際会 ― 肆 ―
と、愚痴に逸れてしまいましたが、そういうわけで沐浴戦争を終え一匹一匹清布で拭き終えると、主様と他の麒麟、幼獣共は揃って屋敷の外にお出になり、それほど広い敷地でもないけれど裏の囲いの内側で飛行の練習をする。
麒麟は生まれたころからある程度地に足をつけず駆けることは出来るけれど、空を自在に駆けるとなると話は違う。
そこはまた鍛錬が必要らしく、また糧となる濁り無い霞の摂取も兼ねて日中をそこで過ごす。
その間に私は沐浴場の清掃を済まし、また瞑想のための広間の清掃も行う。
そうして私が再び身を清めに東屋へ戻ったところで、鍛錬という名の午後のキャッキャウフフが終了し全員が広間へお戻りになり、再び瞑想、もといすやすやお昼寝タイムだ。いいご身分なこと。
そこからやっと私も自由時間が頂けて、身を清めたあとに主様をお呼びして対岸へと運んでもらい、再び水汲みへと専念する。
それのどこが自由時間かというと、規定量の水を汲み終えた私は、遅い昼食兼夕食を採ることを許される。
勿論私の食べるものといったら菜食であろうが肉食であろうが元は命を頂いたものなので、麒麟達の傍でそれを摂取することは主様が許されない。
もとより山奥に満足に食べられるものなど山菜位のものだけど、生憎そんな予備知識も無ければ、麒麟にとっても必要ないため相応の書物すらない。
だから私は必然的に外から取り寄せるしかない。
そこで出てくるのが、鳥族サマサマだ。
泉よりも更に山を降りたところに、契約を交わした鳥族と落ち合うところがある。
そこは麒麟の一族が住むところよりも遥かに整備されていて(と言っても辛うじて道がある程度だけど)、そこの道が開けたところにある切り株で鳥族を待ち、或いは特殊な笛で彼らに知らせ、食事やらなんやら生活するうえで必要なものを運んできてもらう。
何故取引の相手が鳥族かと言うと、とんでもなく険しい山奥な為に空を舞う鳥族くらいしかある程度気楽に来られないから、という理由だ。
それもまた麓までの話で、主様の仕業なのか元々がそうなのかは知らないけれど、鳥族でさえもその奥に行こうとすると霧に阻まれ迷いあらぬところへ誘い込まれてしまうため、どんな尋ね人も麒麟の案内なしではそれ以上は進めない。
文字通り不可侵の領域なのだ、この山は。
それがどうして私は行き来できるかと言うと、それもまた謎だ。主様は教えてくださらないし、追求したところで腹が膨れるわけでもなし以下略である。
そういうわけでこうして麓まで足を運び、私と鳥族は一日に一度落ち合う。
そこで物々交換をするわけだが、私はこの世界の金銭など持ち合わせては居ないし、無論財産など皆無に等しい。
そんな私が差し出せるものと言ったら、主様にお許し頂き下賜される、一杯の水。そう、秘泉の水だ。
これは聞くところによると獣人にとってあらゆる病に利く奇跡の妙薬ならぬ妙水らしく、入手困難な代物らしい。
それ一つの市場価値は、私のご飯代など到底及ばない。
ただ、落人の私にはただの真水でしかないのか、一回盗み飲みしたときは全然疲労感が取れなかった。
眉唾もんじゃないのか? と疑いはしたけれど、本人達がいいのなら利用させてもらうまでだ。
そうしてその水を一杯分竹筒に汲み、鳥族に渡す。鳥族はそれと引き換えに私にご飯を、時に生活必需品、或いは俗世の情報を提供してくれると、そういうわけ。
まあ、私個人としては得るものはそれだけじゃないんだけど。
だって、だってね。鳥族優しい! めっさ優しい!
