6.フォンドの初対戦!
「デュースっ! オレと勝負しろ!」
「フッ……まだ懲りていないのかい? キミは」
激しい風が吹き抜ける草原。曇った空は昼間とは思えぬほどに薄暗い。
そこで二人の人物が対峙していた。
ひとりは、大きな剣を手にして黄金色の鎧を纏っている黒髪の少年。
もうひとりは、銀の長髪と黒い外套をなびかせる魔族の青年。
銀髪の青年は呆れた様子で肩をすくめてみせた。
「フォンド君、私にはキミと戦う理由など無いのだが」
「うるせえ。こっちは理由が大アリなんだよ。オレは勇者だ。平和のために魔王であるお前を倒す義務があるっ!」
剣の柄を握りしめ、フォンドは揺るぎない信念を込めて言い放つ。
姿勢を正し、デュースは少年に向き直った。
「ほう、立派な志だな。さすがは選ばれし者といったところか」
宿敵からの賛辞に、フォンドはふっと笑って自らの夢を語る。
「まあな。これからお前を倒し、地位と名声を手に入れて可愛い姫さんと結婚して国王になって、ゆくゆくは世界征服するつもりだぜ!」
「本当に勇者なのかい、キミは!」
デュースは思わずツッコミを入れた。
世界征服が最終目的の勇者など、悪い魔王と同レベルである。
「つーことで、オレの野望のために悪は滅びるべし! 正義は勝つっ!」
「どんな正義なんだ。……どうやら私の話は聞いてくれそうにないか」
これ以上の説得を諦めたのか、デュースは短く息を吐いた。
「いいだろう。このデュース・ラベンドがお相手をしよう。だが、私とて魔族の端くれ。そう簡単にキミに負けるわけにはいかない」
デュースは素早い動作で腰の細剣を抜き放ち、片手で構える。口元は微笑んでいるが、その眼差しは真剣そのものであった。
「さあ。いつでもかかって来たまえ」
「…………」
距離をとったまま、二人は睨み合う。
だが、フォンドは言葉を発さず微動だにしなかった。
沈黙の中、吹きすさぶ風の音だけが広い草原に響き渡る。
痺れを切らしたデュースが問いかけてきた。
「どうした、フォンド君」
(どうなってるんだ。なんか足が震えるし、体が動かねえぞ)
内心であせりながら、フォンドは精一杯の虚勢を張る。
「ま、待ったは無しだぜ。でも、やめるんなら今のうちだからな!」
「なるほど。――キミは、本当は弱いのではないか?」
「……だ、誰がだっ」
反論するフォンドを魔族の青年は氷のごとく冷たい瞳で見下ろした。
「フン。そんな無力な人間が勇者であるはずがないな。ならば、今ここで私が引導を渡してくれよう。覚悟するがいい! クックック」
「おい、なんで急に魔王らしくなってんだよ!」
フォンドのツッコミにも構わず、デュースは細剣を振り上げた。
「問答無用!」
「うわぁぁぁっ!!」
自らの上げた絶叫を聞きながら、フォンドの意識は闇に呑み込まれていった。
* * *
「う~ん。オレは弱くない、弱くない……あれ?」
自分のうわ言で目を覚まし、フォンドは慌てて身体を起こした。
見慣れた天井の、朝日の差し込むベッドの上。フォンドの家の自室である。
「ふぅ。なんだ、夢だったのか。びっくりしたぜ」
フォンドは額の汗をぬぐい、ほっと息をつく。まだ勇者として覚醒もしていないのに魔王に負けるなど、悪夢でしかない。
二度寝しようと横になったフォンドは、ふと大事なことを思い出す。
(そういや今日はデュースと会う日だっけ。仕方ねえ、早起きするか)
のろのろと起き上がり、少年は服を着替え始める。
デュースと出会ってから三日後の朝のことであった。
先日、王都に帰還したフォンドは、勇者の祠には異変なしと報告した。
もちろん先代勇者の幻影や魔族のデュースについての情報は伏せている。
異変なしと知った国王や重臣は、なぜか安堵しているようだった。
その際に装備の借金について国王に相談したところ、良い回答をもらえた。
なんと今後の活躍しだいでは借金が免除される、かもしれないらしい。
フォンドは一筋の光明を見た気がした。
