萌芽3
「ねえ、深癒」
「なに、ユキ」
分からないところを教えてもらいつつ、ひたすら鉛筆をカリカリと動かし続けていたあたしだったが、そろそろ身体の限界を迎えようとしていた。
「ちょっと休憩……」
そう言いかけたときに、ぐうぅ~と腹の虫が小気味よく鳴いた。うわ、超恥ずかしい……
「あはは、可愛い音」
「ぐぬぬ」
深癒が子供相手のような優しい目で見てくる。何かすっごく悔しい!
「しょうがないじゃん、もう七時過ぎてるんだし!」
「あ、ほんとだ。それじゃあもう終わりにしようか」
「もう、全然遊べなかったじゃない! ……まあいいわ、後で付き合ってもらうから。とりあえずご飯作るけど、何かリクエストある?」
「うーん、そうだなぁ……カレーとか?」
「わざと簡単なのにしてるとかじゃないよね? 言っとくけど、あたしけっこう料理得意なのよ」
料理だけは深癒に勝てる自信がある。なんせ今日みたいに親が仕事で遅い日は自分で作って食べてるんだから、当然よね。おいしいご飯は活力の源だし。
「いや、カレーってさ、一見簡単だけど家ごとに少しずつ違ったりするじゃない。ルーの味とか、具の内容とか。だから、私としてはユキの作るカレーに興味があったり……」
「ほほう。つまり深癒さんはあたしの味を確かめたいと」
「な、なんかその言い方やだ」
深癒、ちょっと照れてる。ま、おふざけはこれくらいにして、そろそろ料理に取り掛かるとしますかね。カレー、結構時間食うし。
「じゃ、カレーに決定ね。あんたも手伝うこと、二人で作れば時間短縮よ!」
「分かった、やろう!」
かくして、あたしたち二人で絶品カレーを作ることになったのだった。
◇◇◇◇◇◇
「はふはふっ、おいしいっ! やるじゃないかユキっ!」
「ふふ。もう、そんながっつくと行儀悪いよ? カレーは逃げないんだしさ」
「おいしすぎるのがいけないんだよー」
あたしの忠告も聞かずにどんどんとカレーを平らげていく。そりゃあ、あたしとしてもそんな幸せそうに食べてもらえると嬉しいけどさ。今回は二人で協力して作ったわけだし。
「あ、この不恰好なジャガイモ、深癒でしょ~」
あたしの皿に入ってた大きなジャガイモをスプーンですくって見せた。深癒には野菜を切るのを手伝ってもらったんだけど、その包丁さばきはどこか危なっかしくて、途中で交代したんだった。
「う……ごめん。全然役に立てなくて……」
「初心者なんてこんなもんだから、気にしない! それよりも、おかわりもあるからたくさん食べなさいよ」
「……うんっ、じゃあおかわり!」
「はいはい~」
何かこうしてると夫婦みたい? いや、どっちかっつーとあたしが母親の親子か……?
そんなほのぼのとした夕食の時間を、あたしたちは過ごした。
「はあ~、こんなに食べたの久々だよ。満腹満腹」
「まさか全部平らげるとは思わなかったわ」
「え……ごめん、駄目だった?」
「ううん、そうじゃなくて。嬉しいの、それだけ気に入ってくれたってことでしょ?」
「もちろん。ユキの手料理だもん、私が残すわけないよ」
「な、なんか照れるぞ~! この、このぉ」
「ひゃうっ!?、ツンツンするな~っ」
深癒の言葉に動揺したのを悟られたくなくて、あたしは深癒いじりに徹した。思わず赤面しちゃうような甘い台詞を吐く深癒には、少しお仕置きしないとね。……ああ、恥ずかし。頬赤くなってるの、ばれてないよね?
「あ、しまった……」
「へ? 急にどしたの」
深癒が突然、しまったという感じの顔になる。
「ユキにエプロン着てもらえばよかった……家庭的なユキ、うん」
「ちょっ、何が『うん』か! 一人で納得しないでよ!」
夜中なのに関係なく騒がしいあたしたちだった。
◇◇◇◇◇◇
「ふぅ~……めっちゃ疲れた……」
一応お客様である深癒を先にお風呂に入れた後、あたしはゆっくりと一人のお風呂を満喫していた。湯船に身体を浸し、身体の芯まで温める。お湯に顔を沈ませて、ぶくぶくと泡を起こしてみたり。普段はそんなに長風呂しないんだけど、今日は珍しくしたい気分だった。
「深癒、何かはしゃいでたなー……」
あんなにテンションが高い深癒を見るのは久しぶりだった。学校ではもっと大人しいタイプだし。あたしの家に来てるからなのかな、だったらちょっと嬉しいかも。
「うぅ~……ぶくぶくぶく……」
なーんか、今日は深癒のことばっかり考えてた気がする。初めて告白されたのが女の子からだったり、ほんとに今日はびっくりすることが多かった。それでもやっぱり、思い浮かぶのは深癒だな。
「あんなに嬉しそうにご飯食べて……ふふ、子供かっつーの……」
だけど悪い気はしなかった。いつも一人で取っていた暗い夕食が、今日だけは輝いていたから。ある意味で、あたしは深癒に勇気付けられたのかも。
……そろそろ、上がろっかな。
「上がったわよ~って、あれ? いない」
さっきまでリビングで涼んでいた深癒がいなくなっていた。はて、あたしの部屋にでも行ったのかな?
