際会 ― 參 ―
麒麟という生き物はどいつもこいつも満遍なく気位が高い。
穢れを嫌い殺生を忌避し、その口にするものは清らかな秘泉の水か高山の濁りない霞のみだという。
書物には穏やかで優しい生き物と記されているが、その実臆病で警戒心が強く疑り深いため、おいそれと他人に、しかも己の部族以外の者に慣れることもなく、それが落人ときたらその比ではない。
私でも慣れてもらう、というか彼らで言うと『許し』を得るのに三ヶ月掛かった。
最初など私の傍に寄らないどころか気配さえも掴ませずどこぞに潜み徹底的に私との交渉を拒み、無視して掛かったほどだ。
そうしてそれでも己の課された役割を果たさねばと健気な私はそれはもう懸命に励み、三ヶ月でやっとその姿が物陰の隅に認められるようにまでなった。
だがそれではいつまともな仕事をこなせるか解ったものではなく、絶望的な時間を要するのではないかと思われた。
しかしそれもまたその顛末というのが笑えもしない結果で終わりを告げる。
主様が子らの前で私を顕現状態のその蹄でもって蹴ってはっ倒して挙句の果てにその足を乗せたまま征服のポーズを決めたことから、彼らの中に私の認識が定まり、もとい序列がはっきりして、世話人として見事認められた。
勿論本気で馬の蹄に蹴られたら私も無事で済むはずもなく、主様が手加減をしてくれたことは明白ではあったが、以来私は彼奴らの世話人であり使用人であり下僕と成り下がってしまった。
年端もいかない子供にさえ身長的に言えば下からだというのに上から目線で物を言われる。
目下から顎を突き出し見下すように命令してくるあの顔を前に、幾度その序列を覆そうかと思ったことか。
主様はともかく子らを相手にしてみればそんな仮初めの序列を覆すことなど人の私にも造作ないだろう。
何故なら彼らは気位だけは天下一品の素質の持ち主ではあるが、その癖臆病さであっても他の追随を許さぬほどのキャパシティがあるのだから。
少し脅して怒鳴ってやればトラウマものの序列というやつを味わわせてやれることだろう。
さらに尻の一発も叩いてやれば重畳この上ない。下克上じゃアホンダラ。
等と、クソ生意気な子獣共を前にして妄想しては一人ほくそ笑んだものだ。
それをしないのも、ひとえに主様の御意向ゆえだ。はいはい主様サマサマですよ。
だって逆らうと東屋でさえおんだされて一晩野宿の刑なんだもん。そりゃー逆らう気も失せるってもんですよ。
そうして主様にへえこら、幼獣どもにへえこら、屋敷の数少ない麒麟たちにもへえこら、現在生物ピラミッド最下層真っ盛り驀進中だっつーの。
ああやってらんねえでござーます。
だって捨てられても行くあてもないし。かと言って元の世界に帰れる見込みもないし。
言うこと聞かなきゃすぐネチネチした折檻されるし。
ああ生きるって何だろう、と日々自分を見つめなおす毎日ですよ。クソ忌々しいったらありゃしない。
ああ、そうそう話が逸れたけど、それでそのクソ忌々しい幼獣たちの沐浴を、大浴場にてお手伝いするわけよ。この私が。
その時には屋敷の数少ないお手伝いの麒麟たちも手伝うわけだけど、これがまた子憎たらしいのなんのって。
そのお手伝いたちはね、まだ大人の理性と余裕があるから、私には見下す一瞥くれる程度で済むわけ。基本嫌味は織り込みつつも会話は成立するのよ。
問題は幼獣たち。
こいつらがまた、厄介なことこの上ない。
普段私は屋敷の細々した仕事をするか水を汲んでるか身を清めてるかの三択だから、幼獣達の世話なんかはお手伝いの麒麟がやってるわけ。だから私とも直接の接点が殆どないの。
それは別にいいんだけど、ていうか寧ろありがたやーの万々歳なんだけど、唯一接するのがこの沐浴の時間。
このときを、幼獣たちは見逃さない。
主様によって確たる序列を幼獣らにも見せつけられた私は、いわば最底辺な訳。主様にとっても、もちろんそれを目に焼き付けた幼獣らにとっても。
で、出るわけですよ。