国王が「かもしれない」という部分を強調していた事は少し気になったが。
そして国王陛下から、騎士団長フォンドに新たな任務が与えられる。
その内容に、フォンドも、後から知ったカレナたちも大層驚いたのだった。
* * *
フォンドたち三人は、朝から街道を歩いていた。
行き先は勇者の祠だ。三日前、デュースと再会を約束した場所である。
「たまげたよなぁ、次の任務が『魔神の封印』の調査だなんてよ」
渡された指令書を読みつつフォンドが呟くと、クラルスも小声で同意する。
「驚きました。まさかマホガニー地方の封印が狙われていたとは」
「デュースさんの言ってたこと、本当だったのね……」
カレナがぽつりと漏らした一言に、二人の少年は複雑な気持ちになる。
魔族の青年が懸命に訴えていたことは、嘘ではなかったのだ。
何者かが魔神を復活させ、戦いが起きるという予言が現実味を帯びてくる。
「とても僕たちだけでは手に負えない問題です。調査についても、彼に協力をお願いしましょう」
「まあ仕方ねえな」
フォンドたちがマホガニー地方へ調査に向かうのは、明後日だ。
その前にデュースと会い、今後のことを話し合わなければならない。
「で、マホガニー地方って、どこにあるんだ?」
「いやお兄ちゃんさすがにそれは一般常識よ!」
カレナは即座にツッコミを入れた。もはやこの兄妹の日常的風景である。
クラルスは、微笑みながら丁寧に説明を始めた。
「マホガニーは北部にある、魔法研究の盛んな地方ですよ。フォンドやカレナさんは行ったことはありませんか?」
金髪の少年の問いかけに、ヴォー家の兄妹は二人そろって肩を落とす。
「うち、お金がねえから、そんな所に旅行とか行ったことねーよ……」
「うん……旅行って、遠くても隣の隣の村へ遊びに行ったぐらいかな?」
「そ、そうですか。でも今回の件で行けるじゃありませんか。今回の旅費は国が負担して下さるんですよね」
クラルスが慌ててフォローすると、フォンドたちは元気を取り戻した。
「そうだったな。よっしゃ、美味い料理を食べ歩きしまくるぜ!」
「わたしも魔術師見習いだし、魔法研究所を見学してみたいわ!」
すっかり観光気分な二人にクラルスは苦笑したが、
「ええ。折角ですから色々見て回りましょう。今後の参考にもなりますし」
と便乗するのだった。
* * *
祠への道すがら、三人は任務内容について話していた。
「僕たちが住むこの大陸は、およそ三部分に分けられます。ウォルナット王国が治める中央部、北部のマホガニー地方と、魔族国ラベンデイアのある南部です」
「へー」
「ご存じのとおり、大地の勇者と大地神さまが魔神を封印しました。封印はいくつかに分けられ、世界各地の秘密の場所で厳重に管理されているそうです」
「ほー」
クラルスの話に、フォンドはぼんやりと相槌を打っていく。
任務の話をするはずが、なぜか地理や歴史の勉強会と化していた。
フォンドが疑問を口にするたびに、クラルスが注釈を入れるせいである。
「よし。おかげでよくわかったぜ。封印があるのはマホガニー地方だ!」
「それ最初から言ってるじゃない」
カレナのツッコミを聞き流し、フォンドは頭の中で情報を整理した。
今回調査を依頼された、マホガニーの封印。
先日、何者かによってその封印の場が荒らされたというのだ。
幸い封印そのものは無事だったらしいが、現場を調査し、その犯人を捕まえるのがフォンドたちに与えられた任務である。
なお、この事件は機密事項であり、任務は極秘裏に行うよう命じられた。
「秘密って言われてもよー。うっかりしゃべることもあるよな!」
「わたしたちの正体がバレないようにしなきゃ!」
「二人とも、会話はなるべく小さな声でお願いしますね」
こうしてにぎやかな三人組は、目的地へと向かって行く。
* * *
勇者の祠――約束の場所には、誰もいなかった。
建物の周囲を探してみたが、人の気配は無いようである。
