたが、つま先の方向を瞬時に変え、そこに置いてある荷車に乗ると、材木に被せてあった布の下にもぐり、隠れた。
横切った時、一瞬だけ目があった気がした。そんなことを考えていると、怒号のようなものがまた聞こえてきた。
「どこ行った、あの娘!!」
黒服の男たちが近づいてくる。やり過ごそうと、荷台にもたれ、持っていた水筒の水で喉を潤す。
「……おい、あんた」
通り過ぎようとした男のうちの一人が近づいてくる、心を落ち着けようと思いながら、水筒から口を離す。
「……どうしたんだい?」
「人間の女をみなかったかい?」
ここは亜人の国の一つ、人間の国にいる亜人はそこそこの数いるが、亜人の国にいる人間は少ない、その理由は簡単だ。彼らの多くは亜人が好きでない。
「……」
この男たちも人間だ。どっちを助ける義理もないが……。男はそこでポケットから銀貨をちらつかせている。
「さっきの奴ならそこの路地をまっすぐ走って行ったよ、土地勘もなさそうだったし、どこかの突き当りで困ってるかもな」
「ッ!!急ぐぞ!」
その声で男たちは走っていく。俺はカラカラに乾いた喉をもう一度水で潤し、一息つき、
「……やつら、行ったぞ」
ぼそっと呟いた。
少し間を置いて、布を払い女がでてくる。
「……ありがとう」
それだけ言って立ち去ろうとするが、歩き方からも疲れが滲み出ていた、よっぽどあいつらに追い回されていたのだろうか。
「なぁ!」
「……なによ?」
一瞬迷って、気だるげな返事が返ってくる。
「うちで休んでいかないか?」
「何、言って――」
そこで、彼女の足元がふらついて倒れかける。走り寄って支えてやると、見た目よりずいぶん軽く感じた。
「……あいつらに追われてた事情とかは詮索しないから、とりあえず休んどけ」
「余計な、お世話――」
そう言って振りほどこうとするも、そんな力もないらしい。俺はため息をつくと、彼女を両手で抱え上げ、荷台の空いてるスペースに再び載せると、荷台を引いてうちの方角へと向けた。
「ちょっと――」
「じっとしてなきゃ見つかるぞ」
ふん、と不機嫌そうな声の後、静かな寝息が聞こえてきた。できるだけ揺らさないように気を付けながら、帰路につく。さて、二人分の食材はあっただろうか。
結局、帰る途中で出会ったおばさん方が分けてくれた惣菜でなんとか間に合わせた。
夕食を終え一眠りして、体調がよくなった様子の彼女から話しかける、湯浴みして身を綺麗に整えるとまるであった時とは別人のようだった。長い黒髪とその瞳はまるで夜空のように深く、黒い輝きに満ち、白い肌は絹のような、淡く光を帯びているようだった。お湯、ありがととだけ呟くと彼女もテーブルに着いた。すでに先程着てたぼろ布のような服ではなく、庶民がお洒落したような感じの小奇麗な服になっている。まあ、それも惣菜をくれたおばさん方が押し付けた、もとい、くれた物だ。最初は断っていたが、あの押しの強さには負けてしまったらしい。
しばし、沈黙が流れた。さて、何を話そうか、聞かないといった以上、下手に詮索する訳にもいかないし、かといって、何も話さないというのもどうかとは思うわけで。
「あんた、なんで私のこと助けたの?」
突然、核心をつくような質問だった。
「それは――」
思わず、言葉に詰まる。
「助けてもらった身としては失礼かもしれないけど、私だって子供じゃないから散々こういうので痛い目に遭ってきたの。人の善意なんてものに命を預けられるほどお人好しじゃないのよ」
まあ、もっともな話だ。俺がその立場だとしても同じことを思うだろう。けれど、
「一言でいうなら、人助けがしたかったんだよ」
その言葉に反応して、彼女が睨んでくる。
「えっと、勘違いしないでくれ。別に単純な善意とかそういうのでなくってだな――」
「何よ、見返りでも求めてるの」
今度は打って変わって軽蔑の眼差し、これは参ったな。
「自己満足みたいな見返りなんだ、説明するには面倒くさいんだが」
「じゃあ、全部話して」
彼女が言う。
「私はまだ、あんたを信用してない。これは事実。けど、私も助けが欲しいのよ、実際。だから、もしもあんたが、私のことを助けようと思ってくれたなら、最後まで、付き合ってちょうだい。例えそれが地獄までの旅行だとしても、それが助けてしまったあんたの義務でしょ?」
何かが始まるようなそんな気がした、それは木こりの俺でなく、英雄であった僕の感覚かもしれなかった。
「俺は先の戦争でこの国の『英雄』って呼ばれてたらしいんだ、けど、今は記憶を失ってしまって、さ」
彼女は何も言わずに話を聞いてる。
「みんなは俺のこと『英雄』様、って呼んで、ありがとう、みたいな感謝やお礼の言葉を言ってくれるんだ。でも、俺じゃない誰かがやったことに対してみんなが言ってるようなそんな感じがしてさ。だから、『英雄』だった俺に恥じないことをしたいんだ、きっと」
そこまで聞くと、彼女はため息をつく。
「そういえばあなたの名前聞いてなかったわね」
「あ、ああ、エンという名前だ」
「要するにエン、あなた、元の自分に引け目を感じてるんでしょ」
「そ、それは……」
すぐにノーとは返せなかった。
「まあ、これはあんたの問題だし、私が言うことじゃないし、いいわ。――それに、色々と好都合みたいだし」
「え?」
「あなた、『英雄』だって言うなら、この国の王様にもお目通り叶うんでしょ?」
「あぁ、何度か会ったことあるし、何か困ったことがあればいつでも来ていいとは言われているけども……」
「私を連れて行ってほしいの」
え、と思わず言葉が出る。さすがに違う国の人間を易々と王城に連れて行くわけにもいかない。
「そうね、自己紹介が遅れたわ」
そう言うと、彼女は右腕の袖をまくり、俺の方へかざす、途端、淡い光とともに奇怪な文様が肌の表面に浮かび上がった。
「人間の国の王族に連なる後継者の一人、永遠よ。証拠としては、私も王族として鍵を持っている。
これで、信じてもらえるかしら?」
彼女の黒き瞳には意志の炎が静かに、けれど激しく燃え上がっていた。
一人になって、深く、深く、身体から息を吐き出す。自分の立つ場所。そこから延びる無数の線。
一つ目は、避けられた。それは成功でなく、厳密に言うならば失敗をしなかった。
答えはあるのだろうか。
間違いならばある。
終わりはあるのだろうか。
失敗ならばある。
賽を振るようなこの試行。一度でも違えれば終わってしまうのだ。
震える身体を抱きしめ、ひと時の安息へと深く深く、眠りへと逃げていく。
翌朝、軽めの朝食をすまして、身支度を整えてからこの国の中心、王宮へと向かった。




