9.皇子様の憂鬱
魔族のデュース側から見たお話です。
「お帰りなさいませ、デュース殿下」
魔法陣の光と共に現れた魔族の青年を、薄茶色の髪の少女が出迎えた。
ここは魔族国ラベンデイアの王城の一室。
第一皇子デュース・ラベンドの執務室である。
「ああ、ただいまヘーゼル。何か変わったことはないかい?」
「はい。特には。あ、クッキーどうでした? 大丈夫だったでしょうか」
少し不安げに尋ねてくる少女に、デュースは笑顔を返す。
「おかげさまで、かなり好評だったよ。ありがとう」
「そうですか! 気に入って頂けて良かったです~」
ハシバミ色の薄茶の瞳を輝かせて、ヘーゼルは微笑んだ。
皇子付きの侍女である彼女は、今も女官用の紺のドレスを身に着けている。
年齢はデュースよりひとつ下の十八才なのだが、小柄で童顔なせいか年齢相応の容姿にはとても見えない。
「……次の託宣は?」
「いいえ。今のところ何もありません」
ヘーゼルは首を振った。それに合わせて三つ編みに結われた髪も一緒に揺れる。
彼女の少し尖った耳の上には、魔族の証である銀色の角が覗いていた。
「そうか。引き続き頼むよ。もう遅いから下がりなさい」
「はい。デュース様も、ちゃんとお休みになって下さいね」
失礼いたします、と一礼してヘーゼルは退室した。
ヘーゼルは腕のいい占星術師で、そのお告げ――『託宣』により、デュースは勇者候補たちと接触を図ることを決意したのだ。
五十年前の魔神封印後、予言の精度は落ちたとはいえ、託宣はこの国にとって重要な役割を果たしている。
デュースは執務室の椅子に腰掛け、机の上の書類に目を通した。
今回の勇者たちとの会談の内容を詳しく報告しなければならない。勇者と会うことにいい顔をしない母は怒りをあらわにするだろう、とデュースは渋面になる。
前回うっかりと正直に『一緒に昼食をとった』と報告書に書いたところ、馴れ合いすぎだと母に注意されたのだ。
今回の報告は、上手くごまかさなければならない。
(やれやれ、次から次へと問題が山積みだな……)
魔族の皇子は、深く嘆息した。
この国は少しずつ衰退している。五十年前の戦争終結後、大地神の結界によりラベンデイアは外界と隔絶され、入出国が不可能となっていた。大陸の南にある魔族国は温暖で気候が良く、今のところ何とか結界の中でも自給自足できている。
しかし閉じられた国はこれ以上の発展を望めず、先細りする一方である。戦争前までは、数は少ないが人間の国と交易を行い、商業が栄えていたのだ。
また、魔族の中には今の生活に不満を訴える者もいる。
結界の中で虜囚のような扱いを受ける現状に対し、反発するのは当然のことだ。
だが忌み嫌われるその結界により、この国は守られているとも言える。
停戦条約が締結されたとはいえ、報復を受ける可能性もあるからだ。
現在、皇子であるデュースにとっては国を守ることが第一であった。
なんとしてでも、予言された魔神戦争の再来を防がねばならない。
そのため、結界の外に出るという危険な仕事も自ら引き受けた。もちろん反対されたが、デュースの他に転移魔法を使える者はおらず、ようやく許可が下りた。
それは王家の血を引き、半分は妖精族でもあるデュースだから可能なことだ。
幼い頃より他者との外見の違いに引け目を感じていた青年は、初めて自分の能力に感謝したのだった。
デュースは机に頬杖をついた。
長く尖った耳の上に手が触れるが、指は素通りして髪を梳くばかりである。
そう、デュースには魔族の証である、銀の角がないのだ。耳も魔族のそれより長く、デュースの容姿は妖精族に近い。そのため皇子だとは認めないという意見の者もいる。
現在の魔王が妖精族だという事にも、未だに反対派がいるのが現実だ。
(父上も、さぞかし苦労されたのだろうな……)
あまり会えない父のことを思い、デュースは目を伏せた。
現在の魔王、つまりデュースの父親は病気で療養中だ。
国の事は、代理としてデュースの母、王妃リザリンダが取り仕切っている。
ここラベンデイアでは、王位継承権は男子にのみ与えられる。それゆえ、先代魔王の一人娘である母はデュースを『完璧な皇子』として厳しく育てたのだ。
「完璧、か」
デュースは我知らず呟いた。ふと、今日の出来事を思い出す。
一体、どこが完璧な皇子なんだ、とデュースは頭を抱えた。
いくら苦手だとはいえ、小さな魔物を見て悲鳴を上げ、気を失ってしまった。
次期魔王としてありえない、とんでもない失態である。
そのうえフォンドにもう一つの秘密を言い当てられそうになり、デュースは終わったと覚悟した。結局は少年の勘違いだったのだが、いつまた秘密がばれそうになるのかと思うと不安で仕方がない。
この十九年、よく周りに隠し通せてきたものだと我ながらデュースは感心した。
こんな秘密を抱えていては、勇者候補との旅にも支障をきたすかもしれない。
