歪2
「お邪魔します」
「いらっしゃい~」
深癒を家に上げてリビングに通す。今日も誰もいないから晩御飯は自分で作らなくちゃいけない。もういい時間だし、早く仕度しなきゃ。
「深癒、今日は何が食べたい?」
「うーん、パスタとかどうかな」
「いいわね。身体も冷えちゃったし、温かいクリームパスタでも作ろっかな」
「あ、私も手伝おうか?」
「大丈夫よ。もーっと時間かかっちゃうかもだし、ぷぷ」
「う……任せた」
深癒にはまず包丁の持ち方を覚えてもらってから料理を教えてあげよう。
「さ、できたわよ。温かいうちに食べましょ」
「うわぁ……! 今日もまた美味しそうな……」
じゅるりと唾を飲み込む音が聞こえるようだ。深癒ったら、子供みたいに目をキラキラさせている。
二人でテーブルを囲み向かい合うと、まるで深癒と家族になった気分だ。
「いっただきます!」
「召し上がれ。あたしもいただきまーす」
早速一口食べてみる。うん、我ながらなかなかのお味ね。時間はなくても料理の手は抜かない、これがあたしの小さなモットーです。
「ユキー、おいしいよー」
「ふふ。そんなにおいしい?」
「うん! 毎日ユキの手料理が食べたいくらい」
「そ、そんなに褒めるなよ~、照れちゃうでしょ」
相変わらず深癒さんの天然タラシ攻撃が炸裂してくるわね……幼なじみのあたしじゃなかったら、結構危ないセリフだと思うわ。
「それと、あんまりそういう恥ずかしいこと言わないの。勘違いしちゃう子とかいるかもしれないでしょ?」
「こんなこと、ユキにしか言わないよ……手料理を食べさせてもらったのだって、ユキだけだし」
「そ、それならいいのか……? うーん……」
「…………ユキのベーコンいただきっ!」
「あっ! ちょっとっ!?」
色々悩んでたらいつの間にか迫っていた深癒のフォークにあたしの取っておいた一番大きなベーコンを掻っ攫われてしまった。うぅ、最後のお楽しみにしようと思ってたのに……
「早く食べないからだよ。口もだけど手も動かそうか、にひ」
「くっそう……誰のせいだと思って」
「またまた隙ありっ!」
「させるかっ!」
楽しい夕食のひと時が一転して戦場になっちゃった。まあ、これはこれで楽しいといえば楽しかったけども。
◇◇◇◇◇◇
お風呂場からお湯が準備できた音が聞こえた。今日も深癒に先に入ってもらおうかな。
「みゆー、お風呂入っていいよー」
「あっ、うん。……その」
「ん?」
何か言いたそうにしているけど、なかなか次の言葉が出てこないみたい。お風呂関連で言いにくいこと……はて?
「い、いっしょに……入らない?」
「え? ……別にいいけど」
「ほ、ほんとっ? ほんとにいいの、ユキ?」
「う、うん……どしたの、急に」
「いや、なんかさ。久しぶりに二人でお風呂入ってみたいなーなんて、思ってさ。小っちゃい頃以来じゃない、こういうのって」
「まあそうね。なんで今思い至ったかは、あえて聞かないでおくけど」
深癒がこういう提案をしてくるのって、珍しいな。普段は逆に自分が恥ずかしがってそんなこと言えなさそうなのに。
「ありがと、ユキ。じゃあ入ろうか」
「あ、その前に着替え用意しとかないと」
「またユキの借りていい?」
「引き出しの中の好きに使っていいわよ。あたし、先に入ってるから」
「りょーかい。取ってくる」
あたしの部屋に走って行っちゃった。ほんとに一緒に入るつもりなんだなー。
……やばい、今更ながらにドキドキしてきたかも。ただ一緒にお風呂に入るだけなのになぁ。
先にお風呂場に入って身体にお湯をかけていたときに、浴室の扉がからからと開いた。
そこに立っていた深癒は、まだお湯にも浸かっていないのに、ほんのり頬が上気していた。
「失礼します……」
「ん、どうぞ。狭いけど我慢してね」
「ううん、大丈夫」
身体を軽く清めたあたしは湯船に浸かり、深癒に椅子を譲る。うちのお風呂だと一人分ぐらいしか身体を洗うスペースがないのよね。だから、交代交代で。
「深癒、体キレイね~。すっごく羨ましい」
髪を洗ってる深癒を見つめながら、パッと思いついたことを言ってみる。
「ユキの方が肌も白くてもちもちで、綺麗じゃないか」
「またまたそんな~って、もちもちって何よもちもちって。あたしそんな太ってる?」
「それはむちむちの間違いでしょ。いや、ユキの場合は無知無知か……」
「何それ、今すっごくバカにされた気がするんですけど」
「まあいいじゃない。ユキだし」
「……なんだろう! あたし、すっごい屈辱を受けたような気がする!」
「ふふ。ユキと話してると飽きないよ」
あたしは深癒の手の平の上で踊らされる一方なの? いや、違う。この雪辱を果たすのは、今この特殊な状況以外ないでしょう! というわけで、逆襲。
「……みーゆっ、いい機会だし背中洗ってあげる」
「え、いいの? あんなにからかっちゃったのに」
自覚はしてるのか……まあいいや。今更反省したって、許してあげませんよーだ。
「いいのいいの。……だから深癒は大人しくあたしに背後を取られなさい!」
「あぁっ! しまったっ!?」
「そーれ、こちょこちょ~!」
深癒にとっては本日二度目にくらう、渾身のくすぐり攻撃だ。そりゃもう素晴らしい技をお見舞いしようと張り切っていたんだけど……
「ひゃっ! ちょ、やめ……ふぁぁあぁっ!?」
「!?」
