第四話 エルフの里
魔針は赤い方が北らしい。
ネフィルさんの村へと向かう道中、俺は彼女に呆れられてしまっていた。南へ向かったはずが正反対の北へ向かっていたのだから、どおりでおかしな場所へ着くわけである。旅を始めて早々、うっかり無駄足を踏んでしまった。けど結果的にネフィルさんと会えたのだから、まあいっか。
静かな森の道をネフィルさんに連れられて歩くことニ時間ほど。遥か視線の先にバカでっかい樹が見えてきた。周囲に生えている巨木の軽く数十倍は高さがあり、てっぺんのあたりに月がかかっていた。そのあまりの大きさのために、近づいても近づいても樹にちっとも近づいた気がしない。
「あれが精霊樹だ。村は近いぞ」
「でっけー樹だなあ! 倒れたりしないのか?」
「まさか。学者の話によると、三万年ぐらい前にはもう立っていたらしいぞ」
「へえ……! すっげーな!」
雲より高い位置にある精霊樹のてっぺんを眺めながら、俺はため息をついた。世の中って広いな、魔王城の周辺なら木ってものすら珍しいのに。山よりでかい木があるなんて。この先にあるというネフィルの村に俄然興味がわいてきた俺は、少しだけど歩を速める。
そうしてさらに二十分ほど歩くと、木の根元のあたりに丸っこい家が建ち並んでいるのが見えてくる。山で言うと裾野に当たるような部分に、コーヒーカップみたいな形の小屋がパラパラと二十軒ほど建っているのだ。さらにそれを背の低い柵が取り囲んでいる。どうやらあれが、ネフィルの村の様だ。
「あれが村か?」
「そうだ。我ら森エルフの里へようこそ」
「やったー! さ、飯食べさせてくれよ! 早く早く!!」
廃墟を出るときに「少し遠いから食べておけ」と言われて味気ない保存食を食べてはいたが、もうすっかりお腹ぺこぺこだ。ちょっと前からグーグー腹の虫が鳴いている。このままじゃ腹が減って死んじまうぞ!
服の裾をつかんでせがむ俺を見て、ネフィルさんは思わず苦笑した。彼女は今にも村に向かって飛び出していこうとする俺の肩をつかむと、俺の顔をじっと見据える。
「そう焦るな、ちゃんと飯は食べさせてやる。その前に、少し私の話を聞いてくれ」
「なんだ? 早くしてくれ。腹減って死にそうなんだ!」
「はいはい、早くするから。まず村の中では私の指示に従ってくれ。いろいろと決まりが多い村なのでな」
「わかったわかった、次は?」
「村の女に対して、絶対に胸が小さいとか言うな。エルフの女には禁句だからな、いいか?」
ネフィルさんは眉をひそめると、少し怖い顔をした。そういえば、さっき俺が「胸なさすぎる」って言った時も、ネフィルさんは凄い声上げてたからな。おかげであの後、しばらく耳が聞こえなかったぐらいだ。おまけに全然痛くはなかったけど一発殴られたし。
こっちへ来る途中にもネフィルさんは「そんなに小さいわけないんだがなあ……」とか「90ぐらいはあったはずだが……」ってつぶやきながら、胸を見てること多かった。女にとっては、胸が大きいということはよっぽど重要なのかもしれない。ないと男と区別がつかなくて不便だしな。
「ん、わかった。言わないようにする」
「気をつけてくれよ。ディーノはぽろって口を滑らせそうだからな」
「大丈夫だ! 俺の口は貝よりかてえぞ!」
歯ぐきをむき出しにすると、ガッチンと俺は歯を鳴らした。ネフィルさんはにわかに額に手を当てると、不安げな顔をする。しかし、彼女はすぐに気を取り直すと俺の手を握った。
「……くれぐれも言うんじゃないぞ。さ、村の中へ入ろう。私についてきてくれ」
「うん! 食うぞー!」
歩き始めるとすぐに、村の入口が見えてきた。柵の切れ目に当たる部分に小さな門があって、その脇に若い門番さんが二人並んで立っている。少し遅い時間のせいか、彼らの眼は細くなっていて今にも閉じてしまいそうだった。しかし、俺たちの姿に気付いた途端、姿勢を正して見事なまでの敬礼をする。
「ネフィルさん、おかえりなさい!」
「御苦労。長老様や族長様たちに伝えてくれ。救世主様がこのとおり見つかった」
ネフィルさんはそういうと、俺の肩をぽんと叩いた。あれ、俺いつの間に救世主様になんてなったんだ?
