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麒麟の世界にとりっぷ!  作者: Tm
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急落 ― 貳 ―

「何故ですか」

「何故も何もない。いちいち問い返すな、鬱陶しい」

 煩わしげに一蹴する主様は、興味もないとばかりに手元にある書物に目を落とす。

 就寝前のこの時間、主様はいつだってこうして何かの務めに黙々と徹していた。そうして私もそれを邪魔しないように、淡々と報告だけを済ませていた。

 今日だって、ただ、お願いしただけだ。胸のうちの恨み辛みも何もかも置いて、ただお願いにあがっただけだ。

 それを――『いな』の一言で済まされた。到底、納得できるはずも無い。

「理由を教えてください。何故、お認め下さらないのか。私は誠心誠意尽くしてきたつもりです。それでも、主様は……貴方方は私に欠片もそれを御返ししては下さらなかった。労いの言葉、一つさえ……」

 言ったところで、喉が震える。押さえ込もうとしていた私情さえ、動揺で溢れそうだ。

 この三年の歳月。いかに麒麟にとって瞬く間の出来事であろうと、私にとっては紛れも無く、三年だ。失った時間をささやかと言うには、人の身には大きすぎる。

 唇を食いしばり床を見つめた私を前に、床で胡坐をかいていた主様はゆったりと片膝を立てた。それに頬杖をつくようにして私を見上げ、隠しもしない嘲笑を向けてくる。

「なんだ。悲壮感漂わせて何を言うかと思えば、結局はただの恨み言ではないか。そんなに水汲みが辛いのならば望みどおり井戸を使うがいい。我はくだらぬ怨言に時間を割いている暇は無い。疾く去ね」

「私はそんなことを言いたいのではありません!」

 くだらないと。ただの恨み言だと。貴方に何が解るのか。ただ仕えることのみに徹してきた私の過ごした歳月を、戯言の一言で済ませると言うのか。

「お願いです、後生ですから! 今すぐでなくともかまいません、ただ一言『許す』と、」

「世迷言を」

 煩わしげに目を顰めチッと舌打ちをする。主様は、不快一色の眼差しで私を睨み付けた。

「いい加減にしろ。だから貴様はうつけだと言うのだ。まだ解らんのか」

「――なに、を」

「とんだ阿呆がいたものだ。これで誠心誠意尽くしたなどと、笑わせてくれる」

 失笑の意味さえ、解らない。惑う私にたたみかけるように、主様は言った。

「秘泉の利権を求めるものが俗世でいかにひしめこうか、貴様は知らんのだな落人よ。以前は秘匿であったあれは、例え一汲みのそれであったとしても、市場を狂わすには十分と言える。なればこそ、どうして貴様が我のみならず他の長の許しを得ようか。物知らずもここまでくると呆れてものも言えん」

 ――水?

 秘泉、の水。

 利権?

 未だ戸惑う私を見上げ、主様は苛立ったように眉間の皺を濃くする。それは今まで幾度と無く目にして慣れたものであったはずなのに、私に恐れを抱かせる。

 いや、主様じゃない。

 そうでは、なくて。

 怖いのは――。

「まだ解らんのか。流通の元であるお前をわざわざ退かせ根元を断つなど、どこのうつけが考えようか。貴様は俗世の者共にとっていわば秘泉の源泉そのものなのだ。それを手放そうなど、ましてやその元締めの鳥族の長が許そうなどとよくも言えたものだ。下らぬ知恵ばかりつけるからまともな考えにも至らぬ。身の程をわきまえよ」

「そんな、だって……キッコさん、は」

「そ奴が何を言ったかは知らぬが恐らくは戯言であろうて。例え本気であったとて、叶うはずもない。まして秘泉の場所を知りえる貴様を俗世に放つなど、我がそのような愚行に走らぬは自明であろう。解ったらいい加減その口を閉じ去ね。二度言わせるな阿呆が」

 うそ、だ。

 うそだ。嘘だ。

 キッコさんが嘘なんて吐くわけが無い。だってあの人は確かに言ってくれた。辛かったねって。頑張ってって。出来るだけのことはすると、もう少しの辛抱だと――。

『優しい嘘』

 脳裏を掠めた、私自身の言葉。

 そんな。まさか本当に、戯言だって言うの。主様の言う通り、嘘で。私を、一人逃げ出させないための。

 そんな、馬鹿なこと。そんなことが。

『まして秘泉の場所を知りえる貴様を俗世に放つなど、我がそのような愚行に走らぬは自明であろう』

 ふいに、思考を遮るように主様の言葉が突如リフレインする。

 待ってよ。この人は今さっき、なんと言ったか。

 愚行?