思わずビクッと体が固まってしまうほどの嬌声を深癒が上げたせいで、そんな悪戯心は遠く彼方に飛んでってしまった。いやぁ、ほんとにびっくりしたんだもん。
「あ、その……ごめん」
「はぁー……はぁー……うぅ……恥ずかしい」
あんな深癒の声、初めて聞いた。いや、親友の色っぽい声なんてそうそう聞くわけないか、当然。やりすぎちゃったんだよね、あたしが。
「こ、今度はちゃんとやるから。許して?」
「……次はないから」
すごい罪悪感に襲われたせいもあり、その後は普通に背中を流してあげた。もちろん、必要以上には触れないよう心がけて。
「よし、終わったよ」
「ん……許してあげる」
深癒の機嫌はまだイマイチだけど、何とか許してもらえてよかった。
「……さて」
深癒さんが何か企んでいる顔をしてあたしの方に振り向いた。ジト目気味のこの顔を深癒がするときは、大抵あたしにとって良くないことを目論んでるときだ。
「今度は私がユキを洗う番だね」
「あ、あのー、あたしはいいかなって……」
「拒否権があると思った?」
「……はい」
……復讐は憎しみしか生まないね、悲しい連鎖だわ、これ……なんて悟りっぽいものを開いてみたり。
深癒が想像してた以上にテクニシャンで、正直深癒よりも恥ずかしい目にあっちゃったような気がしないでもない。でも、それを言うともっとやり返されそうだから言えないんだけどね。お互いにてんやわんやしながら何とか身体を洗い終え、今はあたしたち二人少しきついながらも一緒に湯船に浸かっていた。
「ふぅ……身体に染み渡るわ~……」
「ユキ、おじさんみたい」
「うっさーい」
「ふふ」
ポチャンと水の跳ねる音だけが風呂場にこだまする。深癒もあたしも、いつの間にか一言も発することなく、静かなこの時間を味わっていた。そうしていれば、いつまでもこの時間が永遠に続いていくような、そんな気がした。
「……なんかさ、こうしてると子供の頃を思い出さない?」
静寂を破ったのは、深癒の方だった。止まっていた時間の針が動き出すのを感じた。
「そうね。昔はよく、どっちかの家に遊びに行っては、お風呂一緒に入ったりしてたもんね」
「そうそう。いつ頃からかな、私たちが別々に入るようになったの」
「そんなの、成長して恥ずかしくなったからじゃないの? 中学生くらい、とか。あんまし覚えてないんだー」
「私も。忘れてたときはそうでもなかったのに、思い出すとちょっと寂しくなるんだ」
「深癒が感傷に浸るなんて……のぼせた?」
「茶化すなよー」
「ごめんごめん」
最近はよく見る物憂げな表情だ。深癒には深癒で、何か思うところがあるのかもしれない。
「まあ、話を戻すとさ。そうやって、大人になるにつれてユキと段々離れていっちゃってさ。私、ほんとはすごく寂しかった」
「……うーん。でも、クラスは違ってもずっと同じ学校だったのに。大げさだなー」
「ユキは能天気だから」
「何よそれー!?」
心外だなー全く。あたしだって色々悩むことはたくさんあるってのに。深癒には負けるけど。
「子供の頃って、なんとなく相手の考えてることが分かったり、そんなことなかった?」
「なかった」
「即答っ!? ……まあ、ユキだからしょうがないか」
「……何か複雑な気分」
「それでさ、私はユキのことだったらなんとなく分かってたんだよ。大きくなるまではさ」
「……それもまた複雑……あたし、そんなに単純だった?」
「嬉しそうな顔してたら、夕食に好物が出るんだなーとか。嫌そうな顔してたら、宿題いっぱい出されたんだろうなーとか。そのくらい」
「うわ……顔に出すぎでしょ、子供のあたし。今も分かったりするの?」
「いや。今はもう、ユキがなに考えてるかなんて、分からなくなったよ」
「ふーん。あたしとしてはその方がいいけど」
「うん。それがきっと、大人になるってことなんだよ。でも、ユキが遠くに行っちゃうみたいで、私はちょっと嫌だったかな」
なんとなーくだけど、深癒の言う『寂しい』という感覚が、分かってきたような気がした。もしかしたら、その感情は深癒の感じてるものとは違うかもしれないけど。
「大丈夫よ、深癒。あたしは遠くに行ったりなんてしない。あたしはここにいるよ」
「……ユキ……! ――――ありがとう。私、少し安心できたよ」
「良かった。じゃあ、そろそろ上がろっか」
「うん」
たまには、寂しがり屋の深癒のために、一緒にお風呂に入ってあげるのもいいかな。
◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、電気消すわね」
「うん。ありがと」
前と同じように二人でベッドに入り、眠くなるまでしばらく雑談する。お風呂で温まった身体は、いい感じに眠気を誘ってくるわね。
「テストも終わって冬休みだし、どっか遠くまで遊びに行きたいね」
「冬休みかぁ。そういえば、もうすぐクリスマスだね。ユキは何か予定ある?」
「いんや、なんにも。今年も一人で寂しいクリスマスよ」
「そっか。……それならさ、私と一緒に街まで出かけない? エスコートするからさ」
「ほほう。奥手な深癒さんが、今日はやけに頑張りますなぁ」
「も、もう。これでも勇気出して言ってるんだから」
「うん、その勇気に免じてこのあたしが一緒に過ごしてあげよう! 恋人いない女二人で、侘しく騒いじゃおうか?」
「……そうだね」
深癒が何か言いたそうにしてたけど、ベッドの中の温かさと深癒の体温で眠りに誘われ、いつの間にかあたしは眠ってしまっていた。