「みーゆー」
階段を上って部屋へと向かう。扉は開いていて、思ったとおりそこに彼女はいた。
窓を開けて風に当たっているようだ。冬の風がお風呂から上がった直後の温かい身体を冷たく撫でる。
「ここにいたんだ」
「うん、ちょっと夜空が見たくなってさ」
「なになに、いつから深癒さんはロマンチストになったのかいなー?」
「そんなんじゃないよ、ただ……この街は明るくて」
「星は、見えないね」
うん、と深癒は寂しげに答えた。こんなときに、流れ星が奇跡みたいに煌いてくれたら、凄く素敵だと思うのに。現実はそんなに出来たもんじゃない。
「冷えちゃうよ。窓閉めよう?」
「うん、もう結構寒くなっちゃった。ユキ、温めて」
「ひゃうっ、冷た!」
「あはは」
深癒が冷え切った手であたしの手を包んできたせいで、変な声が出ちゃった。
「もう、いたずら禁止!」
「ごめんごめん、機嫌直して」
「へ? やぁあ……」
深癒が急にあたしの頭を優しく撫でてきてびっくりした。慈しむような顔はまるで赤ん坊をあやすお母さんのようで……
「って! 子ども扱いするな~!!」
「ふふ、ユキって面白すぎ」
あたしよりちょっと身長が高くてちょびっと大人っぽいからって、この余裕の差は一体何なの!? からかわれてるって分かってるのに、顔が火照って悔しすぎる、ぐぬぬぬ。
その後は二人でおしゃべりしたり、雑誌を一緒に読んだりしながらだらだらと時間を過ごし、気付いたら夜の一時を過ぎようとしていた。さすがに二人とも眠くなってきて、どちらとも言わず寝る支度を始めた。
「深癒、悪いけど布団で寝てもらえる? 今出すからさ」
「今から出すの大変じゃない? お布団重くない?」
「そんなにひ弱じゃないから、大丈夫よ。……それとも」
「な、なに?」
さっきからベッドの方をチラチラ見ていたから、なんとなく勘が囁いた通りに言ってみる。
「一緒に……寝る?」
「――――――――!!」
深癒ったら、顔真っ赤にして口をパクパクさせてる。どんだけ驚いているんだか、冗談だってのに……くふふ。
「なーんてね、冗談よ冗だ――――」
「よ、よろしくお願いします……」
「アレー?」
オッケーされちゃった。この展開は予想外だったわ。まあ、深癒だしいいか。
「じ、じゃあもうそろそろ寝ましょうか。明日も朝からいっぱい遊びに行くからね」
「そ、そうだね」
まずはあたしからベッドの中に潜りこみ、深癒に『おいでおいで』と手招きする。
深癒は恐る恐るといった感じで、するするとベッドの中に入ってきた。
「う、このベッド二人だと狭いかも」
「ごめん……やっぱり私――――」
「こうすれば大丈夫よ」
「あ、ユキ……」
身体を深癒の方へ向け、同じく深癒の身体もこちらへ向けさせる。二人で向かい合えば、横幅を取らない分狭くない。まあ、顔が近くて少し気恥ずかしいけど。
「えへへ、こうするとお互いがよく見えるわね」
「ユキ、ちょっと恥ずかしい……っ」
「なーに緊張してんのよ。女同士でしょ? それに、あたしたちの仲じゃない」
「そ、それでもさぁ」
「貸したパジャマ、とっても似合ってるわよ」
「なっ……! 急にそういうこと言うなバカ……」
「おー照れてる照れてる。ふっふっふ、さっきの借りは返したぜぃ」
深癒はすぐ感情が表に出やすいから、からかい甲斐があるなぁ。あんまりやるとこっちにも返ってくるんだけどね。
「あ、電気消すの忘れてた」
「……私が消すね」
「あっ」
深癒がベッドから這い出て、壁についてるスイッチを切った。たちまち部屋は暗闇に包まれ、あたしは一瞬だけこの部屋に一人ぼっちになってしまったように感じた。ベッドからなくなった深癒の体温の温かさも、それを助長させた。
「また失礼するね」
少しすると目は暗闇に慣れ、ベッドの中に戻ってくる深癒の姿がぼんやりと見えた。ほんの少しだけ、こっそり安堵した。
「おかえり」
「ただいま……くす、なにそれ」
「いや。何か、ね」
よく分からないけど、深癒といると心が安らぐというか、落ち着くというか。不安な気持ちが、すぐになくなっちゃうんだよねー。
「ねえ、深癒」
「ふふ。なに、ユキ?」
「あたしたちさ、ずっと友達でいられたらいいよね」
「――――――――!」
あたしの言葉に、深癒はちょっぴり息を呑んで、驚いたみたいだった。暗闇で表情は分からなくて、深癒がどんな顔をしてるかあたしには分からないけど。でも深癒は、答えを返してくれた。
「……うん。ずっと、友達でいよう」
「……うん」
二人だけの夜は、いつの間にかあたしたちを優しいまどろみに包み込み、静かに更けていった。