俺はおおっと声をあげて盛り上がる門番さんたちに戸惑いながらも、彼女に抗議する。
「ネフィル、俺は別に救世主なんかじゃ……」
信じられないような速さで、白い手が俺の口を押さえた。ネフィルはそのまま俺の方へ顔を寄せると、そっと耳打ちしてくる。
「静かに。私の指示に従ってくれと言っただろう? 大丈夫、飯は死ぬほど食わせてやるから。な?」
「……わかったよう、その代わり飯はしっかり食べさせてくれよ」
「約束する。エルフの約束は絶対だ、安心しろ」
「あの、ネフィル様? いま救世主なんかじゃないって聞こえたような気が……」
俺たちのやり取りを見ていた門番さんが、不審そうな顔をしてそういった。するとネフィルさんはごまかすようにァハハッと笑うと、俺から素早く離れて言い訳を開始する。
「いや、救世主様はなにぶん謙虚なお方でな。だが、間違いなくこのお方は救世主様だ。私が言うのだから間違いないだろう」
「はあ、確かにそうですね……。疑って申し訳ありませんでした。すぐに長老様たちに連絡して参ります」
「頼んだぞ。私はこれからミミズク亭に行って救世主様にご馳走するから、そちらへ来て貰ってくれ」
「では、そのように」
門番さんたちは村の奥へ向かって走り去って行った。やがてその背中が見えなくなってしまうと、ネフィルさんが俺の手を引っ張る。
「よーし、これから村一番の料理屋へ連れて行ってやるぞ!」
「やったー!」
ネフィルさんについて村を西へ歩いていくと、やがて周囲の建物とは大きく趣の違う建物が見えてきた。他の建物より一回り大きなそれは、地上へ飛びだした精霊樹の根っこをくりぬいて造ったらしく、でっかい切り株のような一風変わった外観である。その玄関の部分には「ミミズク亭」と看板が掲げられていて、窓からは煌々と光が漏れている。
「親父、私だ」
「ネフィルちゃんじゃねえか! 帰ってきたのか!」
ネフィルさんがドアを押しあけると、中から景気のいい声が聞こえてきた。ついでに、思わず鼻をひくつかせたくなるほど良い匂いが漂ってくる。野菜の少し甘い匂いに、香ばしいコンソメ。さらにわずかだけどお肉の匂いもする!
「苦労したがなんとかな。それより、この子に何か食べさせてやってくれ。死ぬほど腹が減ってるらしいから、できるだけたくさん頼む」
「まかせな! うめェ料理を腹が破裂するぐらい用意してやらァ!」
カウンターに立っていたおじさんは、腕まくりをするとニッとウインクした。そして物凄い早業で料理を用意していく。俺はカウンターにちょこんと腰かけて、料理の完成を待った。するとその横にネフィルさんが腰かけてくる。
「さ、私のおごりだ。好きなだけ食べろ。金なら心配しなくていいぞ、こう見えてたくさん持ってるからな」
「うん!」
やがて俺の目の前に出来上がった料理が次々と運ばれてきた。お肉があんまり使われてないのがちょっぴり残念だが、どの料理もうまそうだ。俺はそれをガンガン口に突っ込んでいく。そして三十分ほどが過ぎた時には――。
「な、なあ。そろそろ食べるのをやめたらどうだ? あんまり喰い過ぎると身体に悪いというぞ? な?」
ネフィルさんは顔を真っ青にして、額から汗を滝のように流していた。