子供特有の好奇心っつーか、遠慮も何もない一方的なぶつかり稽古っていうか、言うなれば最底辺の落人をここぞとばかりに虐める機会ね。
そりゃあ目の前に自分よりも弱い生き物が居て、何してもかまわないってんだからやんちゃ盛りの子供ならいじるわ。玩具差し出されて手に取らないはずがないのと一緒。
で、問答無用に始まる。
幼獣らの、幼獣らによる、幼獣らのための、落人虐め。
まず初級編。
幼獣らの沐浴は基本秘泉の水のみで行われ、その身体に水をかけながらグルーミングをするようによく水を含ませた天然の海綿を滑らせる。ごくごく丁寧に、それだけを繰り返す。
やり方はそれだけ、ごくシンプルだ。
しかしこれすら、させてくれない。
つまり逃げる。私が介助しようとすると、するっと逃げる。
その癖挑発的にこっちを見ては、時折蹄で足元に溜まる水を蹴り私にぶっ掛けたりする。
これ、初級編。
中級編は少しグレードが上がる。
散々私を振り回したあと大人しく洗わせると見せかけて、横から別の幼獣がタックルをかましてくる。
そうして私が転んだ拍子にあわせ私に水をぶっかけたり、ひょいひょい飛び越えたりして遊ぶ。
とっても楽しそうで喜ばしいことだクソ餓鬼が。
それでも私がにじみ出る怒気をなんとか大人の余裕で持って諌め耐え忍んだなら、上級編へと突入する。
基本、中級編と変わりはない。私が幼獣を洗おうとすると、タックルをかましてくる。
けれどある一点が、大きく違う。それは角だ。
麒麟という生き物はあらゆる生物を傷つけることを厭うために草木を踏まず足跡すら残さず、ゆえに生きたものや死んだものなどあらゆる例外なくして口に運ぶことはないし、滅多に触れもしない。
その角でさえも普段は柔らかい肉で覆われ、何ものであってもおいそれと傷つけることが出来ないようになっている。
幼獣たちは、それを逆手に取ってくる。
つまり、中級編では一応モロにぶつからないようにしていたその発展途上のささやかな角を意気揚々とふるい、私に突進してくるのだ。
これが、痛い。
傷つくわけではないけれど転ぶよりも地味に痛く、よほどダメージが後を引く。悶絶するほどではなくも、わき腹などに当たろうものなら思わず膝をつくほど痛い。
そしてこれがまた幼獣たちには大ウケで、いかに私を跪かせるかとばかりに意気揚々とそのささやかな角を振り乱し襲い掛かってくる。
こうなると流石の私も介助どころではなくなり逃げ回るほかなく、事態がヒートアップし大騒ぎになりかけたところで主様の一喝により事が収束する。
それも幼獣たちが一喝されるのではなく、私に向かって一喝するのだから理不尽極まりない。
それをまた気取った幼獣たちがそれ見たことかと居丈高な態度を取るものだから、もう私の堪忍袋も擦り切れ寸前だ。
毎度のことだがよく耐えているものだと、我ながら感心する。
というかこの非日常が日々テンプレ化してきているため、むしろこの蔑ろ加減が現実逃避にうってつけときている事実。
嘆く暇も与えられては居ないが、普通に考えれば泣ける。この事実だけで一晩は泣き明かせる。
本当に誰か同情してくれ。
そんでもって金持ちで優しくて私のすることなすことにいちいち文句言わなくて命令もしない極度の潔癖症でもない器の広い適度なイケメンのところへ連れて行ってくれ。
そうしたら私がいい就職先を斡旋してあげよう。
高飛車で居丈高で無駄に自尊心だけは高い身の程知らずの馬もどき共の使用人としてな!
何がかなしゅーて獣の下僕なんざをこの人間の私がせねばならんのだ。
とは思いつつも、どっちかっつーとあちらさんの方が『何が哀しくて落人風情に我らの神々しく清らかなる身を任せねばならんのだ』と思っていらっしゃるらしい。
うっせーテメーらなんぞ厩舎でひしめきあっとれ、と私が思ったとか思わないとかね。
人に世話させといてとんでもない物言いだよ。モラハラパワハラ振り被り放題のヘヴン状態でこっちは過労死しそうですとも。