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麒麟の世界にとりっぷ!  作者: Tm
11/18

救済 ― 壹 ―

 麒麟は私を、落人を疎んでいた。

 私は麒麟を、動物を見下していた。

 両者は互いに憎しみあい、反発しあい、けれど不思議なことに私たちは常に隣り合い共存していた。

 麒麟は落人を憎み、見下し、そして同時に恐れていただろう。過去の落人の大罪を現落人である私にも結びつけ、その鬱憤を私にぶつけていた。

 私もそう。自分を蔑ろにする麒麟を理不尽だと詰り、憎み、けれどその一方でその絆を妬んでもいた。彼らを見下していたのにも関わらず、その輪の中に入れない我が身の孤独を嘆いていた。

 だとすれば、互いに気付かずも大層な矛盾を抱えていたのだろうと思う。

 一方で、もう一つの矛盾もあった。

 麒麟は私を恐れていたのにも関わらず、私を傍に置いた。その後の当てつけには文句の一つも言いたくなるけれど、その事実だけを言えば大層な決断だったように思える。

 そして私も同じく、自身が受ける待遇に不満や理不尽を抱いていたのにも関わらず心のどこかでは恩義を感じていて、強く出れない自分がいた。

 結果的にいえば麒麟はどんな思いが我が身に渦巻こうと私を見捨てることが出来なかったし、私もそんな麒麟を心のそこから憎むことは出来なかった。

 だったらそれが、全ての答えなのだろう、きっと。

 人がどんなに動物を愛でたり見下したりしていても、動物がどんなに人に懐き憎んでいたりしても、結局のところそれらはつかず離れず共にある。

 心があり、身体があれば、そこにどんな思惑や思想や概念が渦巻こうと、その向こうにある存在に寄り添わずにはいられない。むしろそれらの過程を経てやっと出来上がるのがその感情やら概念やらで、全ての始まりは歩み寄ることからでしか産まれない。

 ならば生き物とは根本的に、そういうものなのだろう。

 見下しながらも愛しいと心を震わせ、憎みながらも憎みきれずに心を委ねる。互いの態度に傷つきながら、互いの温度に癒される。求め求められ、反発し反発され、抗いながらも受け入れ、様々な思いを描きながらも結局のところそれら全てがひとところに集まっている。

 遠く離れていれば姿も見えない。触れずにいればその温かさも解らない。

 それらを感じ、理解し、知ることこそ互いにそうできるほどの距離にいる証拠だ。

 だったら、人も動物も、獣人も落人も、個々は違えどその根幹にあるものには何一つ違いなどない。

 全ては寄り添うことから。一歩歩みを進めることから。

 そこから全てが始まる。そこから互いの心を感じることが叶う。

 それが生きとし生けるものの、在り方。逃れることの出来ない、生の使命なのだろう。

 それこそどこぞから与えられた天采のごとく、覆すことの出来ない定め。

 だから私は歩み続ける。私たちは、歩み寄り続ける。いつかその心を繋げられる、そのときまで。願わくば、その歩みが途絶えることがないよう。


 ――そんなことを、つらつら考えていた。

 大きな紅い屋根の隣にある、小さな東屋の屋根の下。あの夜私はずーっとそんなことばかり、考えていたんだ。





 上も下も判らない。

 ぐるぐるぐるぐる巡り続ける。あっちこっちに揺らぎ続ける意識の狭間で、ふいに、風を感じた。

 熱を孕んだ頬を優しく撫ぜる、かすかな風。鉛のように重たい瞼をこじ開け、その出所を探すように視線を巡らせた。

 白い、世界だ。光沢を放つ艶やかな絹が天井から流れるように幾重も重なり、まるで天蓋のよう。指を滑らせれば自身もその心地いいそれに包まれていると知り、何故だかほっと息をつく。