何より、彼らに嘘をついている事に対し、ひどく心苦しい気持ちになる。
(……機会があれば、自分の口から、はっきりと言うべきだ)
デュースは決意した。フォンドたちには真実を話す、と。
そう、この青年――デュース・ラベンドは皇子ではない。皇女なのである。
* * *
翌朝、デュースは報告書を持ち、王妃である母のもとを訪れていた。
母リザリンダは、若い頃はラベンデイアの宝石と謳われるほどの美女であった。
それから二十年近く経った今でも、充分美しい容姿をしている。
その血を引くデュースも、母とよく似た面立ちをしていた。
王妃は自室で執務机に向かっていた。提出された書類を一瞥し、冷たく告げる。
「で、何なの? この報告内容は。ふざけているにも程があります!」
「……」
リザリンダに力いっぱい否定され、デュースは沈黙した。
一晩かけてやっとの事で書き上げたのに、あんまりな酷評である。
以下は、デュースが書いた、昨日の勇者候補との会談内容だ。
・正午。勇者の祠にて待ち合わせ
・午後三時。会談開始。今回は昼食なし
・午後五時。解散
(明後日、マホガニー地方へ出張予定が入りました)
「何ですか、この短さは! 確かに前の報告書は長すぎたから、次は簡潔に書けと言いましたが。これでは何が起きたのか理解できません! もっと正確かつ完璧に書きなさい」
リザリンダは赤紫の瞳でデュースをキッと睨みつけた。苛立ったように珊瑚色の髪に手をやり、明らかに怒っている。
デュースはうなだれて、すみません、と謝るしかなかった。
やはりこの報告書は失敗作だった、とデュースは後悔した。
事実を書いてはまずいと思い、削りに削ったところ箇条書き文章と化したのだ。
そのうえ、肝心の会談内容にはほぼ触れていないというスルーぶりである。
「か、書き直して参ります。しばらくお待ち下さい、母上」
いたたまれずに部屋を出ていくデュースに、
「三十分です。迅速になさい!」
リザリンダの低い声が追い打ちをかけたのだった。
自分の執務室へと急ぐデュースは、かなりあせっていた。
廊下ですれ違う侍女や臣下が、ひた走る皇子の姿を驚きの表情で見ている。
デュースは恐怖していた。
母の口癖は『正確、迅速、完璧に!』だ。守らないと後で大変なことになる。
デュースがスライム嫌いになったのも、母の行き過ぎた教育指導が原因なのだ。
重苦しい気持ちで、デュースは自分の執務室の扉を勢いよく開ける。
「お早うございます、デュース殿下。そんなに慌てて、どうされました~?」
見ると、侍女のヘーゼルが部屋の掃除をしてくれている。
デュースはため息をつきながら言った。
「大変な事になったよ。報告書を書き直さなければならないんだ、三十分で」
「まあ。それは大変ですね。はい、どうぞ」
薄茶色の髪の少女はそう言って、デュースに一枚の紙を手渡す。
「これは……」
デュースは瞠目した。これは報告書だ。読み進めていくとその完成度に驚いた。
しかも大筋は正確な出来事を書きつつも、上手い具合に真実をぼかしており、事実を書きたくないデュースにとっては都合のよい内容だった。
「差し出がましいと思いましたが、デュース様の書き損じになられた書類を、さきほど勝手にまとめてみました。少し改変しましたけど~」
晴れやかな笑顔でヘーゼルはそう告げた。普通なら皇子の私物を勝手に見るなど許されないだろうが、ヘーゼルは昔からの友人であり相談相手でもあるので、デュースは問題にしなかった。
「書き損じ……ああ、確かに何回か書き直したが、それがこんな風になるのか」
デュースは信じられないといった口調で呟く。あの書き損じは冗長なばかりで、意味の通らない文章だったはずだ。推敲したらやたらと短くなったが。
「前回、王妃様がお怒りになられたと聞きました。ですからお役に立てればと思いまして。私はデュース様の文章好きですよ~。とても正直に事実と感想を書いていらっしゃいますもの」
「本当にありがとう、ヘーゼル。これなら母上も納得して下さるだろう」
友人に感謝しつつ、デュースは再び王妃のもとへ向かったのだった。
* * *
その報告書は、リザリンダに合格だと認められた。
しかし筆跡が違うとのツッコミを受け、デュースは徹夜明けで疲れたためヘーゼルに代筆を頼んだ、と咄嗟にごまかす。
リザリンダは訝しんでいたが、おおむね満足そうではあった。
「それで、この魔物の正体は何だったのかしら、デュース」
「私が駆け付けた際にはもう姿を消していまして。結局のところ、不明です」
「そう。ならば仕方ありません。でもいずれは調査が必要でしょうね」
「はい、調べておきます」
やっと母の機嫌も良くなったようで、デュースは安堵した。
出てきた魔物がスライムで、しかも気絶したなど、口が裂けても言えやしない。
ヘーゼルの報告書では、勇者候補だけが魔物と遭遇したことになっていた。
