暴走
――――これから家に行くから。
そう簡潔にメールして、あたしは深癒の家へと向かった。メールの返事は来なかった。
普段はほんの数分で着く距離のはずなのに、一歩一歩を踏み出すのが重くて異様に遠く感じた。
ようやく見慣れた家の前に立つ。ここまで来といてなんだけど、すっごく緊張してる。心臓がどきどきして辛いぐらい。でも、行かなくちゃ。
チャイムを鳴らすと、深癒の声が答えてくれた。
「はい」
「あたしよ」
「……どうぞ」
ドアが開いて、深癒が姿を表した。昨日までは明るく健康的だった顔は少しやつれ、目元には泣いた跡らしきものがあった。……やっぱり、あたしのせいで。
「お邪魔します」
「部屋に上がってて。場所分かるよね」
「うん。大丈夫」
深癒はあたしを置いて台所へと向かった。いつもは居るはずのおばさんがいないのは気になるけど、することもないしとりあえず部屋に行っとこう。
さてと、これからどうすべきかな。深癒の気持ちは今どうなってるか、確かめないと。
そんなことをぼんやりと考えていたら、深癒がトレーにカップを二つ載せて運んできた。
「これ、紅茶だけどいい?」
「ありがと。結構好きよ」
「そう、よかった」
そこで会話が途切れてしまった。うぅ……話しかけづらい雰囲気だ。手持ち無沙汰に、深癒が入れてくれた紅茶を口にする。仄かに香る茶葉の香りが心をリラックスさせてくれる。その温かさで心身ともに安らいでいく。
「それ、もしかして」
深癒はあたしの持ってた袋を指差していった。深癒が自分で用意したものだから気づくのは当然か。
「うん。――――ちょっと悪いんだけど、後ろ向いててくれるかしら」
「え? ……分かった」
あたしは深癒がこっちを見ていないかを確認した後、そそくさと着替えを始めた。すぐ後ろには深癒が居るのに、あたしは今素肌を晒してる。衣擦れの音でさえ恥ずかしいくらいだけど、あたしがない頭を使って精一杯考えた答えのために、必要なことなんだ。
着替え終わったので、深癒に「もうこっち見ていいよ」と伝えた。
振り向いた深癒の表情は驚きに染まっていたけど、一瞬で複雑そうな顔に戻ってしまったのが残念だった。
「ユキ……着てくれたんだ」
「深癒が買ってくれた服だもん。最初は深癒に見せたかったの」
「ありがとう。すごく似合ってる、可愛いよ」
「と、当然! 感謝しなさいよねっ、こんな露出の高い服、深癒にしか見せないんだから!」
「くすっ、何かツンデレみたいになってるよ」
今日初めて深癒が笑ってくれた。良かった、ずっと落ち込んじゃってたら、どうすればいいのかもう分からなかっただろうから。よし、この調子で……!
「そ、それでね? 今日会いに来た理由なんだけど――――」
「……それ、聞かないとダメかな?」
「あ、深癒……震えてるの?」
その先の言葉を聞きたくないとでも言うように、深癒の身体は震えていた。冷静に考えて、今日あたしが会いに来たのは昨日の告白の答えを出すためだ。深癒にとっては、恋が実るか終わるかの瀬戸際だから。怖いんだ、誰だってこの瞬間は。
「あたし、深癒が勇気を出して告白してくれて、嬉しかった。けど、昨日は突然すぎてちょっとびっくりしちゃったんだ。……だから、逃げた」
「……ユキは、悪くない」
「いいや、それじゃあたしが納得出来ない。ちゃんと、謝らせて。逃げちゃってごめんなさい……だから、昨日のことをなかったことにしようなんて、言わないで……」
「ユキ……」
「それで……告白の答え……なんだけ、ど……」
あ、あれ。どうしたんだろ。何か急激に身体がだるくなって、頭がぼんやりしてきて……それに、もの凄く眠たい……眠気が襲ってきた。
あ……ダメだ……立ってられないや。なんでこんな、急に……
不意に訪れた睡魔に、あたしは為すすべなく落ちていった。
「……私だって、臆病なんだよ。こうするしか、ないんだ」
◇◇◇◇◇◇
「ふみゅ……ふぁあ~……あれ、ここどこ……?」
目の前に広がるのは深癒の部屋の天井だ。確か深癒の家に来てて……あたし、いつ横になったんだっけ?
「おはよう、ユキ」
「あ、深癒。おはよ~……え?」
今さらその不自然さに気付いたけど、あたしはすごい体勢でベッドに寝かされていた。両手が頭の後ろで縛られて、さらにベッドにくくりつけられて身動きが……って、縛られ? 一体なんで?
「ちょっ、ちょっと深癒っ! どうなってるの!?」
何が何だか分からない。きっと今のあたしの顔を鏡で見たらさぞや間抜けな表情を晒していただろう。対して、深癒の方は動揺一つ見せず冷静そのもの……いや、正確に言うと、まるで感情が抜け落ちてしまったかのような、生気のない虚ろな瞳でこっちを見つめていた。
一瞬、背筋にぞくりと悪寒が走る。
「み、深癒さーん……?」
「――――これは、私の我が儘なんだよ、ユキ」
「我が儘……?」
やっと口を開いてくれた深癒から出てきたのは、意外な言葉だった。
「そう。ユキを独占したい……誰にも渡したくないって我が儘」
「う……」
面と向かってそういうこと言われると、異常な状況なのにも関わらず照れてしまうのが情けない。どんだけ節操ないんだ、あたしは。
「……周りのみんなのユキを見る目が変わっていって、私は怖くなったんだ。ユキが誰かに取られてしまうんじゃないかって。私は、子供のときから片思いしてたのにさ」
「子供のときからって……」
あたしは随分長い間、深癒を苦しめていたのかもしれない。
「だから、わざわざユキから来てくれて有り難かったよ。おかげで手間が省けた」
「手間……?」
「ああ、もう動けないだろ。この冬休み中、ユキはここから外に出られない。私もずっと一緒。つまりそういうこと」
「な、なによそれ……意味分かんない……!」
「分からなくていい。どうせ逃げられないし」
「お、親があたしのこと捜すわよ! 何日も帰らなかったらっ」
「ユキのケータイで連絡してある。それっぽく、友達の家に泊まりに行くってね」
「よ、用意周到ね……でも深癒の親には絶対ばれるわよ」
「言ってなかったっけ? 今北海道に夫婦水入らずで旅行に行ってるんだ。しばらく帰ってこないよ」
「な、なんてご都合展開……」
やばい、まさか深癒がここまで思い詰めてたなんて……これじゃ告白の返事どころの話じゃなくなっちゃうよ……
「まあ、そういうわけだから。覚悟しててね。この休み中に、私なしじゃダメにしてあげるから……」
深癒が、あのいい子な深癒が、病んでしまった――――