『秘泉の場所を知りえる貴様を俗世に放つなど』。

 まさか。

 ――そのまさか、だ。

「主様ぁッ」

 声を張り上げて呼べば、書物に目を向けていた主様は緩慢に顔を上げる。この上なく迷惑そうに、眉根を寄せて。

「なんだまだ居たのか。つくづく使えぬ。主の言にさえまともに沿わぬとは」

 この、この野郎!

 一瞬にして頭が沸騰する。いつのまにか握っていた拳は震え、掴みかからんとするのを押しとどめるのになお震えた。

 知れず顔が紅潮する。怒りで眩暈を起こしそうなほど、目の前がぐらぐらと揺らぐ。

「私を、私をここに連れてきたのは、拾ったのは、その為か! 秘泉の場所を知った私を、ただここに留めるためだけに!」

「何を今更。言わねば気付かぬとはまこと落人の知恵足らずには恐れ入る」

 ふん、と笑う。

 哂う。私を、嘲って。見下して。こき下ろして。

 ずっと、ずっと。

 何も知らない、私を。落人を。

 ――ちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょうッ。

「外道ッ、性悪め! アンタなんか清らかでもなんでもない! 性根の腐った化け物じゃないか! なにが瑞獣だ。アンタなんか、あんた達なんかただ怯えて引きこもってるだけの――――ッ」

 喉が絞まる。気付けば、主様は目の前に直立し私の喉に手をかけていた。

 容易いとばかりに私の首を涼しい顔をして締め上げ、慈悲も何も無い冷め切った眼差しを私に向ける。冷ややかな、怒りの炎も凍えるほどの、冷徹な眼差しでもってして。

「口を慎め落人風情が。貴様がどうほざいたところで何も変わりはせぬ。所以がどうあれ、我が貴様を拾った事実に変わりは無い。なれば貴様に行く当てなどない。この世のどこにも、貴様の居場所など此処以外あろうはずも無いわ、戯けがッ」

「うっ」

 私を床に打ち捨てると、主様は再び床に腰を下ろした。何事も無かったかのように平然と書物を手に取る。

 私のことなど、気にも留めないと。落人風情の扱いなどこの程度で十分だと――。

「ふ、く、……ふ、ふふふ」

 乾いた哂いが、口から漏れる。

 何を嗤っているのか。私にも、解らない。

 無機質な、塵一つ見当たらない床を見つめた。虚ろに。

「何を笑っている。耳障りだ、黙れ」

「は。すいませんねえ。でも可笑しくって。笑いが止まらないんですよ」

 怪訝な目を、向けられている気がした。

 でも、もういい。どうでもいい。どんな目で見られようが、どれだけ嘲られようが、見下されようが。どうでもいい。どうだって、いい。

「お笑い種ですよ。普段誇り高いだの気高いだの吹聴しておいて、やっていることといったら落人一人囲って憂さ晴らしと来た。これが笑わずにいられましょうか」

「何を言っている」

「ご存じないと。それともまたとぼけていらっしゃるか。まあ、どっちだってかまいやしませんけどね」

 どっちでも一緒だ。どうあれ、この主は、この男は省みないだろう。落人風情の戯言など。ならば今更何を言ったところで、かまわない。どうとでもしてくれという話だ。

 折檻だと。できるものならしてみろ。今は冬だ。外に放り出されようものなら凍死する。そうなればのたれ死んで、思う存分死臭を撒き散らしてくれる。穢れに喘げ、獣共けだものどもめ。

