第二話 大森林
眼が覚めると、そこは深い深い森の中だった。
城の塔を思わせるような巨木が鬱蒼と茂っていて、緑が天をすっかり覆ってしまっている。空気はひんやりと湿っていて、あたりはうす暗かった。そんな森に小さな石の祭壇があり、そこに刻まれた魔法陣の上で俺はいつの間にか横たわっていた。
「ん……着いたか!」
石に横たわっていたせいか、背中がちょっぴり痛かった。肩をコキコキと鳴らしながら、ゆっくりと起き上がる。そうして視線を上げると、目の前には荷物を満載したナップザックがあった。餞別も加わったせいで今にも弾けてしまいそうなその上に、小さな紙切れが落ちている。魔王城を出た時にはなかったはずのものだった。
「なんだこれ? じっちゃんからだ」
四つ折りにされた紙の一番外側には『出かける前に読むこと 魔王より』と書かれていた。なんだろう。俺はすぐに折り目を開いた。
『ディーノへ。
これを読んでいる時、そなたは中央大陸の北端に広がる大森林にいることであろう。そなたがやらねばならぬことはいくつかあるが、まずはその森を出ることだ。魔針を使って、今いる祭壇からまっすぐ南へ歩け。二日ほども歩けば森を抜け、街へ着くことができるはずじゃ。
街へ着いたら、ハンター協会というところに登録するが良い。諸国を旅する時の身分証明として、ここでもらえる登録証が大いに役立つことであろう。また、路銀はそれなりに持たせてはいるがもし足りなくなったらここで稼ぐと良い。
ある程度落ちついたら、大陸中央の光の国を目指せ。ここから先のことは追って、烏丸を連絡用にやるので後日確認すべし。
なお、中央大陸では魔族やわしのことについては一切禁句だ。そのことには十分注意するように。では、そなたの健闘を祈る』
紙を再び折りたたんで、ナップザックのポケットへと突っ込んだ。そしてついでに中をまさぐると、丸っこい形をしたケースに入った魔針を取り出す。
魔針というのは、魔力を帯びた細い針を水の中に浮かべたものだ。大地の魔力というのは常に南から北へ流れるから、それを針で探ることによって方角がわかる。俺はケースを手のひらに乗せると、水面に浮かぶ針の動きを眺めた。だが、ここでふっと気付く。
「そういえばこれ、どっちが北なんだっけ?」
魔針の針は細いひし形をしていて、真ん中を境に赤と青にそれぞれ塗り分けられていた。赤い方が北を指すのか、それとも青い方なのか。渡してもらった時に宰相さんから詳しい使い方を聞くのを、俺はすっかり忘れてしまっていた。宰相さんの方も、そんなこともうすでに知ってると思ってたんだろう。
「……仕方ない、これで決めるか!」
近くに落ちていた木の枝の中から、できるだけまっすぐなものを拾ってくると、それを垂直に地面に立てた。そしてその横に魔針を置き、枝を押さえている手を離す。すると枝は魔針の青い方が指す方角へとまっすぐに倒れて行った。カランカランと軽い音が響く。
「こっちが北だな。ということは、南は反対側か」
俺は魔針を改めて手にすると、その針の赤い方が指し示す『南の方角』をすっと見据えた。鬱蒼と木々が茂る森の奥は、薄闇に覆われていてほんの少し先でさえほとんど見えない。俺は始めてみる深い森にワクワクしながら、祭壇を降りて初めの一歩を踏み出した――。
数時間後、俺は深い森の中をゆっくりと歩いていた。落ち葉の降り積もった地面は絨毯のようにふかふかで、歩くたびに靴が沈んで心地よい。さらにこの森は信じられないことに空気が美味かった。なんというか、吸うたびにハーブのようなさわやかな香りがするのだ。どこか鉄臭いような感じがした魔王城の空気とは、やはりどこかが違う。
「ハアァ、うんめー! やっぱ中央大陸はすげーな! 空気が美味いなんて初めて知ったぞ!」
思わず足を止めて、大きく深呼吸をする。肺いっぱいに満ちる空気がとても気持ちいい。自然と足取りも軽くなり、俺はずんずんと森を突き進んでいく。そしてある程度まで進んだところで、奇妙な感触を覚えた。何か膜のようなものが進もうとする俺の身体を弾くのだ。
「なんだこれ?」
強く手を押しこめば、それだけ強い反発があった。
透明なシャボンのようなそれは意外なほど頑丈で、力にものを言わせて強行突破しようとするが、足場が柔らかいためなかなかうまくいかない。
とっさに腰へ手を伸ばすと、団長から貰った剣があった。もしかするとこれなら、この邪魔な膜を切り裂くことができるかもしれない。俺は右手でしっかりと柄を握りしめ、一気に鞘から抜き放った。白銀の刃が透明な膜を袈裟に斬る。
「うおッ!?」
走り抜けた電光。
バチバチッと小さい雷のような音が響き、周囲の風景が白く瞬く。俺は何が起きたのかと思ってとっさに距離をとったが、それ以上は特に何も起きなかった。一体、なんだったんだ。俺はゆっくりゆっくりと右足を出し、膜のあった当たりを踏み越えてみた。すると今度は何の抵抗もなくそこを通り抜けることができた。
「変なとこだなぁ……」
膜のあった場所を振り返りつつも、ゆっくりとその場を立ち去った俺。
そうしてさらに数時間後。そろそろ日も傾きかけた頃になって、急に木々の密度がまばらになってきた。もしかして、もう街に着いたのか? 予定より遥かに早いのだけど……。
俺は森を抜けたかどうか確認するべく一気に駆けだした。すると、瞬く間に木々が途切れて目の前に広大な都市の姿が見えてくる。連なる巨大な石塔に、城を思わせる強固な城壁。それらが整然と立ち並ぶ姿は神秘的で、魔王城にも匹敵する雄大さだった。だが――。
「あれ、誰も居なくね? というか……廃墟?」