1.勇者、登場!
「ぬうう~暇だ、ヒマすぎるっ!」
穏やかな春の日の午後。黒髪の少年はそう叫んで机の上に突っ伏した。
ここはウォルナット城にある王宮警備室。王国騎士団の詰め所である。
通常、詰め所というと強靭な騎士たちが集う部屋のはずだが、現在ここにいるのは少年が一人のみで、他に人の気配はない。
少年は青緑色の上着に灰色のズボンという軽装で、古びた椅子に腰掛けていた。
寝ぐせのようにはねた髪をかきむしり、彼は更なる不満をもらす。
「せっかく騎士団に入れたっていうのにさ。全然オレが活躍できないじゃねーか」
そんな愚痴をこぼしている彼の名は、フォンド・ヴォー。
十四才のときに騎士見習いとなり、一年間この警備室に勤務している。
強い騎士を夢見て入団したフォンドだが、現状は期待を裏切るものだった。
主な仕事は、城内の見張り、武具の点検、警備日誌をつけることなど。
しかも一日の大半を小さい書庫のような警備室で過ごすのだ。
鎧を着ることも剣を握ることもなく、備え付けの武具もホコリをかぶった置き物と化している。
平和なこの国において、騎士団は名ばかりの存在となっていた。
今日もフォンドは窓際の席で頬杖をつき、外の景色を眺めている。
見えるのは裏庭の物置小屋と城壁ぐらいで、人通りもほとんどない。
城内を見張る大切な仕事だが、見飽きた風景にフォンドは憂鬱な気分になった。
「あーあ。なにか起こらないかなあ」
フォンドは碧色の瞳を閉じ、願望をそのまま口にした。
部屋には誰もいないので、独り言も言いたい放題である。
「魔王とか出てきて、うちのヒッコリー王女でもさらってくれねーかな…」
「おいおい、フォンド。何を物騒な事を言っておるのじゃ」
「うわっ!」
急に後ろから声をかけられ、フォンドは飛び上がるほど驚いた。
振り向くと、柔和そうな笑みを浮かべた白髪の老人が立っている。
警備室長のレーズン老、つまりフォンドの上司であった。
「すみません、レーズン様。あまりに退屈だったので口がすべりました」
「いやいや、確かに若いおぬしに今の世は退屈じゃろうな。騎士団も形だけの物にすぎん。だがなフォンド、戦いに明け暮れるだけが人生ではないぞ。そもそもわしが若い頃は……」
またその話か、とフォンドは思った。
今ではとても信じられぬが、レーズンは昔、騎士団長を務めていたらしい。
当時は今と違って争乱の世であり、騎士が活躍した時代だったのだ。
レーズンは度々かつての武勇伝を語ってくれた。初めは熱心に耳を傾けていたフォンドだったが、一年も同じような話ばかり聞かされてはさすがに辛い。
フォンドは心の中でぼやいた。
(コレ始まったら一時間は続くんだよなあ。こりゃ逃げるが勝ちだぜ)
「あのレーズン様。実は私、超すごい急用を思い出しまして、大変申し訳ないですが退散…じゃなくて早退させてもらってもいいでしょうか?」
フォンドは苦手な敬語をなんとか駆使し、そう申し出る。
突然の願い出にも関わらず、レーズン老は快く了承した。
「おお、急用ならば仕方がない。この話は次の機会にでも話すことにしようかの。そうじゃ、急用と言えばわしが若い頃には……」
「お、お先に失礼します!」
話が再開されそうになり、フォンドは脱兎のごとく立ち去った。
警備室を出て中庭を進むと、大きな城門が見えてくる。
門には衛兵が一人いるだけで常に開放されており、閉門されるのは夜だけだ。
いくら平和とはいえ、こんなに警備を手薄にしても良いのだろうかとフォンドは疑問に思っている。
フォンドはため息をつき、そのままウォルナット城を出た。
「はあ。早いけど、今日はもう家に帰ろっと」
日暮れまで、まだかなり時間がある。
柔らかな陽射しが降り注ぐ中、少年はのんびりと家路についたのだった。