初めて喋ったときなんて一言会話交わすごとに涙滲んでくるくらいだったから。
鳥族からすると取引相手なんだから対等に扱って当然だし、落人に冷たく当たるような獣人は滅多に居ない、なんて言うけれど、絶対それは優しい嘘だと思うの。
だって麒麟の一族なんか純度100%の蔑視で人を見るし。
奴らときたら事あるごとに嫌味言うわ命令するわ文句言うわされて同然して同然、寧ろ声をかけてもらえるだけ、姿を見ることが叶うだけありがたいと思えと、訳のわからないことを胸張って言うような連中だ。
一時は獣人なんて獣どもは滅びてしまえとまで思ったほどだ。
それも鳥族に出会い心を改め、今のところ鳥族だけは麒麟族なんかよりもずっと本気で崇めている。
対等に扱ってもらうだけで、なんと心地いいことか。きっと鳥族は世界一優しい一族に違いない。
他の一族と接した事の無い私は麒麟一族とのギャップだけで、そう思い込んでいる。
本人達はこれが普通だと言っているが、全く優しい嘘が得意な奴らだ。泣かせてくれる。
今まで焼き鳥うまうま食ってて御免、と心の中で合唱して詫びた。
そんなわけで鳥族との逢瀬は私にとって唯一の癒しであり、救いでもあった。
愚痴も聞いてくれるし同情してくれるし、気を利かせて色々持ってきてくれるわ俗世に疎い私に色んな話をしてくれるわ、本気で毎回時よ止まれと願っている。
どうして落ちたのが鳥族の縄張りでないのか、幾度悔し涙に袖を濡らしたことか。
まあ、そうして少ない自由時間を鳥族との逢瀬と食事に費やすと、再び私は山を登り主様をお呼びする。そこからまた仕事だ。
敷地内に戻り身を清めた後は、今度は花摘みに奔走する。
高山にしか咲かない花で、薄い桃色で形は撫子に似ていて、五枚の花びらから成っている。
主様よりの言いつけで、花は一株から一つしか摘んではいけない。
全て摘むこともまた草木の生殖の切欠を摘むことであり、ひいては殺生に値するからだ。
だから敷地内に咲いているその花一株から花弁を一つ二つ拝借すると、また別の花に移り、それをザル一杯集めなければならない。
それは瞑想(お昼寝)から覚めた幼獣たちへのいわばオヤツのようなもので、麒麟の口にはほんのりと甘く芳しい味わいがするらしい。
ちなみに私も一つ摘んでみたが、ものの見事に普通の花びらのちょっと青臭い味でしかなかった。
全く麒麟の味覚といい感覚と言い、共感できるところが皆無も甚だしい。
そしてそれを摘んだらまたあの汲んである秘泉の水を皿にたっぷり注ぎ、その上に摘んだ花びらを撒く。
これは広間でのぺーっと無防備もいいところな状態で寝転び、且つ寄り添い眠る幼獣たちの傍らで、起きないようにこっそりひっそり済まさなければならない。
万が一起きようものなら奴らは私に突進を仕掛け、折角摘んだ花びらを食い散らかし、広間も私も悲惨なことになるからだ。
だから奴らに見つかる前にそれを終わらせ、すぐに避難する。
それから奴らがそれらを貪っている間にまた各部屋を渡り拭き掃除を済ませ、同じように廊下、物置、厨房なども清掃し、最後に主様のお部屋を念入りに清掃したなら、再び東屋。
次いで厨房に向かい朝と同じように個々の水瓶に水を汲み、各部屋に届ける。
夜露は取りようが無いため夕方は取らなくてかまわない。つか取れたとしても夜じゃないから夜露じゃないし。
じゃあ朝はなんで取るかというと、いわばあれは気付けらしく、入れると水が普通よりもすっきりとした味わいになり、心地よい朝を迎えられるのだそうだ。例によって盗み飲みで私には普通の以下略。
そうしている間に夜は更け、遊び疲れた幼獣共も各々に振り分けられた部屋へと戻り、水瓶の水を飲み干した後に就寝。やっとここで静かになる。
そうして私は広間の清掃を済ませ、する必要性が無いのにも関わらず館の戸締りを確認し、東屋へ戻り身を清めた後に主様のお部屋へと参じ、その日あったこと、済ませたこと、勿論鳥族と交わした会話や情報、物々に至るまで隅々報告し、許しを得た後に漸くもとの東屋へ戻り、そこでやっと眠ることが出来る。
この流れだと一日一食みたいな感じだけど、鳥族には保存食も多く貰っているため、東屋へ戻るたびにそれをちょくちょく口にしては凌いでいる。
唯一の自由時間であり食事の時間にもたんまり詰め込んでいるため、今のところ栄養失調で倒れるとか過労で倒れるとかそういうことは幸か不幸か起きていない。
こうして、私は一日献身的に奴らに仕え、こき使われ、満身創痍で布団の上に倒れこみ、自身の境遇を嘆く暇も無く眠りにつく。
理不尽だと思わないときは無い。逃げ出したいと思ったことも数え切れないくらいある。
足に豆を作り、女らしさの欠片もない筋肉を蓄え、憂う暇も無く働き、奴らの思うままに従う。
悲惨なわけではないけれど、もう少しましな生活がしたいと望むのは罪だろうか。
けれどここから逃れて一体どこへ行けばいいというのか。
指し示してくれる希望さえ、この深い山岳の奥地に照ることはない。
満足に生きる術もよすがも無く、ただただ生きて、ただただ同じことを繰り返し、ただただ己を諦めていた。
一体私はどうしたいのか。そんな事を考える余裕さえ、今の私には無かった。