人里の近くに魔物が出た事実は報告すべきことであったので、実にいい考えである。
リザリンダは報告書に再度目を通し、話を続ける。
「マホガニーの魔神の封印が狙われたのですか。ヘーゼルの託宣どおり五十年前の魔神戦争の再来が迫っているのですね。……ああ、わたくしが結界の外に出られさえすれば」
「母上……」
デュースはリザリンダの心情を慮った。
この国で外に出られるのはデュースだけだ。現状を傍観することしか出来ない母は、きっと歯がゆい思いをしているに違いない。
「わたくしが結界の外に出られさえすれば、魔神をさっさと復活させますのに」
「母上ェーー!?」
デュースは大声を上げた。何か今、すごい爆弾発言を聞いてしまった気がする。
魔神戦争の再来、および魔神復活を阻止するために自分たちは必死になっているのだ。その魔神を復活させるなど、とんでもない本末転倒である。
取り乱すデュースに、リザリンダはにこやかな微笑みを向けた。
「あら、冗談ですよ。ウフフ」
「ほ、本当ですか?」
自分の母親ながら信用ならない人だ、とデュースはこっそり思った。
その後、デュースはこれからの予定を簡単に王妃に説明した。
明日は勇者候補たちとマホガニーへ旅立つ日である。今から部屋に帰り、準備を整えなければならない。
「朝早く出発いたしますので、見送りは不要です。そろそろ失礼させて頂きます」
デュースが退出を申し出ると、リザリンダは静かに椅子から立ち上がった。
「では、デュース。正確、迅速、完璧に行動なさい。あと、くれぐれも勇者候補とは必要以上に馴れ合わないこと。よろしいですね?」
「はい、承知しました」
リザリンダの言い付けに、デュースは素直にうなずいた。
五十年前の戦争で亡くなった先々代魔王の孫であるリザリンダは、当然ながら勇者を毛嫌いしているようだ。
彼ら三人と仲良くなってしまったデュースは、複雑な気持ちになった。
部屋を出る間際、デュースは振り返ってリザリンダに尋ねる。
「母上。あの……父上は」
「あの方は、相変わらず体調が優れないようです。でも貴方のことを話したら、とても心配しておられましたよ。結界の外へ行くのは、なるべくやめてほしいと」
「そうですか……」
デュースは寂しげな顔をした。
父である魔王フィザーロは現在病気のため療養中だ。娘のデュースでさえ、滅多に面会させてもらえない。最後に話をしたのは、二か月ほど前である。
「それでは行って参ります。父上にもよろしくお伝え下さい」
「ええ、折を見て伝えておきますよ。貴方も体には気を付けなさい」
「はい。ありがとうございます」
深く頭を下げ、デュースは部屋の扉をそっと閉めた。
デュースは廊下の窓から外を眺めた。城を囲む湖の対岸には城下街が見える。
戦後五十年経って復興したとはいえ、民の暮らしはそこまで豊かではなかった。
魔神封印後、それまでの魔力に頼った生活は一変し、魔族たちは不便な日常生活を強いられている。灯りをつけるだけでも、補助用の道具が必要なのだ。
結界の張られた国境付近は今でも戦争の爪痕を残し、不毛の地となっている。
あのような惨劇を再び引き起こしてはならない、とデュースは固く心に誓った。
(私は前に進まねばならない。この国を守るため……そして父上を救うためにも)
デュースが完璧な皇子になれるよう努力しているのは、父のためでもあった。
自分が次の魔王になりさえすれば、父は魔王の座から解放され、元気になってくれるのではないか。そんな淡い期待を抱きデュースは男のふりを続けているのだ。
デュースが女である事は厳守すべき秘密だが、フォンドたちには本当の事を話そうとデュースは決めていた。
(きっと、あの勇者候補たちなら――真実を打ち明けても大丈夫だろう)
明るく元気な少年少女を思い浮かべる。彼らなら自分が女だと知っても変わらずに接してくれるはずだ、とデュースは確信していた。
まだ会って一週間ほどだが、彼らのことは信用するに足る人物だと思っている。
まあ、一人だけ非常識なことを言う少年もいるが、とデュースは苦笑した。
王女誘拐を魔王に依頼する勇者など、前代未聞である。
だが彼がスライムを倒し、デュースを救ったのは紛れもない事実だ。
そのうえフォンドは、スライムが苦手な事を他の皆には知られないように取り計らってくれた。
嘘はつきたくないが正直恥ずかしい秘密だったので、デュースは少年の心配りをありがたく感じていた。それに対する礼の意味も込めて、フォンドに護符を贈ったのである。
「明日は……遅れないようにしなければな」
ラベンデイアでは遥か昔、帝政を敷いていた時代があった。
その頃の名残りで第一王子は『皇子』と呼ばれている。次期王位継承者のみに与えられる尊い称号である。
皇子の称号を持つ青年は、春風に長い銀髪をなびかせ、前へ向かい歩き出したのだった。