木々の合間から降り注ぐ陽光に目を細めつつ、フォンドはこう推理する。
「デュースの奴、寝坊したんじゃね? 今日も暖かくていい天気だし」
「さすがにそれはないでしょう。約束の正午は過ぎていますよ」
「寝坊なら夕方まで余裕だろ」
「お兄ちゃんとデュースさんを一緒にしないでね」
フォンドは朝寝坊の常習犯で、起こす側のカレナと母はいつも苦労している。
そういえば今朝は珍しく早起きだったわね、とカレナは不思議がった。
その後、一時間ほど待ち続けてみたが、魔族の青年は一向に現れなかった。
「範囲を広げて探しましょう。彼が断りもなく約束を破る方だとは思えません」
「なにかデュースさんの身に起こったのかもしれないわ」
「仕方ねえ、探してやるか。ったく、世話のかかる魔王だな。皇子だから次期魔王か? まあどっちでもいいや」
面倒くさそうに頭をかき、フォンドは北へ向かって駆け出す。
「ちょっと、どこ行くのよお兄ちゃん」
「オレはこっちを探す。お前らはあっちの方を頼むぜ!」
そう言うやいなや、少年は金鎧を光らせて森の奥へ消えていった。
フォンドの猪突猛進ぶりに、カレナとクラルスは顔を見合わせる。
「もう。なんの段取りも決めずに、勝手に行っちゃったわ」
「何だかんだ言って、フォンドもデュースさんの事を心配してるんですね」
残された二人は、仕方なく言われたとおり南の森を探すことにした。
* * *
フォンドは木々の間を縫うように走っていた。
心当たりがあるわけではないが、とりあえず北へと進んでいく。
(一体どこにいるんだよ、アイツ。早くしねえと……!)
フォンドを急がせる理由はひとつだ。
デュースを見つけないと、昼食が食べられない。
カレナ曰く、全員そろって仲良くご飯、だからである。
しばらくすると、前方から水音が聞こえてきた。
「えー。川か……」
フォンドは逡巡した。
水深は膝より低いが、幅は三メートルほどある。近くに橋もなさそうだ。
春とはいえまだ水は冷たいし、鎧を着たまま川に入ることにも抵抗がある。
それにこの先にデュースがいるとも限らない。
「こりゃ危ねえし他を探すか、うん」
フォンドが諦めて引き返そうとした、その時。
「きゃぁぁぁっ!」
突然、絹を切り裂くような少女の悲鳴が辺りに響き渡った。
あの可憐な声からして、相当な美少女に違いない。
そんな勝手な思い込みをしつつ、声のした方向――川の対岸へと急ぐ。
フォンドはバシャバシャと水音を立て、浅瀬を走り抜けた。
とてもさっきまで渡るのを渋っていたとは思えない、行動の早さである。
「お嬢さーーん! 大丈夫ですかー」
向こう岸に着き、森の中に呼びかけてみるが、返事はない。
後ろの茂みがガサリと音を立て、フォンドははっと振り向いた。
「そこか!」
すると草むらの陰から、水色の丸い物体が出てくる。
「あれ……これってスライム?」
淡色スライムだ。その名のとおり、淡いブルーやグリーンの体色をしている。ゼリー状の丸みを帯びた体に、小さな黒い瞳が愛らしい生き物だが、れっきとした魔物であり、注意が必要である。成長すると二メートル以上になり、人ひとり飲み込むぐらいの攻撃力を持つので、迂闊に近寄ってはいけない。
「――を持つので、ウカツに近寄ってはいけない。なるほど」
フォンドは手元の小さな本を、声に出して読み上げた。
現在魔物は人里近くには棲息しないが、山奥など人のいない場所では遭遇することもある。そんな旅人用の必携の品が、この小さな魔物図鑑だ。
勉強が苦手なフォンドはそのような本をついぞ持ち歩いたことなどなかったが、今は持っていた。一応、彼なりに努力はしているようである。
じわじわと近付く魔物は、図鑑でいう成長体よりも小さく三十センチほどだ。
かといって、危険がないという保証はどこにもない。
もはや戦うしかないか、とフォンドは腹をくくった。
「オレは弱くない――ようし、やってやろうじゃねえか!」
背中の大剣を抜き放ち、フォンドは声も高らかにそう宣言したのだった。