 何がなんだかわからないけれど、私は、死んだのだろうか。そう思うと、そんな気もしてくる。

 やっぱりか、とため息をついたとき、その気配に気付いた。

「あれ……ぬし、さま?」

 横たわる私の傍らに、主様がいた。けれどいつもの、人型の不機嫌なあの主様の姿じゃない。本来の姿、顕現した麒麟の姿だ。

 目と鼻の先に身を横たえ、じっと私を見下ろしている。その内から光を放つような強い金色の瞳が真っ直ぐ私を映している。

 けれど驚くべきところは、そこではなかった。

 金色の瞳のその上、いつもは燃えるような猩々緋の毛皮に覆われているその双角が、今このときいつもの色とは異なる色彩を帯びている。

 一言で言えば、白金色。プラチナシルバーとでも言えばいいのか、けれどそれとは一線を画す不思議な色合いを放っていた。

 妖しく揺らめく五色の虹彩。磨いた貝殻のような異彩を放ち、その見事なまでの極彩色に一挙に目を奪われてしまう。

 恐らくはそれが麒麟の、主様の本来あるべき姿なのだろう。神々しいまでの輝きを放ち威風堂々たる佇まいで私を見下ろすその姿は一点の穢れも欠損もなく、ただただ完璧だった。

 そのありえないまでの精錬された清らかさに、熱とは別種の震えが身の内に産まれる。

 恐ろしい。恐ろしく、美しい。何もかも絶望し、けれど何もかも放り出してしまいそうだ。己の全てを目の前の生き物に委ねたくなる。

 ――これが、麒麟。

 その時私はこの世界に来て初めて、そして漸く、麒麟という生き物の本来の姿を見つけた。

 それは心を根こそぎ持っていかれるような恐ろしさと同時に、全てを委ねてしまいたくなるほどのとても大きな安心感を抱かされる、まさに至上の瑞獣そのものだった。

 ――やっぱり私は死んでしまったんだろうか。

 目を奪われながらそんなことを呆然と思ったとき、主様が動いた。

 緩やかな動きで頭を下げると、自身の顎の下にあったそれを鼻先でついっと突き出すように私の顔の横に差し出してくる。けれど私は横たわっているので、よく見えない。

 悲鳴を上げる体を無視して何とか手をつき起き上がり目に留めたそれは、一杯のさかずき。片手に余るようなその小さな杯には、並々と白濁色の液体が注がれていた。

 じっとそれを見つめていると、なおも主様が急かすように空を鼻先ですいっと掻く。

「……これを飲め、と?」

 その姿では話せないのか、或いはあえて喋らないのか、ただじっと訴えるように無言でその金色の瞳を再び私に向けた。

 仕草は殊勝だけれど、その目はありありと『さっさとせんか鈍間が』と私を詰ってくる。やっぱりどんな姿でも主様は主様だ、と少しばかりほっとした。

 口元に笑みを浮かべつつ、私も素直にそれに手を伸ばす。一滴も零さないよう、慎重に。漸く口元に持ってきて近くで見ることができ、そこでやっと気がついた。

 なにやらきらきらしている。輝く微粒子が踊るように行き乱れ、手のわずかな震えからくる波紋がなおのことそれをかき乱している。

 ――いいのか? これ飲んでも。

「飲みます、よ?」

 お伺いというよりちょっとビビリながらなおも尋ねると、早くしろとばかりにその瞼を閉じた。

 問答無用ってことね。はいはい、喜んで主様の仰せに従わせていただきますよ。

 なんだかもうどうでもいいやとばかりに、一気にそれを煽る。始めはただの水かと思いきや、甘い心地が舌を滑り落ち、次いでカッと熱くなるような喉越しで喉元を滑り落ちていった。

 お酒、だろうか。にしても随分と甘ったるい。飲んだとたんに再び意識が朦朧とする。

 納まりかけていた熱がさっきの水で再燃したように全身を身体のうちから燃え上がらせ、そのあまりの苛烈さに私は倒れるように再び横たわった。

 身体が、熱い。けれどとてつもなく、眠い。

 寝てもいいだろうかと主様を見ると、主様は目を閉じたままだった。これで今度こそお別れだろうか。なんだか大切なことをしようとしていた気がするのに、それすら思い出せない。

 でも、まあ、いいか。主様は許してくれる。多分、きっと、もう許してくれているだろう。

 だったらもういいや。私も少し、眠ろう。

 おやすみなさい、主様。今まで、本当にお世話になりました。またお会いすることがありましたら、今度はもうちょっとお手柔らかにお願いします。では、またいずれ。かしこ、であります。

 つらつらそんなことを考えながら目を閉じる私の傍らで、いつの間にか閉じていた瞼を開けていた主様が、その表情の伺えない澄み切った眼差しで私をじっと見下ろしていたことなど、とうに意識を手放した私にはわかるはずもなかった。


 その後はもう、夢の中。ふわふわ、ふわふわ、どこかを彷徨うように、浮上するように、ただただ夢を見続けた。色とりどりの、それはそれは綺麗な夢を。

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