フォンドは王城のすぐ南にある大通りを歩いていた。
春祭りの一週間前ということもあり、王都の城下街はにぎわっている。
往来を馬車や人々が慌ただしく行き交い、商店の店先には祭り用の飾りや新鮮な食べ物が売られている。
ウォルナットの春祭りは豊作を大地神に祈願する、国民にとって大切な行事だ。
(今年はゆっくり見れないかもな。騎士団にゃ春休みも無いようだし)
祭りの準備が着々と進むのを横目に、フォンドはガックリとうなだれた。
フォンドがいつも近道に使っている路地裏に入ろうとすると、
「あれ? なんだろ」
普段は人通りの少ない裏道に、珍しく人だかりが出来ている。
列を構成するのは老若男女さまざまで、三十人ほどいた。
行列の最後尾にいた初老の男性に、フォンドは尋ねてみる。
「すみません。これって何で並んでるんですか?」
「ああ、占いの順番待ちさ。有名な占い師らしいよ。うちの家内に代わりに並んでくれって頼まれてねえ。もしかして君も占ってもらうのかい?」
そう返されフォンドは否定する。そんなつもりは毛頭ないのだ。
「いや、違いますよ。じゃ、並ぶの大変そうだけど頑張って下さい」
「ああ。ありがとうよ」
フォンドは列の脇をすり抜け、細い路地を足早に進んだ。別の道を通っても良かったのだが、ここが家への一番の近道なのだ。
途中、行列の先に座っている占い師の姿が目に入った。
水色の衣装に白いベールを被り、大きな水晶玉に手をかざしている。顔はよく分からなかったが、金色の髪が見えた。
(食べ物ならともかく、占いとか全然興味ねえしなあ。母ちゃんやカレナは、そういうの好きそうだけど)
そんな事を考えつつ、フォンドは我が家を目指した。
日が少し傾き、歩く少年の影が長くなる。
フォンドの自宅は街の南西の外れにあった。
両親は農民で、今日も畑を耕している。家はさほど裕福ではないが、平和で税金の安いこの国で暮らすには充分だった。
「あっ。お兄ちゃん、おかえりなさい!」
小道を歩くフォンドの姿を認めて、家の前に立つ少女が声をかけてくる。
彼女はフォンドの一つ下の妹、カレナだ。
黒髪碧眼なのは兄妹で同じだが、髪質の硬い兄と違い、少女はふんわりと柔らかな黒髪を肩まで伸ばしている。
やや目つきの鋭いフォンドに対し、カレナはパッチリとした瞳で、細い眉をしている。フォンドの眉は少し太めだが、男らしくていいと自分では気に入っている。
「どうしたの。今日は帰ってくるの早いんじゃない?」
カレナは首を傾げ、不思議そうにフォンドに尋ねる。
通っている魔法学校が春休み中のカレナは、今日も家の手伝いをしていた。だが兄がこんな早い時間に戻ってきたことはなかったのだ。
フォンドは適当にごまかした。
「ああ。ちょっと頭脳労働して疲れたからさ、早退させてもらったんだよ」
「そっか、お疲れさま! 大変なのね、騎士団のお仕事って」
正確にはレーズン老の長い昔話を聞くのが大変なのだが、そうとは知らないカレナは純粋に兄をねぎらった。
そして白いエプロン姿の少女は、ニッコリと笑ってこう告げる。
「今晩のメニューは、お兄ちゃんの大好きなポテトグラタンよ! お母さんが帰ってきたら焼き始めるから、それまでちょっと待っててね」
「マジで? やったー! これであと一週間は戦えるぜ!」
食い意地のはっているフォンドは、妹の言葉にやたらと大げさに喜んだ。
それは平和な王国の、なごやかな家族の一場面であった。
誰もがその平穏がいつまでも続くと信じ、それに何の疑いもない、そんな時代。
この先彼らに待ち受けている運命を、フォンド自身知るよしもないのだった。
* * *
そして翌日。
王宮警備室で、少年は驚愕の事実を告げられることになる。
「ええっ! 私が騎士団長として出陣するのですか!?」