 ふらりと揺れる虚ろな眼差しを、けれど頤を持ち上げられたことにより固定される。きつく締め付けるように、主様の指が食い込む。

「まだ戯言を抜かす余力があるか。ならば吐け。己が身の穢れを晒し、下賎な身の上をその口で説くがいい」

 言えと。いくら罵ったところで真意は丸見えだ。馬鹿馬鹿しい。うつけは自分だろうに。落人風情に、麒麟の長が凄んで見せるとは、まったくいい見世物だ。

「なにが下賎な身の上ですか。主様のお声からそんな言葉が出てくるとは。いやはや、身の程をわきまえぬとはどちらの道理ですかね」

「簡潔に言え。それ以上戯言を繰り返すならば軒先に吊るすぞ」

「ええ、ええ、お好きにどうぞ。氷付けにでも氷柱にでもなんでもしてやってください。そしてあの子らに見せてやればいい。私の醜態を見せつけ、指を指し、高らかに嗤えばいい。堕ちるのがどちらかは、明白でしょうがね」

 ひくりと、主様の表情に陰りがさす。

 それ見たことか。やっぱり見当がついていたんじゃないか。長の名が聞いて呆れる。落人風情にすら悟られる心地はいかがなものだろう。

 腹のそこが冷えるほど、身の内に哂いがくつくつとこみ上げてくる。

 ああ可笑しい。可笑しいったらない。こんなに愉快なことは、ない。

 お美しい主様の美顔に嘲笑を吐きかけ、なおも言ってやった。

「御分りの様で、私も一安心です。そうですよね。毎日目にしていれば、解らないほうがそれこそ本物の馬鹿ってもんでしょう。貴方はすぐ傍で見ていらした。そう、あの子らは私を鬱憤晴らしに使っている。年端も行かない子供が、己の蟠りのはけ口に、己よりも下だと見做した落人の私を詰り苛め倒すことで鬱憤を晴らしていたんですよ! 誇り高い麒麟の稚児がね!」

 言うと同時に、掴まれていた頤ごと乱暴な手つきで突き放される。憎しみの篭もった私の眼差しを受けることに耐えかねたのか、侮辱を吐きかけられることへの嫌悪か。

 どうであっても、どうにでもなれという思いは変わらない。寧ろ時を追う事に増し、もっと目の前の男を詰り、苛み、苦しめてやりたいという気持ちがむくむくと湧き上がる。

 目を顰め手を隠すほどの衣で口元を覆う主様の眼差しは、醜悪なものを目にするかのように嫌悪に満ちている。それは紛れも無く、私に向けられていた。

 それでも止まらない。止まれない。

「解っておいででしょう! あの子らは窮屈でたまらないと訴えているんですよ、今の環境が! この屋敷が! 自我も芽生えぬうちに親元を離れ一日中屋敷に篭もりきり、外に出たかと思えば囲いに仕切られた敷地の上で、所狭しと動くしかない。周りは何も無く、霧が立ち込め霞に覆われ、青々と輝く空さえ満足に見つめることも出来ない。心を病むのも当然だ。鬱憤が溜まって当たり前だ! なにが庇護だ。扱いは違えど彼らも私と変わりませんよ! 難攻不落の檻に囲われた、見世物にすらならない獣です!」

「黙れッ」

 主様が、腕を振り上げる。

 叩くのか、と思った。叩けばいい、そう思った。

 けれど一時振り上げられていたその手は、すぐに私の眼前で空振りする。振る袖の直前、主様は言った。

「もう、いい。もう聞かぬ。三度目だ、疾く去ね。明日は我が前に姿を晒すな。穢れし落人など暫く目にも留めたくないわ」

 袖が、翻る。視界は変わり、元の東屋。小さく、狭く、暗い、私の孤城。私の檻。

 胸の内に秘めた思いをさらけ出したと言うのに、心は晴れない。いつでも途切れることの無い霧に覆われたようにぼやけ、霞み、己の真意すらあやふやになってくる。

 もうどうしたらいいのか、どうしたいのかも解らない。どうにでもなれとは思ったが、どうあって欲しいのかすら、何も浮かばない。

 闇、だ。何も見えない、闇。ただただ、落ちて行くのみ。奈落の底へと、際限なく、落ちて行くのみ。


 その日、いつもなら疲労困憊で床につこうものならすぐに深い眠りに落ちることの出来たはずの我が身は、いつまで経っても一向に私に安らぎを与えてはくれなかった。

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